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自分の人生のスピードを受け入れる/『あやうく一生懸命生きるところだった』感想

自分の人生を受け入れるということは、とても難しいことだと思う。

僕はメンタル疾患を患い、実家療養を始めて4か月が経過する25歳だが、メンタル疾患を患ったのは、4か月前のことではない。なんと、20歳の時からメンタル疾患を患い、精神科に通院し続けていたのである。新卒で大学を卒業してから、仕事を辞めるまでの2年半は、メンタル疾患を隠して、普通に仕事をしていた。

メンタル疾患を隠して仕事をしていたことの是非はさておき、今回の記事で書きたいのは、僕が自分の病気を受け入れるのに、時間がかかりすぎているという点である。20歳で初めて精神科に通い始めた時から、正直言って普通の人と同じように仕事ができる身体ではなくなっていた。主に電車などの乗り物に乗ることができなくなっており、日常生活に大きな支障をきたしていた。


自分の人生を受け入れるということは、自分の身に降りかかるあらゆる困難を受け入れていくことだと思う。しかし、20歳の僕は、自分がメンタル疾患に陥ったことを受け入れたられなかった。本来であれば、メンタル疾患に陥った人間がとるべき行動としては、病気を治すための努力を行うことである。そして、もし治らなければ、病気の身体なりにできる仕事を模索することである。

しかし僕は、病気を放置した。そして大学を卒業し、社会人を2年半勤め、ついに身体が限界を迎え、ようやく病気を受け入れた。病気を受け入れるのに、5年近くかかっている。

5年近くも時間がかかってしまった理由は、病気を受け入れる勇気がなかったからである。仕事を辞めて、実家療養して、自分の人生の方向を見つめ直す勇気がなかった。

自分だけ、取り残されていないだろうか・・・・・・?誰しも一度くらいはこう思ったことがあるはずだ。いつもそう思っている人もいるかもしれない。
まわりのみんなはやりたいことを見つけ、何かを追い求め、成し遂げて、どんどん先に走っていくのに、自分だけがずっと同じところに留まっているように感じて不安になる。(P.203)

『あやうく一生懸命生きるところだった』/ハ・ワン著 岡崎暢子訳/ダイヤモンド社

まさにこの文章のような心理状況だった。大学の同級生などがみな働いているのに、自分だけが取り残されるのがどうしても怖かった。


しかし、実家療養をはじめ、ようやく自分の人生を歩めるようになった気がする。5年間も自分の人生から逃げていた分、今は自分にできることは何かをちゃんと考えるようになってきた。地に足をつけることができるようになってきた。これは、病気を患ったことの功罪なのかもしれない。

今のところ、自分の地元で、電車など乗り物に乗る必要のない仕事ならできるのではないかと思っている。もう少し体力を向上させ、そのような仕事を探して生きたい。


とはいえ、今後実家療養が長引けば、また同じような葛藤に悩まされることになるだろう。

「同級生が働いているのに、自分だけ実家で療養していて本当に大丈夫なのだろうか。このまま就職できなかったらどうしようか。。。」

実際、実家療養を開始して4か月が経過した現在、このような考えがすこしずつ頭をもたげるようになってきた。そんな自分に対して、肝に銘じておきたい言葉を見つけることができた。

人はそれぞれ、その人なりの速度を持っている。
自分の速度を捨てて、他人と合わせようとするから、つらくなるのだ。(P.205)


「その人なりの速度」という言葉が、大変心に響いた。一度は自分の人生、自分の病気を受け入れ、実家療養という選択肢を選ぶことができたのだ。また、他の人と比べて悩むようなことがあれば、この言葉を思い出して、焦らず生きていきたい。自分の人生の速度は、自分にしかわからないのだ。


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