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今でも鮮明に覚えていることがあります。

僕はあの時、小学校の1年生か2年生だったでしょうか。

当時、簡易保険の積立とやらを学校でやっていて、1か月に1回、月の積立金を理科室に持っていくということをやっていたんです。

で、毎月1000円づつ封筒に入れて持って行っていたわけなんですが…



ところでこのころの僕はめちゃくちゃ内向的な性格で、なかなか友達を自分からつくるなんてことはできず、ものすごくおとなしい健気な少年だったんですね。



ある時、友達と呼べばいいんでしょうか、ただのいじめっ子ともいえますが、そいつが僕の肩に手をかけてきて、こう言ったんです。

「その封筒に1000円入ってるんやろ。500円抜き出して、お菓子買いに行こうぜ!」

って。


悪い奴です…

僕は当然、渋りました。

「けど…でも…やっぱり…」


「大丈夫やん。全部使ったらバレルけど、半分だったらちゃんと提出してるんやからバレへんって。な、お菓子買って一緒に遊ぼうぜ」


ほとんど友達のいなかった僕は、これが「友達付き合い」というものなのかと思いながら、そのしつこいいじめっ子の誘いに恐怖で断り切れず、ついには500円抜き出してしまいました。


結果、お菓子を買うなんていっても、まるまるそのいじめっ子の手に渡ったのは言うまでもありません。



さて、数日後…

当然、積み立ての明細は親のところに送られてきます。

それを見た僕の親は、僕を問い詰めました。

「なんで、ここだけ500円になっとんよ?あんた、500円どうしたん?」

すごい剣幕です。

のび太のママみたいに頭に角が見えました。

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委縮した僕は、何も言えません。

そこを烈火のごとく詰問攻めをかぶせてきました。

吐け!吐かんか!

と言わんばかりの警察の取調室状態…


仕方なく僕はなんとか声を絞り出します。

「と・ともだちと…お・お菓子…か・買った…」


 ぶっチーン!

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「あんたはなんてことする子なんで!それは悪いことなんよ!今度から絶対そんなことしたらあんよ!わかった?ほんまにわかった?え?」



なぜ、僕がこのエピソードがいまだ記憶に鮮明に残っているのでしょうか?

それは、心が強く傷ついた出来事であり、この出来事がおそらく後々の性格形成に少なからず影響を及ぼしていると考えられるからです。

もう少し具体的に言うと、「なぜ500円を僕が抜き取ったのか」という、”なぜ”の部分を聴いてほしかったのに、ただやってしまった行為だけにフォーカスされて叱られたからです。


僕は、自分の親を責めたい気持ちで言っているのではありません。これは、子育てをする多くの親たちがやってしまう過ちだからです。

いや、親もそうですが、学校の先生の方がもっとやっているかもしれません。


なぜ、子どもが校則違反をするのか考えたことがありますか?

なぜ、子どもが反抗的な態度をとるのか、ちゃんと理解していますか?

そしてそれを子どもに聴いてやったことがありますか?


それを聴かずに、ただやってしまった結果だけを見て、否定する言葉を浴びせる…


一番身近で、一番信頼してほしい大人に、それを分かってもらえないから、子どもたちは傷つき、ますます自己肯定感を下げていくんです。


誰だって、はじめからやりたくて悪さするわけじゃない。

そこには「きっかけ」や「理由」があるはずなんです。


行動の「なぜ」に注目できる意識で、大人は子どもさんに関わってほしいと思います。


正直、僕はこんなトラウマエピソードをいくつも覚えています。

それは、もともとそういう感じやすい感性をもった体質だったのかもしれません。

いわゆるHSP特有の敏感気質で、内なる言葉と常に対峙している幼少期だったと自覚しています。

でもそのおかげで僕は、人の心の内側を推し量る力が身に付いたと思っています。

そして、生み、育ててくれた親にいつまでも感謝しています。


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