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うつ病から復職しました!前編

おかげさまで、三年にわたる休職から復職することができました。
てきるだけくわしく復職までの状態変化をお伝えしたいので、前編では今回の休職へ至るまでの経緯をお話しします。

うつ病になってどんな休職生活を過ごしたのか、何もできない時期の葛藤とか、どの程度回復してから復職したのか(これは後編で)、とか。

もし、療養中で悩んでる方など誰かの参考になれば嬉しいと思い、記事を書きます。

それでは、これまでの経歴です。よろしければお付き合いください^_^
     ↓
みっきー34歳独身女性。
幼少期の貧困がトラウマで、貧乏から抜け出すため死にものぐるいで大企業に就職するも、入社数年でパワハラにあい、うつ病に。

また、うつから逃げるため酒に走り、25歳でアルコール依存性になる。毎日記憶失うまで飲み、酒が切れると手が震えたりもしました。当時結婚していた旦那は、アルコールに飲まれていく私を受け止めきれず、離婚を言い渡されました。
とてもとても辛かったです。。

そして、それを機にうつ病も依存性も悪化しました。

当時の私は、誰からも必要とされてないように感じていました。

生きてても仕方ない、と、本気で思っていました。

毎日毎日、記憶をかき消すためだけに酒を流し込みました。
だって、生きてる意味がわからないのだから。

当然仕事も休みがちになり、
毎週月曜休み、そのうち火曜日も休み、ついには出勤できなくなりました。
ここから、初めての休職に入りました。

1回目の休職は、一年で済みました。
初めは酒びたりでしたが、良い主治医と出会い、離婚の傷口を少しだけ小さくしてくれたことで、少しだけ酒と離れました。

実家に帰り、ひたすら寝て療養させてもらううち、だんだん外に出てもいいかもと思うよりになり、早いうちから動けるようになりました。
その頃は、酒さえ飲まなければ、身体はすぐに良くなりました。
でも、心の傷口だけは、治りきりませんでした。
傷口はふさがらないまま、復職をしました。

そのせいか、病気は2年後にまた再発しました。

酒をやめきれていなかったから、アルコール依存性も進行してたし、そのせいでうつも再発しました。

2回目の休職は長かった。
それが今回の休職です。
今回は、三年かかりました。

24時間アルコールを入れないと、吐き気や手の震えがおこる状態で、休職と同時に入院治療になりました。
入院生活は過酷なものでしたが、ここでは端折ります。また入院生活編を書きますね。

退院後も、うつ病に効くと言われるあらゆることを実行しました。
もちろん、酒もやめた。完全にやめました。

運動、食事、睡眠、日光を浴びる、湯船に浸かる、などなど…
やれることは全部やったが、今回はなかなか治らなかった。どれもこれも、効いてる気がしなかった。。

それどころか、治療の途中で、「双極性障害かもしれない」と言われ、診断名が変更。
副作用がキツイ薬も何個も試しました。
全身に激しい皮膚炎が出たこともありました。

そんな風に治療を進めていきますが、
それでも二年くらいはアップダウンが激しくて、何日も全く寝なくて大丈夫な躁の時期もあれば、一日中布団で寝込む、うつの時期も多かったです。うつの時期はトイレに起きることもしんどかった。

ほんとうに地獄の毎日でした。

「こんなに頑張ってるのに、なんで少しも良くならないの?」…
そんなふうに悩む日々。人生でいちばん辛い時期でした。

うつになった人のことを、こんなに辛いなんて、マジで動けなくなるなんて思ってなかった自分が恥ずかしくて仕方なかったのをよく覚えてます。

それから精神疾患の治療って、永遠に良くならないんじゃないかとか、ゴールが無いように思えるんですよね。

おっと、長くなってしまいましたが、
これが休職に至るまでと、休職中の様子です。

私の場合、外に出てもいいかも…と思うまで一年くらいかかりました。
無理矢理サンポに出ることはあっても、心から外出したいと思うまでは、かなり時間がかかりました。

二年経った頃、ようやく毎日散歩やスーパーに行くなどができるようになり、日中出歩くことが苦しくなくなってきました。

この辺りから徐々に復職を考えるようになるのですが、今回は長くなりましたので、ここまでにしておきます。

後編は、復職を考えはじめた頃のことや、復職前の試験就労期間、本復職に至るまでの体調変化などをまとめたものを記事に書こうと思います。

本日はお付き合いいただき、ありがとうございました(^。^)
また来て下さいね♪♪

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