短歌のリズムで思い出す佐渡〈貝・酒・海〉
昨日は、よくいく中華料理屋さんで夜ご飯を食べた。私が頼んだのは青椒肉絲定食。ピーマンとたけのこと豚肉のシンプルなもので、とてもおいしかった。次はチャーハンにしようかな、なんて今度なにを食べようかと考えるのも楽しい。そういえば、前回サウンドハウスのことを書いたのもあって、杉井ギサブローさんが監督したアニメ版『銀河鉄道の夜』を観てみることにした。原作はもちろん宮沢賢治の小説で、原案はその小説をもとに、ますむらひろしさんが書いた漫画だ。そこでは、ジョバンニやカムパネルラたちはみんな猫だった。府に落ちたところもあれば、よくわからないなと思ったところも多かったのでまた観たい。そうだ、でもDVDを借りたTUTAYAはもうなくなってしまうんだ。まったく、これからどこで借りればいいってんだい!
前置きが長くなってしまった。第2回〈貝・酒・海〉はじまり。
前回にひきつづき、最初の歌はたらい舟にのせてくれた友達について(以下、たらい舟の友達)。佐渡旅行4日目、私たちは今回の旅行でとてもお世話になった人に、貝とりに連れていってもらった。どうやら漁業権を持つ人がいれば、種類によっては貝をとっていいらしい。夕方、その人と私たちは合流をし、岩場へと向かった。岩、岩、水、岩。その岩場はけっこうゴツゴツしていて、向こうに渡るため、どこに手や足を置けばいいのか私はときどき私はわからなくなった。そんな時、後ろをみると、たらい舟の友達はブーツで岩をわたっていた。たぶんブーツを履いていたのは不可抗力だけど、岩場に適していないことは確かだった。しかし、たらい舟の友達はそれでもゆっくりと岩場をわたり、貝とりがはじまると、目を光らせてたくさん貝をあつめていた。私は心の中で「こいつ、たくましいな」と何度も思った。そして、それと一緒にだんだんと、この人は岩場をすみかにしている「なにか」なのではないかなと思い始めてしまった。
上の句「シタタメ」というのは、あつめた貝の名前。調べてみると、石川県の珠洲市でも同じ呼び方をするそうだ。大きさは、だいたいが親指と中指の先をくっつけてつくった丸におさまるくらい。小さな巻き貝だ。「この野郎」というのは親しみを込めて。「ちきしょう、おめえってばすげえやつだね」というような調子だ。そこには憎しみや怒りは全くない。
そして下の句、「なにか」の部分に私は「天使」を入れた。なぜだかはあまり思い出せないが、たぶん「岩場とブーツ」というあまりにもミスマッチのものから、「地(岩より連想して)」と対照的な「天」をとり出したのだと思う。そこから天使。ちょっと大げさな言い方かもしれないけれど、「岩場とブーツ」という存在はいわば「俗なるもののと聖なるもの」のように分け隔てられた存在のように私には見えたのだ。しかし、とても不思議なのだが、それでいてたらい舟の友達は「海と岩礁」という風景によくなじんでいた。分け隔てられた区分なんてもろともしないように、ブーツとスカートで岩から岩を渡っていた。この人すごいな。もしかしたら、この人は岩場にひそんでいる天使かなんかなんだな、この歌はそんな具合だ。観光情報がない!ごめんなさい!ちなみに次のもない!
(追記:貝の名前を友達に確認してみたらシタタメではなく、一般的な名前は「シタダミ」であり、佐渡、少なくともこの地域では「ショウモリ」とも呼ばれていると教えてくれた。私の記憶の「シタタメ」とはいったい!? 能登に行って時に!? いや、そんなはずはない。珠洲まで行ってないしね。誤情報をごめんなさい。でも、もうしわけねぇ!「シタタメ」でしっくり来てしまったのでこの歌は「シタタメ」で行かせてください!できれば、佐渡の言葉にしたかったけれど、指しているものはおそらく変わらないので。では、解散!貝だけに!)
前の歌と同じく、貝とりをした時のこと。今回、佐渡に一緒に行った人は5人で、そのうち3人は私にとって初対面だった。しかしまあ、初対面とは言いつつも、その中の1人は同じ高校の後輩でなんだか名前を見たことあるような気がしていた。もしかしたら、すれ違ったこともあったかもしれない。別の便で来たので、初めての対面は佐渡で。私は彼の顔を見て、ぼんやりと高校時代のことを思い出した。やっぱり見たことがある。そうだ、この人はたしか「神童」とよばれていた子だ。後輩たちの学年がそう言っていたのか、私たちの学年がそう言っていたのか、彼と仲の良かった後輩がそう話してくれたのか、どうだったかはわからない。ただ、私の記憶の中で彼は「神童」とよばれていた。神童とこれから4日間をともにするだって!?と私は少しおののいたが、彼はとても気さくに話してくれた。神童とか言って、勝手に自分で距離をつくっておいてなんだけど、私はそれがとても嬉しかった。賢くてやさしいというのは、なんというかものすごくいい。
歌に戻ろう。この日はお天気もよく、夕方になると西日が海と岩礁をつよく、明るく照らした。「神童」は、貝とりに熱中し、私たちの中で誰より多くの貝をとっていた。この歌は、そんな彼が両の手のひらに貝をたくさんのせて笑っている写真をもとにつくったものだ。「手のひらに貝を集めし神童の」というのはそのまま。でも、神童は「神童」としてもよかったかも。私にとってその言葉はもう、距離をつくるものというよりかは、愛称のようなものだから。下の句は、彼の瞳が夕日を映して琥珀のように明るくきらきらしていた様子を。「小木」というのは地名。「秋夕」は「しゅうせき」と読み、その字の通り「秋の夕べ」という意味の言葉だそうだ。正直に言って「秋 夕方 言葉」といれて出てきたので採用した。1字余りとなってしまったが、全体を通して「い」の韻で踏めているのが綺麗で捨てきれないので良しとしよう。「貝と目」「童と瞳」「集と秋」と対応しているように見えるのもお気に入りだ。
さて、この歌に関連するわけではないが、やっぱり観光地を2つ紹介させてほしい。1つ目は「kaffa佐渡」さん。小木港の目の前にあるコーヒー屋さんだ。木材のもつやさしい味わいが残る店内で、美味しいコーヒーを楽しむことができる。私と神童は、お店に置いてあった一筆書き的なトキと佐渡島をつなげた知恵の輪に交代しながら黙々と取り組んだが、結果としてはただ変わった形をした金属を温めたにすぎなかった。2つ目は「かもめ荘」という旅館兼温泉施設だ。私たちは3泊する間、はからずも毎日違う温泉で湯につかることになった。1泊目は「おぎの湯」、2泊目は「金井温泉 金北の里」、かもめ荘に行ったのは最後の3泊目だった。それぞれに違いがあって面白かったが、かもめ荘の良かったところは露天風呂があったこと。景色がいいとかではないのだが、露天というだけで気持ちよかった。そして、温泉とは関係ないが、温泉を出た後の夜空が澄んで綺麗だった。一面に、星がたくさん見えた。なんと流れ星も流れたらしい。神童は見逃さなかったが、私は残念ながら見逃してしまった。いい思い出だ。
新潟には日本屈指の「米どころ」というイメージがあると思う。私は全然知らなかったが、佐渡もその例にもれず「米どころ」であり、「酒どころ」だった。私たちは、居酒屋さんで飲み、ありがたく贈ってもらっては飲み、酒屋さんで買っては日本酒を飲んだ。私はお酒が全然強くないのでちょぴっとずつだったけれど。でも、それでも日本酒って美味しいなと感じることができて嬉しかった。3日目、私たちは「酒蔵」めぐりにも出かけた。私たちが、まわることができたのは「尾畑酒造」「逸見酒造」「加藤酒造店」の3つ。試飲ができたりできなかったり、それぞれの見せ方があってとても面白かった。中でも、こと強烈さにおいていえば、「尾畑酒造」が群を抜いていた。まず車を停めて降りると、駐車場に面した裏口上の看板に、猛々しい文字で「アルコール共和国」と見える。アルコール共和国!? なんてざわざわしながら正面入り口から入ると、なぜかは忘れてしまったが、小さなお地蔵さんがいて柄杓で水をかけることになっていた。また進むと、「酒造りの工程」を学ぶことのできるビデオを観る部屋があった。壁を見渡すと何やら写真や賞状がいろいろとある。あれ、ローマ教皇!? なんとアルコール共和国の初代大統領は平和使節団として、あのローマ教皇に謁見までしていた。さらに壁を見ると、アルコール共和国の「組閣時」の記念写真まで飾ってあった。恐るべし、アルコール共和国とみんなで笑った。
上の句、「真野」というのはアルコール共和国が建国された場所の地名だ。少し調べてみると、「国家をつくる」というのは1980年代に井上ひさしの『吉里吉里人』という小説をきっかけに全国的に広がった運動らしい。新潟日報デジタルプラスによれば、「全国で200カ国以上が建国され、新潟県内でも主だったものだけで八つの独立国が誕生している」そうだ。アルコール共和国はそのうちの1つで、真野町にあった酒蔵関係者の方々が中心となって立ち上げられたらしい。「ぶち建てる」という言葉は、強く荒々しい言葉だが、当時のやってやるぞ!という気持ちを想像して。
下の句、「四つの宝や」という7音の部分は、はじめ「米・水・人・自然」を大切にするという尾畑酒造のキャッチコピー「四宝和醸」に、「の」を付け加えた「四宝和醸の」にしようとしていた。しかし、調べるうちに尾畑酒造だけがアルコール共和国の全てだというわけではなく、他の蔵元さんたちも合わせてアルコール共和国だということがわかった。どうしようかと悩んだが、ある方のブログを読んでみると、アルコール共和国建国時に真野町には「4軒の蔵元」があった、という事が書かれていた。4軒。これにしよう。せっかくだから「四宝和醸」も汲んで「四つの宝や」とした。「酒レプブリカ」というのは、「アルコール共和国」という言葉には音が多すぎて歌に入れられない!ということで苦肉の策として編み出した言葉だ。少し違うけど「アルコール」=「酒」、「レプブリカ」=「共和国」となっている。レプブリカはイタリア語。なんでイタリア語にしたかというと、ちょうど5音だったのと、あいも変わらず浅はかでこじ付け的な連想から。すみません。「酒蔵」めぐりは自分1人では絶対選ばなかったので、とても面白かったし楽しかった。友だちに感謝したい。「至」というお酒が美味しかったのでおススメです。
ここまで、7つの短歌を紹介してきたが、私の力量不足により1つ1つの文章が長くなってしまって、ちょっと疲れてきてしまった。もしかしたら、あなたのことも疲れさせてしまったかもしれない。もうしわけない。しかし、だんだんと「チ。 ―地球の運動について―」に出てくる登場人物たちのように、なんとしても最後までやり切ってやるぞ、という気持ちも芽生えてきた。書き終えたところで世界はちっとも変わらないけれどね。読んでくださっている方、申し訳ないがもうしばらくの間お付き合い願いたい。
佐渡に行く前、私は、今年の1月に佐渡に行ったという友達に佐渡のおすすめスポットを聞いていた。そうすると友達は、いくつかの観光地をあげた後、「やっぱり海が綺麗だった」と教えてくれた。佐渡に行って2日目の夕方、私たちは海を見た。車から見る風景があんまりに綺麗だったので、少し降りて海岸線まで行ってみることにしたのだ。空はちょうど日が落ちるすこし前、最後の光を宿していた。ピンクやオレンジ、灰に青、そんな「絵具セット16色」みたいな私の語彙では表せないほど、目に映ったものは鮮やかで、光っていて、陰っていた。まったく月並みな言い方だが、その光景は私にとって天国のように思えた。そんな、息をのむ空と海だった。
しかし、とはいっても、ここはきっと天国ではない。文字通りとるならば、天国は空の上、天にある。でも、もしかしたら、この得も言えわれぬ光景は天国の色が熔けだしてしまったものなのでは?天から空、空から海。だんだんと熔け出し、移りゆく天国の色。私たちはきっと、そんな天国の色を見ていたんだ。なーんて妄想から上の句はつくった。「とける」という言葉にはあてられる漢字が色々あったが、夕の焼けた感じと火へんがマッチするなと思ったので「熔ける」を選択した。下の句、「夕の水面を往けよ吾が石」というのは、水切りのこと。神童が水切りをしていたので、私も真似して一緒に水切りをした。平たい石を探しては投げてみたが、私は2回までしか跳ねなかった気がする。くやしい。下の句で気に入っているのは、「吾」と「石」という漢字がなんか似ているところ。吾というのは「わたし」という意味。なんだか「吾」には熟練の歌人が用いるというイメージがあって、一瞬つかうのをためらった。しかし、形の似ている「吾」と「石」、私もあの水面をぴょんぴょんと石のようにゆきたい!とう思いから今回はつかってみることにした。これも、こじつけですけれどもね。して、私は天国にいけるのでしょうか?この歌の観光情報は「海」です。友達の言う通り佐渡は海が綺麗でした。こいちゃ、佐渡の海にこいちゃ!
第2回〈貝・酒・海〉はこれにて終幕。長くなってしまった。長くなったと思っていた第1回より1000文字以上長くなってしまった。お付き合いいただいた方、お疲れさまでした。ありがとう。最終第3回は〈人・本・果物〉について。それではまた。
【参考】
上:新潟日報デジタルプラス,『独立しよう、国を作ろう!地域が輝いた「ミ ニ独立国」ブーム… 新潟県内でもユニークな活動を展開 今はなき「3カ国」の遺産とは』新潟日報,2023年9月15日,参照2024年11月18日
下:伊藤ヨシユキ『アルコール共和国の尾畑酒造・逸見酒造の利き酒チャレンジ!』,旅館番頭の佐渡観光情報ブログ,2014年3月19日,参照2024年11月18日