短歌のリズムで思い出す佐渡〈人・本・果物〉
ここ数日で気温が一気に落ちて、いよいよ冬ですという感じがする。私はついに耳当てを取り出し、夜に散歩する時にはつけて出かけている。耳があったかいとすごくあったかい。今年もたくさんお世話になろう。昨日、散歩からもどり布団にくるまっていると、米津玄師の新曲がアップロードされていることに気づいた。「Azalea」という曲。凄まじかった。「がらくた」も、「毎日」も、「さよーなら、またいつか!」も、どの曲も本当に凄まじい。なんなんだ米津玄師。ありがとう米津玄師。次も楽しみです米津玄師。ちなみに、「Azalea」は「さよならのつづき」というドラマの主題歌らしい。短歌のリズムで思い出す佐渡、最終回は〈人・本・果物〉について。それでは、どうぞよろしく。
最終回とは言ってみたものの、これから紹介する4つの短歌には今までと比べると、なんだか番外編のような様相がある。変だけれど、番外編のような最終回だ。そして、はじめに言っておかなくてはならないが、この歌の説明をするにあたってこれから『HUNTER×HUNTER』という作品の話をすることになる。漫画でいえば6巻まで、アニメでいえば32話までの内容だ。深刻なネタバレではないと思うが、作品を真っ白な状態から楽しみたいという人はどうかここを飛ばしてほしい。ちなみに、私も真っ白な状態から楽しみたいタイプの1人だ。
さて、前回「神童」の歌のところでも書いたと思うが、今回の佐渡に一緒に行った5人中3人は初対面だった。実はなんなら、面識のあるもう1人の友達のこともそんなによくは知らなかったので、5人中4人が謎めいているという、私にとっては、よく考えてみれば超異常事態で、超不思議旅団だった。そもそも私は、合宿などはあったにせよ、誰かとどこかに泊りで旅行するの自体ひどく久しぶりだった。佐渡に行ったのも、ものすごく大きなカテゴリーで見れば「気の迷い」だったのかもしれない。私はたいてい、どこかに行く時は1人だった。けれど、人生を動かすのはかえってこういう「気の迷い」や「偶然」だったりすることが多い。佐渡に行かなかったら、この先もずっと知らない人だったけれど、友だちになれた。それが何よりよかったと思う。いい出会いだった。
上の句、「ヒソカ」とは何なのか。ヒソカとは『HUNTER×HUNTER』に出てくる、あるキャラクターの名前だ。私は、5人としゃべったり、それぞれのことを見たりする中で、軽い畏れとともに「こいつ、すごすぎる…」と思うことが何度もあった。小さめのカルチャーショックってやつかもしれない。彼らはそれぞれが、それぞれの仕方でそれぞれに凄かった。そうして、私はだんだん「この人たち、なんかもうヒソカだ」と感じるようになった。それは、ハンター試験の受験者たちが、ヒソカに対してレベルが違うと感じたように。見ているものが全然違うと感じたように。私にとって彼らはそういう意味において「ヒソカ」だった。断じていうが、5人が奇術師のようだとか、戦闘狂のようだとか、語尾に♠♥♦♣がつきそうなしゃべり方をしていそうだとか、そういう事では決してない。友だちのことをヒソカ呼ばわりするのはどうかとも思ったが、あくまで比喩的に、尊敬の念をこめての「ヒソカ」だ。それに何の弁明にもならないが、私は『HUNTER×HUNTER』のキャラクターだったら、ヒソカが1番か2番に好きだ。本当、何の弁明にもならないけれど。
「街ゆかば袖振り合うもの皆ヒソカ」というのは、5人を含めて、もしかして普段街で出会う人たちも「ヒソカ」なんじゃない?という思いから。私が気づいてないだけで、私は常に、「ものすごいやつら」とすれ違っているのかもしれない。「絶」というのは、『HUNTER×HUNTER』に出てくる「念」に関する技術の1つで、「オーラを絶つ技術」のこと。「絶」をすると、相手から気配を感じ取られにくくすることができる。つまり、この歌は「ものすごいやつら、ヒソカがたくさんいすぎて恐ろしいので、私は必死に気配を消す事しかできません」という意のフィクションの歌である。
では、この旅行中、私がずっと「絶」をして息をひそめていたかというと全くそんなことはなかった。むしろ、「纏」して、「錬」して、「発」しては、ゲロっちまで吐きかけてと、やりたい放題させてもらった。心から感謝の意を表したい。ほんとう、お世話になりました。
さて、ここまで長くしといて観光情報なしは良くないなと思ったので1つだけ。軽食・甘味処「パルフェ庄三」を紹介させてほしい。。店の外は、少しだけヒソカを思わせるような、ピンクの3本ラインのペイントや看板が特徴的。店内に入ると、ラーメン、丼もの、ソフトクリームにパフェ、アイスと様々なメニューがこれまたピンクの紙にたくさん書かれている。店の大きさや営業形態などは全然違うが、私が実感をもって理解できる例でいえば子供のころによく行った「ポッポ」などが雰囲気としては近いかもしれない。懐かしくて、あったかくて、安くておいしい、そんなお店だ。私たちはそのあと貝とりがあったので早々とお店を後にしてしまったが、今度行ったときはご飯ものも食べてみたい。この時私はストロベリーアイスを食べた。考えてみれば、これもピンクだ。さあ、"伸縮自在の愛"を探しに、みんなパルフェ庄三へGO!
この歌は、佐渡から帰ってきた後の出来事をもとにつくったもの。「志津」というのは、一箱古本市が行われていた場所の地名だ。その出来事を簡単に説明するならば、「志津で行われていた一箱古本市で、偶然、佐渡のことが書いてある本と出会ったんだ」という感じ。このことについては、4つ前のNote「佐渡と本と偶然」にものすごく長々と記してある。気になる方がいれば、なんだかものすごく生意気な言い方だけれど、そちらを見ていただきたい。ここでは追伸的に2つ、短く「その後」を付しておこうと思う。
追伸1つ目。『手紙を書くよ』の中で、たびたび名前が出てきた植本一子さんの本が、これも同じく橋本さんの手紙の中で出てきた「ときわ書房志津ステーションビル店」にいくつかあることを見つけました。
以前も、いくつかの本はその装丁の良さから手にとったことがあったけれど、植本さんの本だと認識したのは初めてだった。『さびしさについて』という、滝口悠生さんという方と植本さんの往復書簡を本にしたものを買おうかと思ったが、マニーがピンチなのでいったんステイした。古本市ではやっちゃいけないが、志津のときわ書房には定期的に行くので許してほしい。
追伸2つ目。一箱古本市でステイしたせいで逃した梨木香歩さんの『風と双眼鏡、膝掛け毛布』を図書館で借りました。
古本市でその本の文中に「宿根木」の文字を見て私が驚いたという話だったが、改めて図書館で借りてその部分を読んだ。この本で、梨木さんは「宿根木」という地名の由来を「宿根草(しゅっこんそう)」と「一年草」をもとに考えている。「宿根草」とはその字の通り、(地中に)根が宿っている草という意味らしい。地上の部分が枯れても、根っこの部分は枯れずに残る。その意味で、「根は地中に宿りつづける」のだ。そして、時期が来たらまた成長を始め芽を出す、これが宿根草だ。いっぽう、「一年草」はそうではない。一年草は、種→芽→花→種の循環を1年ずつのサイクルで行う。私たちが小学校で育てたような、あのタイプの植物だ。同じ根が地中に宿り続けはしない。
さて、では、「一年草」と同じように「一年木」という言葉はあるのだろうか。わお。答えは、ノーだ。なぜなら、木は1年のサイクルにおいて成長したり、朽ち果てていったりはしないから。そのことが当たり前すぎて、「多年草」という言葉はあるが、「多年木」という言葉も同様にない。ということは、同じように考えれば「宿根草」という言葉はあっても、「宿根木」という言葉はないはずだ。木は当たり前のように、地中に根を宿し続けるのだから。しかし、宿根木は宿根木という名前である。
2ページ弱の本文を説明するのに、とても長くなってしまった。しかも、これでまだ終わっていない。私は説明するのが下手っぴだ。ということで、つづきは実際に本にてお楽しみあれ、ということにさせてもらおう。ごめんチャイ。
この歌の観光情報は、そのまま宿根木だ。梨木さんが「そのまま波間に浮かんでもおかしくない、舳先のような」という、まさに!な喩えで表現する三角の家が美しくて、私はとても好きだった。なんだかんだ宿根木は一瞬しかいれなかったので、次行くことがあればゆっくりと見てまわりたい。え?誰が一生成長しない「宿家草」ですって?怒るわよ!でも、その通りよ!ちきしょうめ!
2日目の夜、ひと足早く帰ってしまう友だちを両津港へと送る車内で、私たちは、なぜかは覚えていないが「苦手な食べ物を当てるゲーム」を始めた。これは単純にその人が何の食べ物が苦手なのかを当てるゲームなのだが、謎になかなかの盛り上がりをみせて楽しかった。しかし、私のを当てる番。私は自分が何の食べ物が苦手を考えたが、これといって苦手なものが思いつかない。「苦手な食べ物は特にないかな」と私は言ったと思う。その時は本当に思いつかなかっただけだけど、「こ、このスカシ野郎が!」と私は私自身に少し思った。
3日目の夜、私たちは、佐渡でお世話になった方たちと夜ご飯を共にさせていただくことになった。テーブルには手作りのおにぎりなど、おいしい料理が並び、お酒も美味しい。会話も百花の咲き乱れ!絶えず言葉が飛び交う、とってもにぎやかで楽しい夜になった。しかし、その会も終わりに近づいてきた頃、私は苦手なものを1つ思い出した。それは干し柿だ。本当に有難いことに、干し柿がテーブルに登場した時私は「苦手な知り合い」を見かけた時のような気まずさを覚えた。「わたくし、こいつとは、むりかもしれやせん、すいやせん」と私は思った。たぶんきっと、見た目が「ぐじゅぐじゅ」したやつが私は無理なのだろう。私の苦手な食べ物は、見た目が「ぐじゅぐじゅ」したやつです!以後、お見知りおきを!へい!
なーんて言ってはいるが、正直に言えば「なんか悪いな」という後ろめたい気持ちと、少しの好奇心から結局、私はその1つに手を伸ばすことにした。ぱくり、恐る恐るひとくち齧ってみる。あれ?もうひとくち齧る。あれあれ?たくさん齧る。「おお、なんですか!なんですか!この高級な甘みは!」結果的にいえば、私は干し柿が食べられたし、むしろ、すごくおいしく食べた。この時食べておいて本当に良かった。さあ、前言少し撤回!「ぐじゅぐじゅ」ではあるが、干し柿は例外とする!
そして、4日目。私はもう1人「苦手な知り合い」と出会うことになった。それは、いちじくだ。たらい舟の友達が農家さんを紹介してくれて、私たちはそこでいちじくをお土産として買うことになった。いちじく?きっとこれも「ぐじゅぐじゅ」系だったから私はたぶん苦手だな。そう思ったが、「まあ、家族の誰かが食べるでしょう」ということで1パックを買わせていただだくことにした。これより先は、家に帰った後のこと。私は、冷蔵庫に入れていたパックからいちじくを取り出し、しばしの間いちじくと見つめ合った。「ええと、あんさんは、どう食べればいいんですかね?」私は、ネットで「いちじく 食べ方」と検索をかけ、なるほどそうか、剥くのですね、と理解した。
ネットの教えどおりに、ヘタを折り、皮をむいていく。残った皮はちょっとナイフでそぎ落とす。しかし、そうしてみたところで、私の手に残ったのは「みちょもちょした、よくわからない何か」だった。私は、「よくわからない何か」の果汁で、手が濡れていることに恐怖をおぼえた。それでも、せっかく買って来たんだからと、蛮勇がごとし、その「何か」にガブリと嚙みついた。結果の様子は、しつこいので控えよう。「ぐじゅぐじゅ」たちの中から2つ目の例外が生まれた。
さて、歌のことだが、わざわざ言及することなど何もない。ただしゃべっているだけの短歌になってしまった。リズムも5・8・5・8・7とよくない。でも、あえて言うなら、「食べれたおいしい知れてよかった」の下の句は、素直であほっぽくて、なんかいい。のちのち自分で見ても「そうなんだね、よかったね」っていう感じだ。
そして、今回の観光情報は「おけさ柿」と「おぎビオレー(いちじく)」。どちらも佐渡で美味しくいただくことができると思う。お米、お酒、海の幸だけではない。佐渡の果物も是非ご堪能ください。サドメシ、今日もお相手は、中井貴一でした。嘘です。
はじめ、これを書くにあたってできていた短歌は10首で、入れようと思っていなかった「一箱古本市」の歌をあとから合わせて11首。それでも、4首ずつ3回に分けてやるのには1首どうしても足りなかった。そこで、私は写真を見たり、メモを見たりしながら、佐渡に旅行した時のことをはじめからゆっくりと思い出すことにした。…それは、1番最初の記憶。佐渡に連れて行ってくれるたらい舟の友達の家に向かう時のこと。私は、最寄り駅のホームで電車を待っていた。もう少しで電車が来るかなという頃合い、向かいのホームで歌う大きな声が聞こえた。「あぁ、なんて素敵な日だ(正しい歌詞は「ああ なんて素敵な日だ」)」。Mrs. GREEN APPLEの「僕のこと」という歌だった。大声で歌われる「あぁ、なんて素敵な日だ」。その人にとってその日は何か素敵な日だったのかもしれないし、ただふと思い出してその詞が口から飛び出していただけかもしれない。しかしなんにせよ、私にとって、今回の旅行にとって、それは象徴的な出来事だったなと今では思う。「あぁ、なんて素敵な日だ」。私にとって、素敵な人たちと行った今回の佐渡旅行は間違いなく「あぁ、なんて素敵な旅行だ」といえる。
「あぁ、なんて素敵な日だ」と歌っていた向かいのホームの彼は、今日も元気だろうか。今日も素敵な日だったろうか。今回の旅行の初めにふさわしい言葉をくれてありがとう。話したことはないけれど、どうかずっと元気でいてほしい。
それは、今回佐渡で出会った人も、佐渡に行くまでに出会った人も、家まで帰るときに出会った人も、みんなそうだ。猫も、鳥も、みんなみんな。どうかずっと健やかで、元気でいてほしい。これを読んでくれている、あなたもね。短歌のリズムで振り返る佐渡、これにて幕切れです!
いかがだったでしょうか。長々と読みにくい文章をすみませんでした。これにておしまい!のつもりでしたが、結局もう1つ歌ができたのでそれにてお別れです。
「こいちゃ」というのは、佐渡の言葉で「おいでよ」という意味。「いとしげ」というのは、「いとおしい」という意味だそうです。どちらも佐渡にある「いとしげなお宿こいちゃ」さんから拝借いたしました。私が「おいでよ」なんて言えたあれじゃないですが、ちょっと使わせていただきます。それでは、ここまで本当にありがとうございました。少しでも何かの参考になったのならば幸いです。どうかよき佐渡を!そしてどうかよき人生を!また会いましょう。
【参考】
梨木香歩『風と双眼鏡、膝掛け毛布』筑摩書房,2020年,pp.113-114
SENCE OF RESORT,Q&A『宿根草、多年草、一年草の違いは何ですか?どう使い分ければいいですか?』最終閲覧2024年11月21日