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怨憎会苦とこれからも付き合っていく。
2025年初めての満月の日は一日がすっかり霧で覆われていた。
ここまで深い霧が続く日も珍しく部屋から見える外の景色は薄暗くミルク色に包まれていて幻想的とも言えた。若いころ、小説や漫画の世界で描かれる霧に憧れたこともあったけど、霧で満たされる様な場所に住む日が来るとは人生というものは不思議だなぁと思う。
去年の秋からずっと続いていた右肩から腕にかけての痛みは嘘みたいに消えてスッキリしている。肩の痛みを追うように少し前まで気持ちがしんどくって、不穏なものを自分のなかに感じていたが徐々に霧が晴れるように薄れて消えた。
落ち込みの理由としては、秋から細々と多様なものが重なった結果だと思う。飼い猫が病気になったのも大きかったが、これは食事療法と治療が効して危機的な状況には至らず今もお陰さまで元気にしている。ずっと錘があるように心が重く心配があったので本当に肩が軽くなった。まだ5歳だしこれまでずっと元気だったので、それが普通だと思っていたが、そういう日常の平穏は当たり前ではないということが今回のことでよく解った。
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霧の日の夕方、フランスの古い友人のフランソワさん(80)と1年ぶりに電話で話すことができた。メールをしても返信が無いので心配していたが元気な声で安心した。その時に報告ということで元夫Dの近況(不倫相手と別れたこと)を話した。
フランソワさんは数か月前に日本旅行をしたばかりという事もあって、電話ではずっと日本語で話すことができた(奥さまがアメリカ人なのでいつもは英語で話すのだが)。
3年と少し前の冬にパリで会った時は、まだ私のメンタルが不安定でそれをひどく心配してくれた。
「今は元気ですよ」と言うと「それは声で分りますよ」と言ってくれた。
その流れでDのことを話したら、
それは残念ですね...
と、短く答えてくれた。
“残念”の意味が電話越しにも伝わってきて、心が通じ合うって、こういうことなんだなと改めて感じた。ずっと話してなかったのに、ましてや言葉が違っても想いは通じるものだ。
“大きな声で言わなくても大切なことは伝わる”
そういつか言ってくれた友人がいて、私がまだ苦しんでいる時に「言葉の壁があったかも知れないし、もっと相手(元夫)に解るように分かりやすく何度でも言えばよかったのかも知れない」と吐露したときに伝えてくれた言葉だった。
フランソワさんと話しながらその人と言葉をやっぱり思い出していた。
私も残念に思っている
家庭を壊すほどの相手なら別れて欲しくなかった
その程度の相手に、あの苦しみやこの結果が贖えるのか
どんなにこれでよかったと思っても、それとは別の割り切れなさやアンビバレントな思いが湧き上がってきて、それにどう対処して良いのかというのが最近の苦しさだったのか、と思う。
そもそも二度と会いたくない相手と子供や家のことで相談したり頻繁に会ったりしないといけない状況がしんどい。普段はもう気にしないようにしているが、今の人生のベースがそこにある限り、少しの不安定さで心が揺れることをこれからも覚悟しておかないといけない。
仏教の四苦八苦に怨憎会苦があるけれど、この言葉を知って以来ずっとその言葉の意味を考えている。
怨み憎んでいる者に会う苦しみ
私にとってそれに当たる人は、元夫Dの不倫相手の女性だと思っていたけれど、Dのことでもあると、今更ながらに思う。
そのことはそのままに受け止めるしかない。
義姉(Dの姉)とも、この1年くらいですっかり疎遠になってしまった。去年のクリスマスも、このお正月も先週の彼女のお誕生日にもメッセージを送らなかった。だから向こうからも何もない。
それで本当に良いのか...というどんよりとした気持ちが纏わりついていた。
彼女には不倫が発覚した10年前から折々相談をしていたけれど、3年前の出来事を私は今になっても引き摺っている。
Dとは表面上は和やかに普通に接しているのに、義姉を今更疎遠にするのは不公平なんじゃないか...女性同士だから、だからこそわだかまってしまった気持ちもあるのかも知れない。
何度考え直してみても、去年から、時候のやり取りも誕生日を祝うメッセージも書きたくなかった。
連絡を取りたくないならそれでいいんじゃないか。
もう少しで来る自分の誕生日にも彼女からメッセージが欲しいとは思わない。
今の自分のそういう気持ちを尊重しようと思った。
これからまた気持ちに変化があるかも知れないし無いかも知れない。子供達にとっては唯一の伯母だし親戚付き合いもあるので、そのときは親として柔軟に対処していこうとは思っている。
それが今自分ができるマックスなのだ、たぶん。
クラシック音楽は波立つ気持ちを少しずつ凪ぐようにしてくれる。
そんな訳で最近よくクラッシックを聴いているが、13歳の天才バイオリニストのHIMARIさんの演奏をYouTubeで観ていると、3月にベルリンフィルと初共演するという情報をキャッチした。
ベルリンフィルのHPでチケットを調べたらまだギリギリ残っていたので、少し悩んだけれど行くことに決めた。せっかく音楽の国に住んでいるのだものわたしは。行けるなら行こうではないか。
それで暫くバイオリンの音に浸っていると、五嶋みどりさんが好きだったことを思い出した。
彼女のCDをよく聴いていた時期もあったのに、最近すっかり遠ざかっていた。それで改めて聴いてみて、音にこんなにもその人が表れるのだと心打たれた。そして弟の五嶋龍さん!
聴きなおしても、好きだなぁと惹かれる気持ちは変わっていなかったことが嬉しかった。
音楽から離れて空手の世界に打ち込まれているのを知り、惜しむ気持ちも強いけれど自分の道を行って欲しい。才能ゆえに不幸になったりもするので自分の道を進めるのは強い人だ...と思う。
人生をどんな風に歩むかはその人のもので、その才能に触れることが出来るのは当然ではないのだ。それは僥倖であり、同時代に生きてその場に居合わすことができることに感謝を忘れないでいたい、そう思う。