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未だ日本は遠く

あぁ..もうすぐ夏至だなと思っていた日から早くもまた時が過ぎて盛夏といわれる頃になった。

6月29日が子供達が通っている日本語補習校の1学期最終日だった。この日は午後からの授業前に漢字検定があり、放課後には中庭で夏祭りが催された。
今年は開校五十周年記念にあたり、いつもより規模を大きくし卒業生やその保護者もお招きしていた。そのため参加者が予定より増え、食べ物が足りなくなる心配もあったので、わたしは前日からカレーを大鍋で二つ作った。

1年前から学校運営を指揮する理事会の理事長をしており、なんだかんだと行事関係の雑務がこの1学期は集中した。
今回の漢検受験は “最低開催人数の10名” に受験予定の生徒の保護者が参加しても1名足りない!と報告があり「それでは受けます」となった。中3の長女は中1の冬に5級を受けて合格した事に満足しており、まだ4級を受ける気は起きないらしい。現在中1の長男は昔、9級を受けて不合格になったことがよほど嫌だったらしく「ぜーったいに受けないからね!」と頑なだ。小5の末っ子に至ってはアウトオブナントカ...で全く自分事では無い風であった。
だいたいバイリンガル育児で下の兄弟ほど日本語力は弱くなるのはあるあるで、我が家もその傾向にあるが、嫌がらず日本語で話し続け補習校にも通っているので満点だと思っている。

漢検は私の昔のランドセルで行ってね、
と長女が用意してくれた

わたし自身は...と云えば、実は子供時代に漢検を受けた記憶がない。小4の時の担任の先生に「みきともの作文は漢字が少な過ぎる」と苦言を呈され恥ずかしい思いをした記憶が鮮明なほどに漢字嫌いだった。漢字なんて無くなればいいのに...と思っていたので漢検受験など全く拒否して学生時代を終えた。
そんな人間がドイツで漢検を受ける事になるとは、人生というのは何かやり残したことにキッチリ向き合わされる事があるらしい。
最初は3級を受けようと思ったけど、調べてみたら2級合格から履歴書にも書けるとのこと。常用漢字2136字が範囲であるため、高校卒業/大学一般レベルとあった。今のところ日本で履歴書を出す予定は全く無いけれど、どうせやるなら2級を挑戦してみようではないかと思った。
「自分は受けたことないなのに、子供には受けさすんやママは...」と長男言われたこともこれで挽回できる気がする。
約40日間ほぼ毎日机に向かって真剣に1〜2時間ほど勉強した。合否はあと数週間で判る。

今回、漢検勉強のおかげで「漢字を書くこと」に意識がフォーカスし、その様な目で漢字を見ると様々な学びがあって面白かった。
50手前でどのくらいの記憶力とやる気(持久力)を自分は持っているのかも良く分かった。
これで不合格だったら説得力に欠けてしまうが、手応えとしていくつか感じたことがあった。
それは特に自分の記憶力が衰えたという感覚はなかったことだ。どのくらい集中できるかが暗記力の肝で、内外共に集中できる環境、状況を整えることができたら年齢は関係ないのではなかろうか。自分に限って言えば、子供達が幼い時の方が断然勉強する為の集中は難しかった。その頃は常に頭の中に気になることが居座っていて「入れても入れても残らない」というもどかしい感覚に悩まされた。
元夫とのゴタゴタした期間は当然のこと、その後も数年は軸が定まらないような不安定感が絶えずあり、この4、5年くらいはモチベーションや行動力(持久力に関係する力)は弱くなっていた様に思う。そういう時期を越えて、何か明確な目標と締切に向けて走る様に勉強するのは楽しかった。
純粋に“学び”の喜びみたいなものに触れた期間でもあったかなと思う。

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ボランティアの理事長仕事の、そこに纏わる人間関係には、喜怒哀楽のどちらかといえばネガティヴなものを刺激されることが多い。
振り返ると大抵のことは“あぁそんな事もあったねぇ”となるけど、棘みたいに心に刺さってチクチクと不快感が続くこともある。普通に保護者同士として接している時には気が付かなかったことがたくさんある。
そんなことも、でも色々忘れていけたら良いのだと思う。たぶん一番良いのは、理事長職に就いた時に用意したノートにそんな記憶と感情を書いてしまって自分の頭には残さないこと。
そして理事長になって何がよかったのか?を清濁併せ持つ目線で書けば良いのかも知れない。

ここで簡単に書けば、

⚪︎物事を広い視点で見る力
⚪︎複数の事柄に接して、全方向に注意し配慮すること
⚪︎普段から注意深く、興味をもって周りに意識を向け見ること
⚪︎すぐに、性急に答えを出さず様子を見る力
⚪︎WhatsAppやLINEなどの各グループのやり取りを良い意味で静観スルーする力
⚪︎自分が近視眼的で視野が狭くなっていると気がつく力
⚪︎人の観察眼とサンプル数が増えたことで「人の本質」を考える機会が増えたが、人を見る力がまだ弱いこと

自分自身の発見や磨かれつつある力

きっとまだまだ有るだろう。
2年任期のやっと折り返し地点を過ぎて、その他諸々のことも重なって少し抜け殻のように感じていた時期もあった。
私達が住んでいる州も夏休みに入り、現在はヒースロー空港でこの記事を書いている。昨日から乗り換えでロンドンに来ているが、思わぬ手違いがあり到着が12時間も遅れることになった。
今回は、弟のところに赤ちゃんが生まれるので産後の手伝いに行くのが大きな目的だ。
弟とは今まで関係が薄くあまり密に関わったことがなかった。義妹は高齢初産で産後一月の時期は重要でヘルプが必要不可欠だと思う。
この様なタイミングで関わることができるのも何かの縁だなぁと思う。
助産師の資格もあるので、久しぶりの赤ちゃんに接してずっとこの5年自分の中で封印していたものもまた動き出す予感もする。
お料理は食いしん坊で誰かが作ってくれないかなぁといつも思っているが、美味しいと喜んでくれそれがダイレクトに母乳になることを想えば面倒くささも無くなるだろう。
この1年間、あまり外に出たいとは思わず田舎での生活に浸っていた時期もあり、それを経てまた見える世界がある気がして楽しみだ。

肌寒い欧州からの日本の日々はどんな風か、リラックスして味わいながら過ごしていきたいなと願っている。

もうここ(空港)に住んでるみたいじゃない?
迷宮に嵌りこんだみたいに飛行機には乗れず
ヒースローを彷徨う
この後土砂降りの大雨となった前日のロンドン

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