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時と共に変わってゆく。

この夏、4歳下の弟の家に新しい命がやって来た。

偶然にも私達親子の夏の帰国と出産予定日がかなり近く、産後の手伝いに行くという約束をしていた。
義妹は弟よりも1つ上で“超”がつく高齢初産、産後の里帰りもないので、退院後にご飯作りに通いサポートをするのが私の今夏のミッションだ。

出産予定日は7月中旬で、それが前後ズレる可能性もあるなぁとアレコレ予測していたが、ドイツを出発する朝から誘発分娩がスタートした。
移動時はネットに接続できないので、ソワソワしながら機上での時間を過ごした。3日かかって羽田に到着した時は、いくら何でも生まれているだろうな...と思ったが、繋がったLINEのメッセージから今晩とうとう帝王切開で生まれる予定だという。私達の今回の日本到着もトラブルで異常に時間がかかったが、それを上回る分娩時間にさすがに驚き心配になった。
全く生まれて来ない状況に先走り過ぎた母は、弟の不要な怒りを買ってしまい、私の疲労した頭の中で弟と母からの2方向からのやり取りが入り混じるという特殊な日本帰国の瞬間となった。

クタクタになりながら22時半ごろに民泊のアパートに辿り着き、郵便ボックスのダイヤル回し開けると(解錠方法は直前にメールで教えて貰える)家の鍵が入った錠前キーが入っていた。
それが四桁の解錠番号に揃えてがビクとも開かないので途方に暮れてしまった。
オーナーに連絡しようにも、まだスマホのSIMカードを入れ替えてないためネットに接続できない。よろよろと徒歩5分の最寄り駅まで戻ってみるがどうしようもなく、また引き返し恥を忍んで同じビルの地下階のバーへ行きネットを繋がせてもらうしかなかった。
バーの若いお兄ちゃんは直ぐに事情を理解して、私達を招き入れながら恐ろしい事を教えてくれた。

「前も鍵が開かない事があったけどオーナーと連絡が取れなかったみたいで、他所に泊まったみたいですよ〜」

えぇーそれって騙されたって事ですか!?

気色ばむ私に、

「いえ、部屋はちゃんと上にあるんですよ〜ただやっぱり鍵(家の鍵を容れている錠前)が開かないのにオーナーと連絡取れなかったみたいで...」

こんな深夜に子供を3人と大荷物を持った状態で何処にも行けないし、我々はすでに3日以上かけてここまで来ているのだ。1秒でも早く部屋に入りたい....。切実な気持ちで繋がった携帯を手に、オーナーにメッセージを送ると、思った以上に素早いレスポンスがあった。結局やり取りの末、郵便ボックスに入っていた非常用の錠前の解錠番号を教えてくれ、そっちは問題なく開き中にあった予備の鍵で部屋に入る事ができた。
この一連のやり取り中に子供達もバーの中に入らせてもらい閉店間際に出して貰ったソフトドリンクのお代もいらないですよ〜と、合間にエレベーターの無い4階まで子供達と一緒にスーツケースを上げてくれていた。
お礼にドイツの蜂蜜と密輸した缶入りソーセージを献上しこのドタバタ劇は終わった。
ちょうどまさに同時に、弟からのメッセージで誕生を知ることになった。

弟は結婚も遅かったし、子供は持たない主義だと思っていたので血が繋がった甥が生まれて来ることがとても不思議だった。退院後、初めて会って抱っこした時に伯母としての気持ちがゆっくり込み上げて来た。自分の子供とは違うものだけれど、血の繋がりを感じる不思議な気持ち。
元夫とのことで疎遠になっているドイツ人の義姉がいるが、生まれたばかりの長女を感慨深そうに抱っこをしていた彼女の姿が遠い記憶から甦った。
あの時の彼女は今の私より5歳くらい上で...
こんな気持ちだったのだろうか...。
今まで想像もしなかった角度から、何かが薄っすらと視えてくる気がした。

人と人の繋がりも時と共に移り変わっていく。

1年ぶりの日本、振り返ればこの1年は動く事が少なく自分の周りの事柄に向き合う日々だった。
それがどの様に自分に影響を与えているのか今まで意識して考えなかったが、きっと日本に行けば感じるものがあるんだろうな...と思っていた。
時差が落ち着き、少しだけここでの生活に慣れつつある時、ふとある実感が降りて来た。

“何処にいても自分だな”

日本に帰って来るといつも「日本に居る自分」と「ドイツに居る自分」との差異を感じた。
ドイツにいる自分を好きだと思えず “今しか日本に居れない” と苦しくなっていた。
それはもう日本到着時からやんわりと包むように私の周りに存在し、ドイツに帰国してからの2週間がピークに辛いというものだった。

だから「何処に居ても自分なんだ」と何も気負うことなく自然に思えた自分に驚き、何かじんわりとした安堵感に包まれた。炎天下、普通な顔をして歩いていたが、内心こんな感動を味わっているなんて誰も知らないだろう。人のことは解らないし、自分のことだってあまりよく解らないのが人間なんだと思う。
変化というものを実感する瞬間は、ごく身近な日常に紛れているんだな...と晴天の昼下がり、汗だくになりながら朦朧とするのは暑さのせいばかりではなかった気がする。

そんな実感は簡単に蒸発していきそうだから、もう一度掴み直したい。
そう願う8月1日、未明。


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