“ひと昔”の思い出
今日は次男の10歳の誕生日です。
これで我が家には “つ” がつく年齢の子どもがいなくなりました。
「子どもは“つ”がつく間に一生分の親孝行をしてくれる」と言いますが、きっと昔はこの時期の子は何かの弾みであちらの世界に帰ってしまうことも多かったのでしょう。
おそるおそる見守っていた時期がそろそろ過ぎようとしているのかも知れません。
子の誕生日に想いを馳せると、必ず出産に怯えていたあの頃が蘇って来ます。
第一子が大きすぎて普通分娩できず、ギリギリで緊急帝王切開に切り替わって、第二子からは予定帝王切開でした。
3回目でも手術の日が近づいて来たら怖くって、メソメソしていました。理由があっての帝王切開と分かっていても、やはりその様な形で産むしかできない事に何処か納得がいきませんでした。
そんな想い出も年々遠ざかっていくのを感じます。
改めて10年という年月を振り返って「なんと色々なことがあったのだろう...」と思います。
あの頃見ていた景色と今では全くそれは違っていて、意味合いも何もかもが形を変えています。
そしてもう会えなくなった人たちもいます。
気がついたらベランダの側に咲いているライラックが満開になっていました。
ドイツの母がこの花が好きで、今の季節に飾っていたことを思い出します。
ベランダの階段で背伸びをして枝を少しだけ切って食卓に活けました。
初めてその花房をしげしげと見ると、小さく十字になった花はとても可憐で、なぜハネローレが好きだったかが分かった気がしました。
“この10年よくがんばったね”
と、自分で言ったつもりでしたが、もしかしたら彼女がそれを伝えたかったのかも知れないな...とふと感じました。
今日は早朝から、学校へ持って行くマフィンを作りました。
この夏で小学校が終わる息子が、こうやってお誕生日のマフィンを持参するのも最後でしょう。
終わる時も始まる時もあまり意識しないまま、通り過ぎてからそれに気がつくのなのだと思います。だけど自分のために少しだけ立ち止まって “あの頃” に消化できなかったオモイ達を抱きしめてあげたいと思います。