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もしかしたら、「最も古いレトロニム」=「現金」かもしれない。

 レトロニムのことを考えると、過去と未来が、ややこしくなる。

「固定電話」と「紙の本」

 それほど詳しくおぼえてはいないのだけど、最初に耳に残ったのが「固定電話」だったと思う。それは、確実に昔はない言葉だったのだけど、携帯電話ができてから、同じ電話なので、区別の必要が出てくる、という事情なのは、わかった。

 一つの方法は、今までの家に置いてある電話を、「電話」のままとして、「携帯電話」という言葉を付け足して区別する、ということもできたし、今でもそれをしている人は少なくないかもしれない。

 でも、今「電話して」という時は、(というよりも、電話での通話自体が減っているらしいけれど)ほぼ携帯電話にすることになるのだろうけど、それでも、「固定電話」という言い方が広まっていったのは、もしかしたら電話会社の都合かもしれない。たとえば、問合せがあって、話をする時に、携帯電話の話か、家の電話の話をしているかをはっきりさせたければ、どちらにも名前が必要になるはずだ。

 そんなくどい前置きがなくても、今は、「固定電話」という言葉が普通に使われるようになり、同時に、その言葉が使われる数と反比例するように、固定電話の存在も減っていってる。私のように、固定電話だけが家にあって、携帯もスマホも持っていない(リンクあり)人間は、だんだん、いないことになってきて、たまに、そのことを伝えると、異様な人のように思われるようになってきた。

 それから、徐々に耳になじんできたのが「紙の本」という言葉だった。少なくとも20世紀までは、「本」といえば、ほぼ100%「紙の本」だった。
 そんな時には、「紙の本」という言葉は広まっていかない。インターネットが驚異的なスピードで広がり、スマートフォンが登場してから、さらに加速した頃には、情報は、モニターで接するほうが多くなったと思う。

 だから、今は「紙の本」や「紙媒体」といわれるようになってきて、そのうち、「固定電話」のように、少数派になっていくのかもしれない。さらには、「固定電話」も、「家電」という新しい言葉によって、死語になっていく可能性もある。

レトロニムという言葉

 いつ聞いたのか覚えていないけれど、「固定電話」「紙の本」といった言葉に「レトロニム」という名前があるのを知った。

 この言葉自体が、おそらく昔からあるわけでもなくて、いろいろなものが進歩して、様々なものが古くなりながらも、共存する、という状態にならなければ、それほど必要な言葉ではなかったように思う。

 今が、そうした過渡期かもしれず、そのうちに、「固定電話」が、ほぼ消滅してしまったら、携帯電話のことを、ただ「電話」と呼ぶ時代がくるかもしれないが、その「レトロニム」という言葉のありかたが、面白いと思った。

「レトロニム」とは旧来からある「もの」や「概念」が、新たに誕生した同種の区別されるべきものの登場により、区別されるために用いられる「新たな表現や用語」のことである。

 この説明自体が、すでに過去と未来と、新しさと古さの順番が錯綜していて、複雑な意味合いになっている。

キャッシュレスの普及

 ただ、「紙の本」「家電」「回らない寿司」(この言い方は特に不思議だけど)などは定着しているように思うのだけど、今の時代で、これから先に、生活に密着する分野で、もっとも変わる可能性があるのは「現金」だと思う。

「現金」という言葉が、かなり以前から広く使われていた証拠に、今の年齢が高い人には「げんなま」という言い方をする人も少なくない。

 その「現金」が、「キャッシュレス」という言葉が登場し、その「キャッシュレス」という状態が、爆発的に広がる気配が、いま出てきているのは、私のような、それほど情報に強くない人間でも知っている。

 そして、お金に関しては、キャッシュレスがどれだけ進んだとしても、「現金」という言葉は変わりそうにない。

 それは、ちょっと不思議だった。
                                    

 電話も本も寿司にも、レトロニムが誕生したのに、さらに古くから存在するお金に関しての呼び方が変わらないのは、奇妙にさえ思えた。

「もっとも古いレトロニム=現金」説の発見者(かもしれない)

 どうして、お金には、レトロニムが出てこないのだろう。財布現金」みたいな言葉にならないし、考えにくいと思ったら、あ、そうだ。「現金」という言葉が、すでにレトロニムだからだ。

 まだウィキペディアにも載っていないようだし、発見だ、などと思ったら、すでに先駆者はいた。去年の10月の時点で、レトロニムは?という問いに、「現金」と答えている方はいました。

 ただ、それ以上の詳しいことが分からなかったので、ここから先も、この「冴えないカノソの育てかたF」氏と同じようなことを得意げに語っていたら、恥ずかしい上に、申し訳ないのですが、まずは続けてみます。

貨幣という、不思議な物質

 ここからは、経済関係への知識はほぼないのですが、今の時点での自分の中にある情報と想像力のみで、考えていきたいと思いますので、真偽に関しては保証はできなくて、すみませんが、ご容赦くだされば、幸いです。


 お金は、最初は、石を削ったり、そのうちに変わっても、金貨のあたりまでは、確実に「物」だったと思う。日本でも江戸時代までは、金の小判だったり、銀の小さい貨幣があったので、その「物」としての金銭的な価値と、貨幣の基準がほぼ一致していた時代が長かったのかもしれない。

 国家の安定や、時代の進化によって、紙幣が当たり前になったのだろうけど、実質的な価値はそんなにない「紙」に、決まった金銭的な価値があると共有できたことで、通貨は成立していき、経済は加速していったのだろうけど、その時代の変化の境目の場所にいた人にとっては、もしかしたら抵抗感があったのではないか、とも想像できる。それまで「物」として価値があるものが「お金」だったのに、突然、「紙」に価値があると言われても、そんなに急に納得できたのだろうか。

 ただ、その変化によって、お金というものに、「ノンフィクション」というよりは「フィクション」の要素が入ってしまっているのだし、「共有された幻想」に近いものになっているので、普通の物体とは、ちょっと違うものにはなっていると思う。(そのようなことは、散々、いろいろな専門家によって、書かれているとは思うのですが)。

 それは、考えたら、ちょっと不思議なことだと、改めて思う。

現金は、いつからレトロニムになったのか?

 現金という「現実のお金」みたいな言葉ができたのは、少し考えれば、たとえば、クレジットカードみたいなものが出てきた時とも考えられる。

 もしくは、もっと前に株式や証券や、銀行というシステムができた時に、実際の「お金」の行き来がなくても、ただの数字のやりとりで、「お金」が増えたり減ったりすることが日常になった時点で、すでに「お金」「記号」とか「目盛り」になってしまったと思う。そこには、すでに「虚」の要素が入ってきていたのではないか、と思う。その時に、すでに「現金」という言葉が出てきてもおかしくない。

 さらに遡れば、金貸しという金融業が誕生したのは、かなり昔と言われているらしく、それは、古代に貨幣ができて、ほどなく誕生したらしい。

 その時には、ただ貸すだけではなく、必ず金利というものが発生しているはずで、それがなければ、金を貸すことが商売として成立しない。

 この時は、お客に貸した瞬間に、すでに金利は発生し始めているはずだから、最初に貸した「お金」は現実的な存在だけど、お客の手に渡った「お金」はすでに「金利」によって、返すべき「金額」は(目に見えないけれど)、増えているから、その「お金」が、すでに現実的な存在ではなくなっているともいえる(かもしれない)。

 そうなれば、金貸しの元にあった「お金」は、ある意味で「原資」に近い「原金」であるから、そこにすでに「現金」の意味合いが発生していたのかもしれない。

 金貸しが生まれた時に、ひそかに「現金」という概念が生まれていて、「お金」という存在にとっては、レトロニムも発生していたのかもしれない。それは、「お金」が、もともと「フィクション」に近い存在だったから、そうした概念が入り込みやすかったのだろう、とも思う。

 だから、「現金」はキャッシュレスの時代になっても、「現金」という言葉のままなのは、「現金」はすでに、かなり昔から、もっとも古いレトロニムだったから、という妄想に近い結論です。

 ご意見、疑問など、お聞かせ願えれば、幸いです。


(参考資料)


(他にもいろいろと書いています↓。クリックして読んでいただければ、うれしいです)。

「実質」が「情報」をこえる幸福感。

テレビについて②「放送作家の笑顔が、怖く思える時」。

「水」が「金属」みたいに見えて、「錯覚」や「視覚」について、考えてみました。

「コロナ禍の中で、どうやって生きていけばいいのか?を改めて考える」。①「コロナは、ただの風邪」という主張。 (途中から有料noteです)。

「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」③ 2020年5月 (有料マガジンです)。


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おちまこと
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