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読書感想 『社会運動の戸惑い:フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』 「知られていなかった重要な事実」
知らなかったことを知ったとき、知っていることは本当にわずかだと痛感する。
今日19時まで公開している話題の斉藤さん山口さん出演のポリタスTV、前後編合わせて4時間(!)もあるので全部は聞いてられない、30分ほどで内容を凝縮して日本の宗教右派とジェンダー政策への影響の問題を知りたいという方は今日の「荻上チキ・ Session」聴きましょう。お二人の出演は16:30からです! https://t.co/pzaVvBRZkJ
— 津田大介 (@tsuda) July 25, 2022
失礼だけど、この「ポリタスTV」の動画で初めて知った専門家で、しかも、もう10年くらい前の著書のことも初めて知って、読もうと思った。
その時は、どれだけ重要な事実が書かれているのを知らなかった。
『社会運動の戸惑い フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』 山口智美 斉藤正美 荻上チキ
学者2人と、評論家1人。それも、それぞれが完全に独立して別々の文章を書くのではなく、3人で綿密にコミュニケーションをとりながら書かれるような文献は、実はかなり珍しいのではないだろうか。
ただ、立場が微妙に違う複数の視線と思考があるからこそ、それまで明らかになっていなかった「重要な事実」を明確に見せてくれているのかもしれないと、読み始めて、すぐにわからせてくれるように感じた。
男女共同参画社会の実現を最重要課題と位置づけたものの、その効果が極めて不透明な啓発事業を政策の柱とする行政。啓発事業に持ち込まれた「ジェンダーフリー」という概念を、未検証のままに拡散した女性学・ジェンダー学者たち。男女共同参画・ジェンダーフリー概念を攻撃しつつ、実態と乖離したフェミニズム像をつくりあげてきた保守論壇。その批判を「バックラッシュ派」と一括りにし、これまた実態と乖離した保守論者像をつくりあげていった女性学・ジェンダー学者。これが第一章にて記すジェンダーフリーをめぐる係争のあらましである。
これは、シンプルに読み取れば、女性学・ジェンダー学者たちも、保守論壇も、正面からきちんと対立するのではなく、ずっと実態とは違う「敵」と戦い続けた不毛な時間になっているようにも感じる。
「ジェンダーフリー」や「バックラッシュ」といった言葉や概念は、私は恥ずかしいほど少ししか知らなかったけれど、こうした不思議な「戦い」が続いていたことに関しては、もっと無知だった。
そして、その最初に、誤読事件があったことも、恥ずかしながら、全く知らない事実だった。
「ジェンダーフリー」の誤読
この書籍で初めて、『「ジェンダーフリー」という概念は、米国のバーバラ・ヒューストンが提唱していた』という前提そのものが「誤読」だったことを知った。
原典では、ジェンダーフリーは平等教育の達成には不適切なアプローチだと批判し、ジェンダーに敏感になることを意味するジェンダー・センシティブの重要さが訴えられている。筆者はヒューストン本人にも確認をとった。
この場合の筆者は、山口智美氏である。
彼女は、やはり「ジェンダーフリー」ではなく「ジェンダー・センシティブ」を提唱していた。さらに、日本の学者たちがヒューストンの「ジェンダーフリー」解釈の一つとする「ジェンダー・バイアスからの自由」については、具体的効果がなく弱すぎる解釈だとして関心を示さなかった。ヒューストンは、男女平等の達成には、具体性を欠いたかけ声だけの「ジェンダーフリー」は意味がない、ジェンダーに敏感な具体策をたてることが必須である、こう主張しているのだ。
日本の学者たちは、ヒューストンが個人の意識レベルでの「ジェンダー・バイアスからの自由」という意味でジェンダーフリーを提唱していると誤読した。そしてジェンダーフリーの意識啓発こそが目的なのだと解釈した(山口智美2004:21)。
問題はこれだけにとどまらない。東京女性財団が誤読に基づき紹介したジェンダーフリーは、その後も多くの研究者たちによって誤用され続ける。だが、その間、誰も原点を確認せず、「欧米ではこうなっている」という言葉を反復していったのだ。
この書籍を読んで初めて知った私のような人間が言う資格はないのかもしれないが、それでも、とにかく原典に当たれ、ということは、どんな場所であれ、少しでも論文に関わった人間は何度も言われているはずだし、何よりも前提が間違っていたら、実りある成果を上げるのは、とんでもなく難しくなるのは、常識と言っていいのではないか、とは思う。
「バックラッシュ」派の人々
特に2000年代に入って、フェミニズムに対する「バックラッシュ」の動きが激しくなった。
そんな歴史の大きな流れのようなことは、これも恥ずかしながら、ぼんやりとしか知らなかったのだけど、その「バックラッシャー」と言われる人たちの具体像については、この書籍で少しだけ分かったような気がした。それも初めてのことだった。
山口県宇部市の『日本時事評論』が行なってきたフェミニズムや男女共同参画への批判の内容。そのことがきっかけとなって、宇部市の条例が変わったこと。
千葉県にだけ、男女共同参画条例がない理由。
そこに至るまで保守陣営の中でも分裂があったこと。
世界日報のインターネット戦略の具体性。
福井県の「ユー・アイふくい」の「図書問題」の本当の問題点。
その出来事すべてに、フェミニズム側から見れば「バックラッシャー」と言われる人たちが関わっている。
だけど、この書籍を読み進めると、そこに関わっている人たちが「バックラッシュ」派と一括りできないほど、さまざまな違いもあるし、それぞれの事情も存在するし、もちろんただの怖い人でもないのは、分かってくる。
その理解を読者にも可能にしたのは、ごくシンプルなことのようだった。
本書の特徴は、フェミニズム側である私たち筆者が、反フェミニズム側への聞き取りを行っていることである。
まだ十分に有効な「主張」
これまでの分析を通じた、本書の主張は、極めてシンプルなものだ。
・フェミニズムの運動は、中央から地方へのトップダウンで進められるべきものな
のか。
・文化やコミュニケーション、振る舞いや内面の批評ばかりへと、フェミニズムの
対象が偏っていてよいのか。
・貧困や暴力、差別や排除など、具体的な危機が多数ある中、「ジェンダーの危
機」ばかり叫んでいてよいのか。
・ジェンダー概念を「知っている者」から「知らない者」へと啓蒙、啓発する、そ
うした「キヅカセ・オシエ・ソダテル」活動にばかり偏っていてよいのか。
・フェミニズムはこれまで以上に、実証的な分析と、実行的な活動と提言とを行な
っていく必要があるのではないか。
この書籍が出版されたのが、2012年のことだから、すでに10年が経っている。だけど、個人的には、これらの主張は今でも有効性を失っていないし、まだ解決されていない課題ばかりにも思える。
男女共同参画・ジェンダーフリー論争の様相を一〇年近く観察し、参加してきて、私たちが痛感したのは、実に当たり前のことだ。今の私たちに必要なのは、実証に基づいた丹念な改善提言。潜在的なニーズの発掘と発信。現場のニーズに根ざした活動。状況に合わせた新陳代謝の加速。そしてなにより、社会問題の具体的解決。これらを成すためにこそ、「失われた時代」から学べるものは多くあるだろう。
この文中の「一〇年」と言うのは、この書籍以前の10年のはずだから、合計すると現在までは二十年間、ずっと、これらの課題は持ち越しのまま年月だけが経っていることになるのだと思う。
だから、詳しくない人間が、この書籍で得た知識だけで指摘するのはフェアではないのは間違いないのだけど、それでも、この20年で「失われていた」のは経済や社会のことだけでなく、こうした思想や思考に関わることまで「失われていた」のかと思うと、勝手な感慨かもしれないけれど、改めて重い気持ちになる。
おすすめしたい人
フェミニズム・ジェンダーに関心がある人はもちろんですが、社会運動とまで行かなくても、現状に少しでも異議を唱えたい思いがある人にも、おすすめできると思います。
社会の動きには、具体的な一人ひとりの思いや、言動や、実行が関わってきて、複雑な作用が働いていることも、かなり強く伝わってきますので、人間がつくる社会に関心があれば、必読の作品でもあると思います。
だから、かなり幅が広い人たちにおすすめできますし、読むと知的な新鮮さを感じられるのは、間違いないように思います。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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