「デーモン閣下」が示してくれた「コロナ5類移行後」の「常識」。
2023年の6月下旬のことだけれど、久しぶりに「コロナ関連」のニュースを聞いた気がした。
それは、ライブでの「マスク着用」に関してのことだった。
マスク着用のお願い
この「デーモン閣下」のブログでの呼びかけの中の、「政府や自治体の見解や世の中の流れがどうあれ」という姿勢は、とても勇気づけられるし、真っ当だと思った。
この文中の「個人」ではなく、「個・悪魔」という表現や、禁止義務要請ではなく、座長からの要請として、自己・他己防衛意識に期待したい、というマスク着用に関する本質的な指摘も含めているところも、とてもバランスが取れているし、まさに「悪魔(人間)ができている」としか思えない内容だった。
だけど、この呼びかけに対して、さまざまな声が上がったらしい。
こうした「閣下」の要請に対して、感情的に受け入れられないのなら仕方がないのだけど、今も、コロナ禍が収束していない現時点での状況を考えたら、とても「モデルケース」になりそうな要請のはずだった。
だから、かなり批判があることは意外でもあり、でも「5類以降」前から、マスク着用に対して、実は根拠のあやふやな「敵意」を持つような人もいるらしいことは、何となく感じていたから、納得感もあった。
「閣下」の反論
このことに関して、おそらくは外部の人間には想像もできないほどの多くの反応があって、それも「閣下」への批判のようなものが多かったようで、その約10日後には、同じくブログで、このような「閣下の反論」が掲載されている。
最初に記事として取り上げたのであれば、この「閣下」の補足に関して、もう一度、大きく掲載してもらえたら、最近、忘れがちである『マスクは「もしも自分が菌(やウイルス)を持っている場合、それを他者に移さない」ことの効果が「自分を防御する」ことより上回るものだ。これは何千回もこの数年間マスメディアで伝えられてきた「医学的に裏付けされた」事実』を、改めて、確認できたのに、と思う。
その後、さまざまな研究があったにせよ、この新型コロナ・ウイルスが、無症状の人でも感染させるという特徴も、もう一度、確認してもいいことのはずだ。
インフルエンザ並み
2023年の5月8日から、新型コロナウイルスは「5類移行」になった。
それは、ウイルスの感染状況とはあまり関係なく、人類の側の区分けに過ぎなくて、その後、いたるところで「インフルエンザ並み」と呪文のように言われていたとしても、決定的な治療薬の存在するインフルエンザと、新型コロナウイルスは、同じになったわけではない。
ただ、それまで行われていた感染者数の全数把握や、死者数の発表が、急になくなったことで、その実質とは関係なく、コロナ禍は終わったような印象が強まったのも間違いない。
そして、それを後押ししていたのが、W H Oが緊急事態宣言を終了したことだろう。
この宣言は、ちょうど「5類移行」の頃だった。
だが、この宣言の後の言葉は、意図的なのか、それとも、もう「コロナは終わった」という思いのせいなのか、あまり伝えられていた印象は少ない。
持病を持っていなくて、高齢ではない人にとっては、とにかく早く終わらせたかったコロナ禍だから、これで「終わったこと」にしたかった、という願望の強さが、社会に広がっていた部分もあると思う。
感染増大
「5類移行」から、1ヶ月経った時点で、その感染拡大を、医療関係者はすでに懸念していた。
「5類移行」によって、明らかに変わったことはあったようだ。
そして、医療関係者は、さらに、こうした懸念を示していた。
この時から、1ヶ月ほど経ったが、「重症化しやすい人の早期診断・早期治療、予防接種の呼び掛け、感染対策はいずれも不十分」という状況は、変わっていないように思う。
第9波
だから、その後も、感染拡大は続いていたとしても、その全体像が見えない状態も継続している。
つまり、間違いなく、感染は増大しているし、「第9波」は、もう来ていると思った方がいい。
そして、感染者数は「定点把握」という一般にはわかりにくい方法を採用しているのだけど、感染死者数も、早くても2ヶ月後、というやり方になったのだけど、それが7月7日に発表された。
2ヶ月後、というタイムラグが、「迅速に把握」という表現にあたるかどうかは、報道に際しては、十分以上に検討してもおかしくないのだけれど、そういった点には全く触れることなく、淡々と、この発表に関しては伝えられている。
最初に疑問なのが、「5類移行」前までは、死亡者数も毎日発表されていたので、いま伝えるべきは、5月8日に「5類移行」してからのことのはずなのに、それがわからないことだ。
「5類以降」から、2ヶ月が過ぎようとしている時に、わざわざ4月分を発表する意味もよく分からないのだけど、どちらにしても、「定点把握」のように、「5類移行前」とは違って、こうして、全体像がつかめないような数字の発表になりそうだし、何しろ、2ヶ月前の状況というデータは、適切な対策をとるには、遅すぎると思う。
報道機関
2023年7月1日の東京新聞の社説には、こうした注意が呼びかけられた。このことについては、異論はない。
「調査手法の改善に努めてほしい」は、本当にそうだと思えるが、この記事の表現だと、「5類移行前」は、「医療を必要とする人が迅速に治療を受けられる態勢」だったようにも思えてしまうが、入院が必要なのに、自宅療養中に亡くなった人が、700人を超えたのは、昨年の夏のことだった。
あれから、医療体制が、大幅に改善されたということもほとんど聞いた記憶がないまま、「5類移行」になった。その後、重症化しやすい人間が、コロナ感染した場合に、本当に迅速に適切な治療を受けられるかどうかは、やはり、よく分からないままだ。
報道機関としては、こうした社説での訴えを、もっと強く説得力を持たせるためには、例えば、現在、重症化しやすいリスクの高い高齢者施設が、どうなっているのか?本当に十分な感染予防対策が取られているのか?そうしたことを、きちんと取材し、報道してほしいのだけど、それは、すでに無理なお願いになってしまっているのだろうか。
もし、そうならば、報道機関がどうあれ、何しろ自衛をしていくしかない夏になりそうだ。
「5類移行後」の、コロナに関する「常識」の再確認
自分自身が体も強くなく、持病を持つ家族がいる、という個人的な都合もあり、コロナ感染に関しては、いまも人一倍、関心も恐れもある「一個人」として、今でもコロナ禍は終わっていない(「第9波」が予想される)前提で、確認したい「常識」がある。
それも「デーモン閣下」にならって、コロナ禍をとにかく終わったものにしたいようにも感じる「政府や自治体の見解や世の中の流れがどうであれ」、これからも、感染拡大を防ぎ、結果として感染して死亡する人を少しでも減らすための「常識」を再確認したい。
それは、誰でもない「一個人」のお願いでもあって、強制ができるわけでもない。
それでも、「個人の判断」と言われながらも、なぜか「脱マスク」の微妙な同調圧力があった時でも、マスクを「感染予防」のために着用する、と答えた人が一定数以上いたから、そうした方々には届くはずだ、と思っている。
その、「5類移行後」に再確認したい「常識」は主に4項目ある。
2に関しては、具体的には、必要に応じたマスク着用をすること。
もちろん、これから暑くなるので、運動中や、不必要な場面ではマスクをする必要はない。アクリル板も、どれだけ効果があったのか、きちんと検討もしてほしいけれど、とりあえずは無くなっていくのも必然かもしれない。
それでも、医療施設や、高齢者施設に行くときは、もちろん、満員電車など、人が「密」になる場所では、できる限り、マスク着用をする。(「デーモン閣下」が提示したように、ライブも、そういう場所だと思う)。
それは、自分が感染するのを防ぐというよりは、自分が知らないうちに感染して(無症状でも感染の可能性がある)、他の人に感染を広げ、結果として、自分が知らないところにいるであろう、重症化しやすい人の命を奪う可能性を、わずかでも下げるためだ。
持病を持つ人や、高齢者の方々など当事者の努力だけでは、感染拡大をさせないようにするには、限界がある。自分が重症化しない人に、どれだけ感染予防に協力してもらうかが大事なのは、「5類以降」後も、変わらないはずだ。
これまでと同様に、手洗い、うがいを励行する。アルコール除菌をできる限り、する。自分を守る意味でも、感染して、それを広げない意味でも、今も重要だと思う。
私もそうなのだけど、直接的に、そうした社会を作ることに関与はしにくい。ただ、そうした社会の方が、真っ当ではないか、と支持することはできる。
一個人として、こうした4つのことは、これからも続けるつもりですが、もしも、賛同してくれるのであれば、別に誰かに向けて主張しなくてもいいし、無理をしなくていいので、できる限り協力してもらえるとありがたい、と考えています。
こうしたことは、私自身の家族も含んだ、重症化のリスクがある人にとっては、間違いなく、はっきりとは分からなくても、少しでも感染予防につながる行為だと思います。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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