言葉を考える⑭「勤怠管理」は、どうして「勤務管理」ではないのだろうか。
個人的なことだけど、会社で働く年数が少ないせいか、「勤怠管理」という言葉を、恥ずかしながら、最近、知った。
反射的に嫌な気持ちがした。
管理すること
会社で働いている以上、管理される部分があるのは仕方がない、とは思う。
私が知っているのは、タイムカードで、出勤時刻と退社時刻を打刻する、というシステムで、そこには数字が並んでいた。それに、どこまで本当か分からないけれど、他の人のタイムカードを押して、遅刻などを減らす、といったことまで行われていた、という話も聞いたことがある。
その頃、勤怠管理という言葉は知らなかった。
勤怠の、勤は、働くという意味を表すと思うけれど、怠は、怠ける、という意味のはずだ。
だから、この言葉を聞いた時には、働くことを管理されるのは当然で、それは、給料の支払いを正当に保証されるためにも必要だと思った。だけど、どうして怠けることまで、管理されなくてはいけないのだろう、と反射的に感じた。
管理することと、管理できない(すべきではない)ことは、区別した方がいいのに、思ってしまった。
江戸時代の勤怠管理
働くことを管理するのであれば、シンプルに「勤務管理」という表現にすればいいし、それならば、意味としてもスッキリするのに、どうして、「怠ける」ことまで「管理する」という「勤怠管理」という言葉にしたのだろうか。
自分の情報を探す能力が弱いせいもあり、どうして「怠」という文字が入っているのは、分からなかった。
日本では江戸時代にはすでに、時代劇などでおなじみの「三井越後屋」において「改勤帳」「批言帳」という帳簿を用いた勤怠管理がおこなわれていたという記録があります。
さらに、世界では古代エジプトのピラミッド建造時からあったという指摘がされているから、「勤怠管理」いう概念に、長い歴史があるのは理解できた気がする。
それでも、江戸時代の勤怠管理は「改勤帳」という、勤務を改める、(この時代の改める、は調べるという意味に近いはず)というシンプルな言葉で表現されているように思う。
(余談だけど、ピラミッド建造時に、勤怠管理の概念があったとすると、やはり奴隷とは違うのではないか、と改めて思った)。
どうして「勤務管理」ではなく、「勤怠管理」なのか
「出勤管理」という言葉はあるようだ。
だけど、「勤務管理」という言葉で検索をしても、「勤怠管理」ばかりが、コンピューターの画面には並ぶ。
いつの間にか(私が知らないだけかもしれないけれど)、「勤怠管理」は当たり前の言葉になってしまったみたいだけど、個人的には抵抗感があるので、もう少しだけ考えてみたい。
「勤務管理」だと、勤務のことを管理する、ということで、抵抗感が少ないし、表現としては正確だと思うし、会社という組織とは、勤務だけで繋がっている、というイメージになりやすいし、それで十分だと思う。
もし、休日や、休むことも含めて管理する、というのであれば、「勤休管理」の方が、正確な表現になるのだと思うけれど、どうして「休」ではなく「怠」という文字を採用したのだろうか。
「怠」を採用した理由を考える
ここからは、想像というよりは、やや陰謀論的な意味合いを帯びてしまうので、慎重に考えを進めていくべきだと思うけれど、考えるほど、ちょっと怖さを感じてくる。
怠ける、という表現は、あいまいな部分がある。
かなり内面的な問題で、外から見て、「怠けている」と見えても、本人は一生懸命働いていることも少なくない。
だから、「怠」は、基本的には外部から管理できるものではないはずだ。
では、どうして「怠」までを管理するような用語になったのか。
「勤務管理」や「勤休管理」は、かなり明確な言葉だと思う。「休」は、会社にいない、という物理的に明確な現象のはずだ。(リモートワークが日常になると、また難しくなるけれど)。
そうした言葉と比べて「勤怠管理」は、あいまいさがあるけれど、経営者側から見たら、「勤務管理」や「勤休管理」という言葉よりは、いい表現でいえば、包括的であり、怖い言い方になると、全てを管理できる、という強権的なニュアンスを出しやすいように思う。(明言をすることなしに)
懲罰の基準をあいまいにするのが、独裁国家、というような言葉は、どこかで読んだ記憶はあるが、それと並べるのは強引だとしても、「勤怠管理」という言葉を採用することに、その方向への思考は潜んでいるように思う。
誰が「勤怠管理」という言葉を作ったのか?
例えば、ここだけで断言するのは危険かもしれないけれど、厚生労働省のこのサイトでも、「勤怠管理」という言葉はないように思う。
だから、そこから「会社で働く人間」に向かってくるまでに、どこかで「勤怠管理」という言葉を採用した人がいるはずだ。
ここからも、何の根拠もない推測だけど、おそらくは、経営者側の人だと思う。
そして、この言葉が一般的になる前に、「勤務管理」や「勤休管理」もしくは「出勤管理」も、候補に上がったはずだし、もしかしたら、最初は、企業によって採用する言葉が違っていたかもしれない。
ただ、現在、「勤怠管理」という言葉が一般的になったとすれば、それを支持する人が多かった、という背景があるはずだ。それは、経営者側だけでなく、雇用される側の支持もあったのだろうか。
元々、「勤怠管理」という言葉に「怠」が含まれていることに疑問を持っている人は少ないのだろうか。もしくは、そんなことは分かった上で、そんな面倒くさいことを考えるよりも、飲み込んだ上で働いている人が圧倒的に多いのか。それとも、最初から、そういうことを気にしていないのだろうか。
そのうちの、どんな人たちが多いのか。それを知りたい気持ちは、今も、どこかにある。
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