読書感想 『アイスネルワイゼン』 「小さい棘と、薄い悪意の日々」
誰かがすすめていた文章を読んで、読みたくなった。
ただ、失礼な話だけど、その誰かのことを忘れてしまっても、その本のタイトルを、なんとなく記憶していたのは、覚えたくなるようなタイトルだったせいもある。
これが、この著者のプロフィールだけど、だから、まだ小説家を始めたばかりで、芥川賞の候補になっていることになる。ただ、芥川賞自体が、本来は新人賞に近い役割をしていたらしいことも、恥ずかしながら最近になって知った。
(※ここから先は、内容の引用もしています。未読の方で、情報に触れたくない方は、ご注意ください)
『アイスネルワイゼン』 三木三奈
32歳のピアノ講師・田口琴音が主人公で、ピアノを子どもに教える日常から始まり、それは、どこか淡々とした気配なのだけど、ところどころに微妙に引っかかりを感じるのは、静かであるけれど、平穏ではないことが明らかになってくるから、かもしれない。
例えば、友人である小林との電話での、同級生に関する会話。
同じ高校の同級生であり、その当時に大変な状況であったにも関わらず、どちらもかなり冷淡でありながら、それでも、それを取りつくろうように、それほどひどく思えないような言葉を選び続けている会話で、ずっと薄い緊張感が漂っている、と感じる。
「性格の強さ」のリアリティ
最初のうちは、周囲の登場人物の「性格の強さ」が際立つ部分もあって、それほどわからないのだけど、読み進むと、さまざまな場面で、いろいろな人たちと、主人公の田口琴音のコミュニケーションには、もともと微妙な棘のようなものがあることに嫌でも気がつく。
もちろん、琴音だけの責任でもないのだろうけれど、いろいろなことがうまくいかなくなっても、それがまるで、無意識のレベルかもしれないが、琴音本人が望んでいることのようにさえ思えてくる。
例えば、視力を失いつつある友人とその夫と、子どもがいる家庭を訪問して、さまざまな会話がある。その友人は、この作品の中では唯一といっていい穏やかな言葉をかけてくれる女性なのに、その関係に対して、どうしようもなく棘をむき出しにしてしまうような瞬間まである。
この場面の描写も、まるですぐ目の前で起こっている出来事のように感じるが、そのあとに、現在少しトラブっている友人、小林との、今回は取りつくろう部分がごそっと抜けた、むき出しの敵意の向け合いの電話のあとに、友人夫妻の部屋に琴音は戻ってくる。子どもは寝てしまっているが、こんな会話が始まる。
そのあと、次の目的地に行くために駅に向かうが、クルマで送ってくれた友人に、さらに追い討ちをかけるような言葉を使ってしまい、それは「嫌われるため」と繰り返す。おそらく、こうした言動は、本人にもどうしようもないことなのだろうと思わせる。
そして、もし周囲に琴音のような人がいたら、「性格が悪い」という言葉で、すべての人は去っていってしまうかもしれない、とも思う。
だけど、その出力の度合いが高いだけで、こうした琴音のような棘のあるコミュニケーションを、自分から全く発したことがない。という人もいないのではないか。
そんな実在感の強さは、ずっと伝わってくるから、読者としても、微妙に落ち着かないような思いになり続けてしまう。
「崖っぷち」からの転落
友人との関係も自分から悪化するようなことをする、というよりも、もしかしたら本人の意志とはあまり関係なく、そうした言動をしてしまうのかもしれないし、誰かに連絡を取るにしても、そのタイミングにもあまりにも恵まれない。
「嫌われるため」と言いつつも、本当は嫌って欲しくないのだろうけれど、これでは嫌われるだろうという友人とのコミュニケーションのあと、夜行バスに乗って、琴音は遠い街へと向かうが、そこで目的だった彼と会うこと自体がうまくいかない。
それから、やけになったのか、よく分からないナンパのような行動をしたり、何事もなかったかのように次への準備のための動きを始めるのだけど、その間も、そんなことまでしなくていいのに、といった行為を重ねていく。
ずっと薄めた悪意を元にした行動をしているように見えるのだけど、でも、自分自身も、これに近い言動を一度はしたような気もしてくるし、少なくとも思ったことはあるし、と内省もしてしまう。
それでも、一つ一つの悪意は薄くても、そしてやけになっても仕方がないと思えることがあったとしても、そのとき、何かの抑制がとれたような言動を重ねることによって、それまで気がつかないうちに「崖っぷち」にいたのに、そこからゆっくりとだが確実に転落していく瞬間を、リアルに描いているのかもしれない、と思えてくる。
そして、こんなふうに小さな棘と、薄い悪意の毎日をつくり続けてきたら、いつかは崩壊してしまうのも必然ではないか、と少しの怖さとともに、思ったりもする。
ただ、これが現代であれば、あらゆるところで起こっているようにも思えるので、21世紀の日常、というものを知りたいと思ったときには、欠かせない作品のように感じる。
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