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「おしんこ二切れしか、食べられなくなる」と、微妙に脅された記憶。

 〇〇があれば、ご飯何杯でもいける。

 そんな言葉があって、それは比喩的な表現だと分かりながらも、大げさではないか。という気持ちと、確かにみそ汁で2杯、オカズで5杯、と若くて、運動部の合宿中には実践もしていたから、あり得る、という思いの両方がある。

 そして、その〇〇には、いろいろな食べ物が入るし、人によっては違うのだろうけど、おそらくは、そこに「おしんこ」もしくは「漬物」と呼び名は変わっても、そんな自分の好きな「香の物」があれば、ご飯何杯でもいける、という気持ちになる人は、昔も、そして今でも一定数いるのは理解できる。

おしんこ二切れ

 今では、都市伝説のように聞こえるかもしれないけれど、「味の素」といった「うま味調味料」で、頭が良くなる、などと言われていた時代があって、だから、しょうゆと、たっぷりの「味の素」をかけて、おしんこを食べる人が少なくなくて、私自身が育った家も、親にそうした食習慣があった。

 それだけが理由ではないのだろうけど、好き嫌いがない子どもだったのに、おしんこはそれほど積極的に食べなかった。別に嫌いではないのだけど、何切れが食べると、もう、それ以上はいらない、といった気分になっていた。

 ただ、子どもは、ご飯だけではなく、おかずもさまざまな種類のものを、もりもりたくさん食べる、という価値観が強い時代で、それは、自分の育った家も例外ではなかったので、他のおかずに比べると、明らかに、おしんこを食べる量が少ない私に対して、母親は時々、こんなことを言った。

 あのね、大きくなって働くようになって、会社の寮に入るとするでしょ。そうすると、そういうところで出される食事には、おしんこ二切れくらいしかつかないのよ。だから、今のうちに食べておいた方がいい。

 ただ、その予言のような、微妙な脅しのような言葉は、二つの点で外れていた。

 一つは、寮があるような大きな会社に勤めることはなかったこと。

 もう一つは、おしんこ二切れもあれば十分というよりは、もしも、なくてもそれほど困らない大人になったことだった。

価値観

 自分自身もそうだけど、例えば働くことに関しても、本当に狭い範囲しか分からないし、自分の経験を元にした価値観しか持てないことが多い。

 例えば、一般企業にネクタイとスーツで通っていた父親にとっては、カジュアルな格好をした同じビルの出版関係の社員の姿を、日常的に見ていただけで、「マスコミは、ヤ○ザだ」と、飛躍した持論を展開していた。

 それに逆らったわけでもなく、あまりにもできることが少ない自分自身をわかっていたので、その適性と、何より、自分がやりたいことを優先して、私は、マスコミに就職した。その後、さらに社会の片隅の存在であるフリーのライターになった。

 今から思えば、全国各地に支社があって、社員寮や、社宅が完備されるような、(私もそこで育ったから、社宅の子だけど)いわゆる大企業で知り合って、結婚した両親は、働くことに関しては、比較的、価値観も共有できたのだと思う。二人とも、食べること自体が大変な時代を生きてきたから、会社が大きくて安定していることは、大事だったのだ。

 そう思うと、そうした両親のおかげで、子どもの頃は、飢えたこともなかったし、現在でも、かなりの低収入ではあっても、今のところは食べるのに切実に困ったことがないから、環境に恵まれているとも思える。
 だから、今でも、おしんこが食べられなくても、それほど、困ったりもしないのだろう。

 だから現時点でも、大げさに言えば、海外のものでも、おしんこ的なものを避けがちで、好きな人もいるのは分かっているのだけど、あまりピクルスを食べたいとは思わない。といった選択ができる余裕があるのかもしれない。

記憶

 母親の生きてきた時代は、カロリーが大事だったり、肉が偉かった時代で、だから、食卓には、トンカツやコロッケや唐揚げなどが、並ぶことが多かった。それも、今から考えたら、とんでもない分量だったのだけど、おいしかったし、いくらでも食べられる気もしたが、それは、子どもの成長を願ってのことだったのは、わかる。

 そうやって、揚げ物をつくるのは、他の料理もそうだけど、いろいろな手間ひまがかかったのに、良くつくってくれたと、やっぱり感謝する思いもある。


 父が亡くなってから、約30年が経ち、母が亡くなってからでも、15年以上が経過した。だから、もう、随分と昔のことになるのに、いまだに「おしんこ二切れ」のことは覚えている。考えたら、母は自宅でぬか床をつくって、毎日、かき混ぜたりしていたから、とても手間がかかっていた。たまに、重しの石を、そのぬか漬けの樽の上に置くことを手伝ったこともあった。

 だから、「おしんこ二切れ」も、当たり前だけど、子どもの健康のことを考えての言葉だったのは、自分に子どもがいなくても、わかる気がする。




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