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読書感想 『あやうく一生懸命生きるところだった』 ハ・ワン  「誰もが言ってほしい言葉」

 今の時期に、不思議に思うのは、受験生への社会の共通の気遣いのようなものだ。

 受験生に対しては、みんな優しいような気がする。

 自分が、受験生の時は、どう考えても、仕事をしている社会人の方が大変なのに、テレビのアナウンサーまでが、なぜ、柔らかい声をかけてくれるのだろうか、といった疑問はあった。

 隣国の韓国では、受験の競争がより厳しいということは、ニュースなどで知っていた。同時に、どうやら日本よりも、受験生が大事にされているらしい、ということも伝わってきた。

 そして、この2国は、自殺率が高いことでも共通している。

 2016年のデータで、韓国は2位、日本は7位。

 受験生への優しさと、競争の激しさと、このことは、どこかつながっているのかもしれない。

「あやうく一生懸命生きるところだった」 ハ・ワン 

 この本が韓国でベストセラーになった。日本でも翻訳本としては高い売れ行きを示しているらしい。

 今年もあとわずか。2ヶ月後に40歳になる。そんな人生の節目が目と鼻の先まで迫り、まるで人生最期の日を迎えるがごとく、そわそわと落ち着かなかった。
 まさか自分がそんな年齢になるとは……もう40歳だなんて。いつのまに、そんなに時が流れてしまったのだろう。まだ、何ひとつ成し遂げてないのに。

 こんなことを思わない人はいないかもしれない、と思うくらい既視感のある言葉だったし、この年齢のところを入れ替えれば、もしかしたら、一生、こんなことを、10年ごとに思うのかもしれない。

 僕には勝った記憶がない。毎日誰かの成功談が降りそそぐこの世界で、自然に敗北感に苛まれていた。
 一生懸命やっても、状況は良くなるどころか悪くなる一方だった。死に物狂いでやってきたのに、ようやくこの程度だなんて、あんまりじゃないか。
 いっそ適当にやってきたなら、これほど憤りは感じなかっただろうに……。どうにも負け続けている気分が拭えない。
 ところで、誰に負けているのだろう?

 同じようなことを思った記憶が、私にも、確かにある。

 だけど、こうして広い場所へ向けて、伝えただろうか。もしかしたら、こんなことを思っているなんて、「自分だけ」のような気がしていたから、恥ずかしくて、しかも、まだ自分が「負けていない」と思いたくて、言わなかっただけだったのかもしれない。同時に、まだ努力が足りないのかもしれない、ということは思っていたような気がする。

 でも、その「努力が足りない」の思考は、場合によっては、その本人を追い詰めることさえあるのだけど、著者は、違う決断をする。

今日から必死に生きないようにしよう、と。
 心配するため息があちこちから聞こえてきそうだ。アイツとうとう逝ってしまったかと。ムリもない。僕だって心配でどうにかなりそうだから。
 誰しも必死に頑張ろうとする世の中で、一生懸命やらないなんて正気の沙汰ではない。
 でも、自分自身にチャンスを与えたかった。違った生き方を送るチャンスを。自らに捧げる40歳のバースデイプレゼントとでも言おうか。

 著者は、勤めていた会社を辞めて、フリーのイラストレーターだけになる。(これまではダブルワークだった)だけど、イラストの仕事も依頼がない上に、それほど好きでないことに気がつく。

 そして、話はそこからだった。

努力が報われる、ということについて

 いったん、止まったおかげなのか、何かを諦めたせいなのか、その少しの余裕のためか、著者には、たぶん、いろいろなことが見えてきているのだと思う。

 事実、必死に頑張ることも、血の滲むような努力もなしに恵まれている(成功している)人は存在する。一方で、誰よりも一生懸命頑張っても報われない人もいる。

 こうしたことは、成功した人間が言うと説得力があるのかもしれないけれど、実際には、成果をおさめた人間は、こういうことを言いたがらず、多くは、自分の努力のおかげということになるので、あまり広く言われない印象が強い。

 だけど、これが常識として少しでも浸透すれば、わずかでも楽になるのに、と自分自身も、思っていたことに、改めて気づく。

 努力してもどうにもならないとか、努力した分の見返りがない場合もある一方で、努力した以上の大きな成果を収める場合もある。 
 この現実を認めれば、苦しみからは少しは解放されるだろう。
 自分が“こんなにも”努力したのだから、必ず“これくらい”の見返りがあるべきだという思考こそが苦悩の始まりだ。

選択肢について

 著者は、韓国でも難関と言われる美術大学へ入学した。それは、その入学だけに意味があるというような「価値観」の中にいたからで、四度目の挑戦で達成した。中には7浪する人もいるらしいので、この話は、日本で言えば、東京藝大、のことを思い出させるし、日本と韓国は、想像以上に似ている「社会構造」なのかもしれない、とも思わせる。

 あれほど苦労してホンデに入学したというのに、人生が変わることはなかった。キャンパスのロマンや学びへの情熱はおろか、ひたすら学費を稼ぐためのアルバイトばかりの毎日。大企業からのスカウトなんていう噂も、文字通り噂にすぎなかった。誰もが自分の食い扶持を探すことに奔走していた。そして、僕は道を失った。

 その後も、自分にピンとくる仕事に出会うわけでもなく、イラストレーターだけだと収入も少ないので、会社にも勤め始める。だけど、40歳を前に、辞める。そんな自らの過去の試行錯誤も含めて、著者は、こんなことを指摘している。

 たった一つ、この道だけが唯一の道だと信じた瞬間、悲劇が始まるのだ。  
 あまりにもつらく、耐えがたいならあきらめろ。あきらめたって問題ない。
 道は絶対、一つじゃないから。

誰もが言ってほしい言葉

 考えてみたら、病気になることもなく、40歳を手前に、急に生きる速度をゆるめることは難しい。

 うまくいかない時には、もっと頑張ろうとすることを選択しがちな私たち(これについては、私自身も、おそらく多数派だと思う)にとって、いったん休んだり、止まったりするのは、返って難しく、だから、著者の「実験結果」について、知りたくなるのだろう。

 しかし、よく考えてほしい。
 思い通りにいかない方が正常だということを。
 もしかして人生とは、自分の願いや選択が叶うほうが少ないのかもしれない。
 ここ数年は幸せを感じる瞬間が増えた。状況が好転したからではない。
 ありのままの自分から目をそらして苦労し続けることをやめ、今の自分を好きになろう、認めようと決めたからだ。
 自分の人生だって、なかなか悪くないと認めてからは、不思議とささいなことにも幸せを感じられるようになった。
 こんなことにまで幸せを感じられるのかってほどに。

 この著者の人生が、失礼ながら、誰もがうらやむような成功でないのに、こうした言葉が、強がりでも、無理をしているようにも思えない。

 だから、おそらくは、同じような言葉は、これまで「自己啓発」の分野で言われていたのだろうけど、それは「未来の(今と違う)自分」を設定していたとすれば、この著者の「自己肯定」は、現在の受容として説得力を持っているのかもしれない。

 理想通りにならなくても人生は終わりじゃない。僕らは与えられた人生とともに生きていかなければならない。 

 おそらく、著者が語っているのは、誰もが思っていて、同時に、誰もが「言ってもらいたい言葉」なのだと思う。

 これからは一生懸命頑張る人生は終わりだ。耐えしのぶ人生は十分に生きた。
 結果のために耐えるだけの生き方じゃダメだ。過程そのものが楽しみなのだ。
 この先、こう考えることに決めた。ワープして飛び越えたくなるような苦しい時間ではなく、楽しい時間を過ごそうと。

おすすめしたい人

 どうして生きているのだろうか。そんなことを、時々、無力感と共に思う人。
 疲れているような気がするのだけど、疲れているか分からなくなった人。
 頑張ってきたのに、報われていない焦りや怒りがある人。

 自分にも、そんな時があるのですが、そんな方々に、おすすめしたいと思っています。
 もしかしたら、ある程度、大人と言われるような年齢の方のほうが、より深く共感できるのかもしれません。




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おちまこと
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