スポーツの記憶④小さな写真の中の「フリーキック」
メディアが少ないと、限られた情報への集中力が増す。
だから、少し粗くて、とても小さい写真の中にでも、そのフリーキックの軌跡が見えていたように思う。
マイナースポーツ
繰り返し言われていることだけど、何十年か前は、サッカーは日本ではマイナーなスポーツだった。ワールドカップの決勝をテレビ中継する時のゲストが、プロ野球の王貞治だった。「ホームラン世界記録」とのつながりだったと思うけれど、真面目そうな語り口だけに、特にサッカーに詳しいわけでもなさそうだから、とまどいながら話していたのは覚えている。
マイナースポーツであることは、当時のメジャースポーツであるプロ野球の力を借りなくてはいけない、ということだったのかもしれないが、王貞治に全く落ち度はないが、サッカーが好きな側から見ると、微妙な戸惑いはあったのかもしれない。
ダイヤモンドサッカー
多分ベテランのサッカーファンの口からは何度も語られていると思うので、もしかしたら食傷気味かもしれないけれど、1970年代には、世界のサッカーをテレビで見られるのは、ダイヤモンドサッカーしかなかったと思う。
当時は、ビデオ録画の機械も一般的でなかったので、テレビは、その時にその前に座っていないと見られない。関東では、土曜日の夕方に放送していて、それも、毎回、試合の前半、もしくは後半しか見られない。だから、1試合を観戦するのに2週間かかる。例えば、その頃は、ドイツのサッカーへの関心が高い頃でもあったので、ブンデスリーガーの試合が多かった記憶もあるが、今見ている試合は、下手をすれば何ヶ月か前の映像を見ていることになっていた。
今、考えると、海外のサッカーというものが、より遠くに感じるようなシステムだった。
ただ、そのころは個人的には、サッカー部の練習があって、土曜日は、練習が終わって家に帰ってくると、残り5分くらいしか見られないことがほとんどだった。最後に、スパイクのプレゼントがあって、それには何度も送ったが、当然ながら一度も当選しなかった。
だけど、あの時代に、ずっと世界のサッカーを放映してくれていたテレビ東京には個人的には感謝しているので、その後、サッカーがメジャーになってきたときに、ワールドカップ予選を放送し、高い視聴率をとった時には、それは、当然の報酬のようにも思っていた。
サッカー専門誌
サッカーの専門誌は、私にとっては、「サッカーマガジン」と「イレブン」だった。
「サッカーマガジン」の方が安かったし、国内の高校サッカーなどの情報も多く扱っていた。「イレブン」は海外サッカー情報重視だった。その時によって、どちらかを、毎回のように買っていたが、「サッカーマガジン」の方を多く買っていた、と思う。
どちらにしても、月刊誌だったので、次号が出るまで、かなり隅々まで読むことになっていた。途中で、「サッカーマガジン」が、月に2回発刊に変わった時は、二冊買うようも一冊の方が金銭的な負担が少なかったので、「イレブン」を買うようになった。
それでも、サッカー専門誌で学んだことも多いし、そして、後から考えたら、その雑誌だけの責任でもないけれど、プレーの分析方法が決して正しいわけでもないことに気がついたりもした。
例えば、シュートなどの時に、バックスイングが小さい方が早く蹴ることができて、有利だ、みたいなことが書いてあって、そこに有名なストライカーの連続写真が添えられていた。それを見ると、確かに、ボールが来るところに踏み込んでから、シュートを打つまで、嘘のようにバックスイングが小さい。学生だった自分は、それを素直に解釈し、なるべくその通りにしようとしていたら、普段のパスなどもそのフォームになり、筋力もないため、ロングパスが苦手なままだった。
それから、かなりの時間がたち、サッカーの専門誌に、私自身が、取材をして記事を書くようになった。その頃、当時の強豪チームのコーチに話を聞き、実績も理論も納得できるような方がいらっしゃったのだけど、その方に、キックの際のバックスイングのことを聞いた。
ごく自然に、教えてくれたのは、バックスイングを大きくすれば、キックの力は増す。蹴り足の移動距離が長くなればなるほど、強いボールが蹴ることができるはず。それを意識すれば、キック力は増大すると思う、と伝えてくれた。
自分は、もうただの中年になっていたけれど、試してみた。すぐ近くのゴールのバーを、バックスイングを大きくすることで、蹴ったボールが超えることができた。それまではできないことだった。フォームを大きくして、それで早く振り切ればいいだけだった。
昔の情報は何だったのだろう。
あれだけの強いシュートを打てるということは、大きくバックスインングをして、早く振り下ろしていた可能性も高いけれど、あの連続写真は、今からいえばコマ数が少ないから、その大きく振り上げた瞬間は写っていなくて、すでに蹴り足を、おろし始めた瞬間が、写真におさめられていただけかもしれない、と思うようになった。
それだけ覚えていた自分も、意外だった。
小さな写真の中の「フリーキック」
昔は、サッカーの「映像」に接する機会は少なかった。
週に1度の「ダイヤモンドサッカー」も、練習が終わったあとだから、5分くらいしか見られなかった。
あとは、プレーを写した瞬間の写真を見て、文章を読んで、それを何度も想像していた。
サッカーの専門誌は、月に1度の発行だったから、その時間はたっぷりあった。
その小さい写真の中で、最も覚えているのは、1974年ワールドカップ。ブラジル代表の、ペレの後の「10番」をつけていたリベリーノのフリーキックだった。東ドイツ戦。ゴール前、ペナルティエリアの少し外。そこで直接フリーキックを得たブラジルのキッカーは、リベリーノだった。
当然、相手チームは壁を作る。そこにブラジルの選手の一人が割り込む。ただ、なんのためにいるのか、よくわからないから、そのまま審判の笛が吹かれる。キッカーのリベリーノが走り出す。蹴る寸前、相手の壁に割り込んでいたプラジルの選手がしゃがみ込む。壁に、その分だけ、わずかな「穴」ができる。リベリーノが蹴ったボールは、その「穴」をかなりのスピードで通っていき、そのままゴールになった。ゴールキーパーは、ほとんど動けなかった。
といった文章が添えられた小さな写真を見ていると、そのフリーキックが見えたような気がした。個人のスキルだけでなく、そのアイデアが面白く、すごく真似をしたくなるけれど、少なくともトップレベルでは、使えなくなるプレーでもあった。このフリーキックが存在してしまった以上、もう次からは、壁に敵が入るのは許してくれないだろうから、すごく貴重なプレーでもあった、と思ったし、だから、余計に印象が強くなった。
あとから考えると、その相手の壁に入り込んだのも、ジャイルジーニョという偉大なプレーヤーだったから出来たのかもしれないと思うようになった。壁に割り込んできても、邪険に扱えず、そして、そのフリーキックが成功したのだろうと推測できた。
そのフリーキックを実際の映像で見たのは、随分と後のことだった。
プレーが始まってから、ゴールになるまで、あっという間で、その場にいたら、一瞬、何が起こったか分からなかったのではないか、と思った。そして、しゃがんで出来た「穴」は想像よりも小さかった。
そして、自分が小さい写真を見て、頭の中で想像していたリベリーノのフリーキックは、もっとボールはゆっくりと動いていたことに気がついた。それは脳内再生で、知らないうちに、スローモーションになっていたせいもあると思う。ずっと忘れらないけれど、自分の記憶としては、小さい写真の中で見ていたフリーキックとして、定着するのかもしれない。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただけると、うれしいです)。