読書感想 『星月夜』 李琴峰 「心細さと、分かり合えなさ」
しばらく芥川賞のようなものに興味が持てない時期が続いたのだけど、再び興味を持てたのは、ラジオ番組で、小説をどう語るか、といった面白さにも接してからで、それで、改めて作品を読もうと思えた。
(なんだか、偉そうで、申し訳ないのだけど)
この番組の中で、日本語が母語でない作家の作品の語られ方と、実際に芥川賞を受賞したので、「彼岸花が咲く島」を読んでみた。そこには、言葉として近づけそうだけど、自分が理解しようとすると、かなりの困難があったので、読み進むのをやめてしまった。
おそらく、その体験は、違う国、異なる文化、母語でない言葉に接することの疑似体験をさせてくれる作品であったと思うのだけど、自分にそこを読みきっていく力が足りなかった。
そして、別の作品を選んだ。
小説を読んでいる間、ずっと、心細さと、分かり合えなさを、感じ続けられたと思う。
『星月夜』 李琴峰
二人の女性が、日本という異国で出会う。
一人は、台湾出身の日本語の講師。もう一人は、中国ウイグル自治区出身の学生として。
二人は恋愛関係になるが、様々な違いを、微妙に、時に強く意識するようになる。
例えば、第三者の日本人からみて、この恋人同士は、完全なコミュニケーションをとっているようにさえ見える、と指摘される場面もあるが、そこで、日本語の講師は、こんなことを思う。
言語のことだけ考えれば、あるいはそうかもしれない。しかし私は本当に玉麗吐孜のことをよく分かっているのだろうか。彼女を育んだもの、彼女の信仰、彼女の置かれている境遇 – 分かっているつもりだけで本当は分かっていないのではないだろうか。しかし、一人の人間について、一体どこまで分かれば、「分かっている」と言えるのかと、そんなことを考え出すとますます分からなくなってしまった。
それは、彼女たちにとっての異国である日本しか知らない読者の私にとっては、本当に分かっていないことだと、改めて思うが、思いがあるからこそ、余計に分かろうとして、だから、その分かり合えなさに出会うことに関しては、それでも、共感できる部分もあるのかもしれない、とも思う。
言葉への感覚
母語である日本語について、実は、分かっているようで分かっていないことも、特に、台湾出身の日本語の講師の視点によって、少し思い知らされるような気持ちにもなるが、これは、おそらくは他の書き手では表現できないことだとも感じた。
「コンニチワ」と何人かの生徒が私を見かけるなり日本語で挨拶した。発音における母語干渉の特徴を把握していれば、たった五音の慣用句だけでも、ある程度生徒の母語を特定できる。漢語母語話者は二拍の「コン」を一拍として発音しやすく、無気音のはずの「チ」の気流が強過ぎる傾向がある。英語母語話者は大抵「チ」の母音を円唇化し、アクセントも間違って「チ」に置く傾向がある。韓国語母語話者は発音する度にアクセントの型が変わり、タイ語母語話者は「ニ」が脱落した上で「チ」を「シ」と間違えて発音する時がある。
さらに、日本語を母語としない人たちへ向けて、日本人が、どのような「視線」を向けているのかを、(自分も含めて)改めて気づかされたりもする。
例えば、大学で日本語を講師として教える主人公は、学会で、発音の重要性を伝えて批判されるが、それに対しての反論を語ることで、そうした「視線」も明確になる。
彼らの多くは、「今どき正しい発音を学習者に求めるのは酷だ、発音が正しくなくても、意味が分かればいいのではないか」などごもっともな意見を口にする。しかし私からすれば、日本社会で非母語話者が置かれている状況、発音が訛っていると馬鹿にされかねない現実を彼らはあまり理解していないように思える。
日本という異国
そして、今の日本という国のシステムが、異国から訪れる人たちに対して、どのような扱いをしているのか。それに対して、自分も、全くの無関係ではいられないが、そのことが、垣間見える描写もある。
入管ではいつも待たされる。「時間がかかる」というのが、入国管理局に対する外国人の共通認識と言ってもいい。(中略)ディズニーランドの人気アトラクションでもあるまいに、立て札には平然と「待ち時間およそ150分です」と書いてある。
ウイグル自治区出身の女性が、在留カードを携帯せずに外出しただけで、警察署に連れて行かれることもある。そして、その扱いは、冷たさではなく、同じ人間として接していないような残酷な無関心が背景にある気がしてくる。そこには悪意すらなく、ただ淡々とマニュアル通りに、仕事をこなしているだろう人の姿さえ、イメージとして浮かぶ。
警察署に着くと四十代に見える女性の警察官が出てきて、そこで徹底的に身体検査をされた。靴を脱がされ、バッグの中身を調べられ、財布の中のキャッシュカードや病院の診察券、ポイントカードまで一枚残らず取り出されてチェックされた。(中略)
小一時間問い詰められ、空腹に耐えられなくなりそうになった時に、やっと在留カードを取りに行こうと言ってくれた。
星月夜
この本のタイトルは「ほしつきよる」で、「ほしづきよ」ではない。
日本語としては、「ほしづきよ」なのだけど、この本を読んだあとだと、「ほしつきよる」という言葉がふさわしい時もあるんだと、思えるようになる。
母語でないことで、より厳密に突き詰めることで、やっと少し見えてくるような言葉の不思議さもあるし、そうしたことで、本当の意味で、新しい言葉が生まれるかもしれない、と思える場面もある。
言葉そのものに関心が高い方ほど、おすすめできる作品だと思いました。さらには、人と人との分かり合えなさも、迫ってくるように感じられる小説でもあるので、毎日が味気ないかも、と思っている方にも、特に読んでほしいと思っています。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。