「脱げかかった靴下」は、どうして面白いのだろう?
冬になると、いわゆる発熱系の厚い靴下ばかりをはいている。
コタツにも入って、あたたかいと思っていて、そこから出るときも、ちょっとためらうくらい寒い日もある。
そんな冬の日、在宅で作業をしていて、座っている時間も長くなって、だけど立ち上がって、1階へ行こうとしたら、妻が笑っていた。
靴下
何も面白いことをしていないのに、かなりうれしそうに笑いながら、私の足元を見ている。
私自身も、ちょっと違和感があったのだけど、それは、靴下が脱げかかっていて、その様子は、ビローンという擬音が似合う状況になっているのに気がついた。
妻は、しばらく笑っていた。
確かに、面白いのかもしれないけれど、自分自身の靴下が脱げかかっていると、足元がちょっと寒くなっているから、その微妙な不快感もあるせいか、それほど面白くはない。
もし、妻の靴下がビローンと脱げかかっていたら、そのときは、もっと面白いのだろうか。
そもそも、どうして、靴下が脱げかかっていることに、笑ってしまうのだろう。
下がったストッキング
その昔、雨の中でサッカーをしているとき、やたらとウケたことがあった。
それは、練習中だったと思うけれど、土のグランドだからドロドロになって、何しろボールも重くなったし、スパイクも履いているストッキングも水も吸っていた。
サッカーのひざまであるストッキングは、足の保護の目的もあるから厚めの素材で、そのころは、まだスネ当てが義務付けられていなかったから、ストッキングの下は素足だった。そして、試合中にストッキングがずれてくることもあったから、ストッキング止めというテープのようなものを使って、しっかりと固定される。
ただ、そのときは、そのストッキング止めを忘れたのか、ボールを蹴っているうちに、どこかへ落としてしまったのか定かでないのだけど、ストッキングが下がってきた。
もし、止めるものがなくても、ストッキングが新しく、止める力がしっかりあれば、それほど下がらなかったかもしれないけれど、そのときのものは、もう随分と使っていて、細いゴムが表面に飛び出してくるようで、明らかにちょっとボロくなっていたと思う。
そのせいか、雨の中でサッカーをしていたら、いつの間にかストッキングは下がっていた。すごく短いルーズソックスのような感じになっていて、それで、さらにプレーを続けていて、ボールを蹴っている時に、足に違和感があった。
ストッキングは完全にずり落ちた。それから、スパイクが、裏返しのストッキングをはいているような状態になった。ストッキングが、ビローンと足先から伸びている。
それを見ていた、そのグランドにいる人間は、すごく笑っていた。
スパイクがストッキングを履いてる!
その状態から、プレーの後、もう一度戻して、自分のヒザまでストッキングを上げたのだけど、しばらく経って、ボールを蹴ったとき、また同じようにストッキングが完全に下がって、その向こう側まで行って、裏返しでスパイクを包むような状態になった。
また、笑いが起きている。
確かに、ボールを蹴ったあと、スパイクの先まで、ストッキングが伸びているから、足の形が変わってしまったようで、明らかに異質な感じになっているのは、わかる。
ストッキングの足元は、スパイクでしっかり固定されているから、脱げることはないものの、ストッキングに包まれたスパイクは長い布状の物体になっているように見えた。ひざ下までの長さのストッキングだから、足のサイズで言えば、40センチくらいの長さということになる。
それは、変だと思っていたし、自分でも笑いはしたものの、何しろ、何度もストッキングを整えるのが面倒くさかったし、それほど面白いとは思えなかった。
ただ、もし、自分ではない誰かが同じ状態になったら、やっぱり、もっと笑っていたはずだ。
どうして脱げかかった靴下のようなものは面白いのだろう。そして、それが自分だと、それほど面白くないのに、他人が、その状態になったのは、すごく笑ってしまうのだろう?
脱げかかった靴下で、妻が笑ったことで、そんな昔の雨の日のことまで思い出した。
イヤミの「シェー」
これも、さらに昔の話だけど、赤塚不二夫の「おそ松くん」の中にイヤミというキャラクターが出てきて、「シェー」というポーズをするが、当時の子どもは誰もが真似をしていて、比較的おとなしくて、そういうことをしなかった私のような子どもまで、そのポーズで写った写真があったりするほどだった。
その真似をしていたポーズが、厳密に言えば、あげた手のヒジを伸ばした方が「正しい」ことを、随分と時間が経って、改めて教えてくれたのがCMの芦田愛菜だったのだけど、さらに正確に言えば、この「イヤミのシェー」も、靴下が脱げかかっていたはずだった。
このイヤミのポーズも実際にやってもらって、そのとき、おそらくは偶然なのだろうけれど、脱げかかった靴下の様子が面白いから採用され、ということのようだ。
だから、この靴下が脱げかかっている状態というのは、例えば、池に落ちる人間が、落ちないようにジタバタしながら落下していく姿が、今も笑えるものとして定着しているように、人が面白いと思えることなのは間違いないようだ。
でも、それはあくまでも他人が、その状態になるのが面白くて、自分自身がそうなっているのが、それほど笑えないのは、視点の問題なのだろうか。
自分から見える脱げかかった靴下は、足元に違和感がある程度だけど、もし、その全身の姿を見ることができたら、やっぱり、もっと笑えるのだろうか。
60年前の発見
考えたら、脱げかかった靴下、という状態が見られる文化圏は限られているのではないだろうか。
靴の文化のある西洋では、確か室内でも靴をはいているはずだから、靴下を脱ぐとしたら、バスルームに行くか、ベッドに入って就寝する時になるはずで、靴下の状態でウロウロと歩くことはなさそうだ。
そうなると、脱げかかった靴下が面白い、と気づくには、条件が揃う必要がある。
日本のように外出するときは靴をはき、家に帰ってくると靴を脱いで、(裸足の人もいるかもしれないけれど)靴下で歩き回る人もいるはずで、そういう状況ではないと、脱げかかる靴下、という状況は生まれにくい。
個人的な記憶では、脱げかかった靴下がギャグとして使われたのは、「イヤミのシェー」が最初だったから、それ以前がないとすると、これは「おそ松くん」の連載が始まった頃の、約60年前の発見になる。
どうして、脱げかかった靴下が面白いのか。は、バナナの皮で滑って転ぶ(そういうことはほとんど起こらないとしても)姿で笑ってしまう、と同様に、完全に理屈で説明できることではなく、なんだか分からないけれど、つい笑ってしまう、ということになるのだろう。
そして、靴下で室内を移動する文化のある場所で、私のように、足元の変化にむとんちゃくな人間が、ゆるんでずれている靴下に気がつかずに、さらに、びろーんとなるまで脱げかかるようになるまでになり、それで、周囲の人が笑う、という実は限定された出来事だということにも、改めて気がついた。
思ったよりも珍しい出来事だから、それでより面白いのかもしれない。
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