ラジオの記憶㉟「Mr. J-WAVEの年越しラジオ」---- 『TUDOR CLOSING TIME / OPENING TIME』
20世紀末に「J-WAVE」が始まったときは、やっぱり、新鮮だった。日本国内のラジオ放送なのに、ほぼ英語しか聞こえてこないし、その頃の記憶では、いわゆる洋楽しかかからなかったから、音楽も英語だけだった記憶がある。
「Mr. J-WAVE」
それから、何十年も時間が経って、J-WAVEも随分と変わって、比較的「普通」のラジオ局になったような気もするが、それでも、ずっとなんとなく違う気配はあるのでは、と思ってきた。
それは、やっぱり、言葉にするとちょっと恥ずかしのだけど「オシャレ」という雰囲気だと思う。
そんな現在のJ-WAVEを聴いていて、プロのDJとしてクリス・ケプラーや、ピストン西沢の声を聴くと、長く変わらないことに凄さも感じるが、それほど熱心なリスナーでない私にとって、2020年代で、「J-WAVEのイメージ」を体現しているような人と言えば、野村訓市だ。
日曜日の夜8時。食事のあと、食器洗いをしているとき、いつもはTokyo FMやTBSラジオを聴いているのだけど、この時だけは、J-WAVEに合わせる。そうすると、最初は、抵抗感があった低く独特の声が聞こえてくる。
そして、海外に旅行や仕事をするのが日常の感覚なのだろうと思える人が話していて、当初は、あまりにも自分とは無縁な「オシャレ」な音楽が多く、その気配に抵抗感があったのだけど、その変わらなさが、面白くなってきた。
まるで、バブル期が終わっていないようにさえ感じる。
この言葉が番組のサイトの冒頭に掲げられているのだけど、本当にこの印象通りで、それも旅行は、海外だけに限定されているようにさえ感じる。
野村訓市の、こうしたプロフィールだけで想像するのは失礼かもしれないけれど、幼稚園から高校まで私立に通えるのは、少なくとも経済的には豊かな人なのだろうし、その後の経過も含めて、私などでは想像がしにくい、おそらくは「おしゃれ」でカッコいい要素だけでできているように思える。
1999年からは、個人的には介護生活に専念する頃で、野村が手掛けていた「海の家」から、それほど遠くない道路を通って病院へ通い続けていたことを思い出すと、あまりに違う世界で、しかも現在も、こうしたマルチクリエイターのような活動を成立させているのは、バブル期ならば大勢いたはずだけど、継続しているのはすごい。
ある意味で、あまりにもスキがなく、ラジオ局のイメージを体現しているので、個人的には、「Mr. J-WAVE」と思っている。さらに言えば、この日曜日の夜の番組にメールなどを送ってくるリスナーも、同質な気配があって、そこには文化資本の圧倒的な格差を感じ、どこかひがむような気持ちにさえなってしまう。
それでも、気になるから、聴き続けてしまうのだと思う。
ラジオでの年越し
2023年から2024年にかけては、いつもと違うテレビ番組を見ただけだけど、それだけで、自分が知らない世界があるのがわかった。
それは、年越しのカウントダウンに向けて、クラシックのコンサートが行われているのをテレビ番組を見ただけだったのだけど、それだけで新鮮だった。
それで、今は「radiko」というシステムがあって、1週間以内ならラジオ番組を聴くことができる。以前は、なぜか、自分は東京都内に住んでいるのに、名古屋や大阪在住のセッティングがされるようなトラブルが時々あったのだけど、最近はそれもなく安定している。
テレビでクラシックのコンサートのことを知ってから、そういえば、ラジオは、どのような年越しをしているのだろうと、もう年が明けてから確認したら、その「Mr. J-WAVE」が、番組をやっていたのを初めて知った。
これが番組のサイトの冒頭にある言葉だった。
本当に、日曜日の夜の番組のイメージそのままで、こんなにブレがないのはすごいことだと思った。
TUDOR CLOSING TIME / OPENING TIME
リアルな時間でいうと、2023年12月31日。午後10時から番組は始まった。毎週、日曜日に聴いている、あの低めの声が聞こえてくる。
2023年は、戦争もあって、それに政治も本当にダメになって、嫌なことがたくさんあったので、来年はいいことがありますように、といった野村訓市の言葉から番組が始まる。
この年末の番組は、5年前から始まったので、5回目。自分も50歳になった。ゆるい感じで、気の向いた曲をかけていきます。
そんなようなことを話しながら、今日の出演者の自己紹介を促す。
自分よりも若い女性には、自然に名前に「ちゃん」をつけて呼んでいる。最初の5分くらいで、そこには濃厚にサロンの気配があることが伝わってくる。
そこから話が続くが、それは海外のことが、隣の県のことのように話され、国内のことは出ないし、その時間の中で、曲がかけられる。自分が無知なせいもあるけれど、失礼ながら、そこにいる出演者の半分は知らないし、その番組の中でかけられた楽曲のほとんども知らなかった。
野村訓市が、最も年上なので、その年齢のギャップにまつわる話も少し話されたが、他の話題は、やはり文化資本を背景にしたセンスがある人しかできないようなことばかりに思えたのは、こちらのひがみもあるのだろうけれど、日常的に「パーティー」をしているようだし、やはり別世界であることに変わりがなかった。
番組が始まってから1時間30分ほどは、やっぱり全く縁がない「センスの世界」に感じていた。
108の音楽
そして、リアルタイムであれば、2023年12月31日、午後11時50分くらい、もうすぐ年越しのタイミングで、108人のミュージシャンが、短いメッセージと、音を奏でる、というコーナーになった。
それは、とてもシンプルなことだけど、人数も多いから、これを実現するのは大変だと思いながらも、それが続いていくと、恥ずかしながら知らないミュージシャンが多く、だけど、その蓄積が心に積もっていくのがわかる。
そして、年越しの瞬間は、野村訓市が話し始め、カウントダウンとなった。残り10秒から、数え始め、そして新年になった。
これは、radikoで聴いているから、すでに過去の出来事になっているのだけど、それでも、つい数日前のことを思い出し、もし、この番組を聴いていたら、それまで自分とは無縁のサロンのような気配だと思っていたとしても、それでも、気持ちは盛り上がったかもしれない。
それは、近年、音楽家をアーティストと表現することが多くなっていて、違和感がずっとあるのだけど、ここではミュージシャンと呼ばれていて、そのことに関しては、とても同意ができたせいもあるだろう。
2024年になったら、番組の中では、さらに、ミュージシャンがメッセージと、音を奏でているのだけど、当然ながら、新年のあいさつに変わっていて、それもシンプルな変化だけど、新鮮で、少し気持ちが押されていくような思いになった。
それが終わった。
この番組をradikoで聴いているときは、もうとっくに新年になっていたのに、もう一度、年が明けた気持ちになれた。
音楽の力
その後、野村訓市新年のメッセージになる。
その中で、今年は選挙もあるはず、という話題もあり、システムを大きく変えるべきでは、という言葉も出てきて、それが、何を指すのかは分からなかったけれど、今の状況での成功者に思える人が、そういうことを話すのは意外だった。
それから、諦めないためにも、とかけた曲がこれだった。
2024年の年を越し、その時間帯になると、スタジオにはアルコールもあるらしく、野村は「いい感じ」という言葉を繰り返し、番組の残り40分くらい(午前0時20分ほど)から、スタジオにいるミュージシャンが、それぞれ生演奏で歌も唄ってくれた。
知っている曲や、知らないミュージシャン、聞いたことがない曲といった要素があったものの、そこからの時間は、そこにいる人たちの音楽は、素直にすごくよかった。
ここまでは、文化資本の格差のようなものを感じて、ちょっと気持ちの距離があったのだけど、そこからの時間は、そういうことを忘れていた。
当たり前のことかもしれないけれど、音楽の力が強いミュージシャンはすごい。
それを改めて分からされてくれた。
(radikoは、1週間は聴けるので、少なくとも1月6日までは聴けるはずです。全体で、それほど肯定的に紹介していなくて申し訳ないのですが、番組が始まって2時間20分以降のミュージシャンたちの生演奏は本当に素晴らしいので、よかったら、聴いてもらえたらと思っています)
(その一方で、自身の誕生日イベントが、こんなふうになるのを知ると、やはり別世界の人であるのは間違いないと思う。)。
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