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いつの間にか、献血ができるようになっていた。

 20歳になった頃、何度か、献血をしたことがある。

 赤くて小さいカードのようなものをもらって、スタンプかシールも集めたはずなのだけど、ある時、うっかりポケットに入れっぱなしで洗濯してしまったら、つくだ煮のようになってしまった。

 それ以降、最高血圧が100いかないこともあり、それに仕事を始めると、やっぱり昼間はバタバタしていることもあり、自分の血液型の血液が必要です、といったフダと共に、献血するクルマのようなものを見かけることもあったのだが、申し訳ないのだけど、その余裕もなかったので、献血をすることができなかった。


献血制限

 そうやって時間が経って、仕事を辞めて、介護に専念するようになって、病院に通うような日々になり、そのせいか、献血について目にすることも再び多くなったのだけど、気がついたら、自分が献血制限の条件に当てはまることを知った。

 それは、自分が20代の頃、イギリスに2週間弱滞在したのが理由だった。

平成17年2月に国内において変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)患者が確認されたことを受け、予防的かつ暫定的な措置として、平成17年6月1日より、1980年から1996年の間に英国に1日以上滞在された方からの献血を御遠慮いただいて参りました。

(「厚生労働省」より)

 この制限が始まったのは2005年だったのだけど、その条件の一つが、1980年から1996年の間、しかも1日でもイギリスにいたら献血制限される、ということだった。

 スポーツ新聞社に就職して、ゴルフ記者として入社2年目の1980年代後半にアメリカに1ヶ月ほど出張し、その後に全英オープンという大会の取材のために、イギリスに行った。
 その後は、1989年末に1週間ほど、崩壊したベルリンの壁を見たいという目的もあって、東ヨーロッパを1週間ほど旅行したことがあったのだけど、それ以外は、海外に行ったことは一切ない。

 それなのに、そのわずかな海外渡航経験によって、献血もできない人間になっていた。

 介護に専念をしていて、いろいろなことが微妙に不運だと自分のことを思っていた頃だったから、それほど積極的に献血もしないのに、またできないことが増えたと感じ、なんだか暗くなる要素の一つだった。

理由

 献血できない、と制限されているのが、自分が、より必要のない人間と言われているような気がしていたのだけど、どうして、その当時の英国滞在が1日でも献血の制限になるのか?について、その理由を分かろうとはしていなかった。

 その意味を知ったのは、さらに年月が経って、こうした事情に詳しい人に、たまたま聞いたからだった。

 それは、「狂牛病」に関係していた。

変異型クロイツフェルトヤコブ病は、極めてまれにおこる病気で、狂牛病の動物を食べることによってかかると言われています。

(「FORTH」より)

「変異型クロイツフェルトヤコブ病」患者が国内で確認されたことによって、この献血制限が始まったはずだけど、この病気の名前を聞いても、ただ稀な病気ではないか、というような印象しかなかったのだけど、「狂牛病」という名前を聞けば、思い出すことは少なくなかった。

 つまり、1980年から1996年のイギリスには、「狂牛病」が広まっていたらしく、だから、その頃のイギリスに滞在したということは、「狂牛病」に感染した牛を食べた可能性があるかもしれない、ということで、献血制限がされていたようだった。

 1日でも、という厳しい制限には、議論もあったらしいのだけど、だけど、その理由であれば、わずかな時間であっても食事をすることはあるから、と思うと、それでも一応は納得できるような気もした。

狂牛病

 もう20年以上前の出来事になるから、当時を知らないと、「狂牛病」で社会がパニックになった感じは、理解しにくいと思う。

アメリカの同時多発テロ事件の第一報が日本に入ったのは、2001年9月11日の午後10時前後。その日の朝刊各紙のトップ記事は、「狂牛病日本上陸か!?」だった。農水省が前日、千葉県で発生した疑いがあると発表したのである。

 ヨーロッパで広がっていた「狂牛病」は、国内には入ってこない、などと言われていたのに、ただ、その後、さまざまな対策のずさんさも、明らかになってきたのが、この頃だった。

追い打ちをかけたのは、NHKスペシャルの「狂牛病 なぜ感染は拡大したか」だった。ヨーロッパ取材を中心に以前から準備されていた番組だったが、急遽内容を一部変更して16日に放映。牛が肉骨粉で感染するのと同じように、人が牛から感染すること、プリオンの感染力は熱や放射線照射では失われないこと、汚染された肉骨粉が日本で利用された可能性などを伝えた。とくに、変異型ヤコブ病を発病した21歳のイギリス人女性が死亡するまでの悲惨な映像は、強烈なインパクトだった。

イギリスでは、すでに変異型ヤコブ病の犠牲者が100人を超えていた。致死性100パーセントの奇病が、すわ日本上陸の一大危機である。同時多発テロに負けず劣らず、連日大きく報道された。テレビでは歩行困難な牛の映像が繰り返し流され、恐怖を煽った。全国各地のスーパーに「当店の牛肉は安全です」と書いた貼り紙が掲げられたり、牛肉を扱う外食産業の株価が軒並み下がりはじめたりと、パニックの様相を呈した。

(「はるとあき」より)

 特に、歩けなくなった牛の姿は、繰り返しニュースなどでも流れ続けていたから、強く印象に残り、それは恐怖心をふくらまされた。

 一時期は、輸入牛肉で営業していた牛丼屋のチェーン店が、休業したり、もしかしたら、倒産するのではないか、とまで言われていて、その頃に、豚肉を使った丼も誕生したと記憶している。

 当時の恐怖心が、おそらくは、厳しすぎるとも言われる献血制限につながったのだろうとは、推測できた。

献血制限の見直し

 そして、自分が献血できないせいもあって、献血への関心が、勝手ながら薄いままだったのだけど、恥ずかしながら、気がついたら、献血制限が見直しになっていたことを知った。

今般、平成21年度第3回薬事・食品衛生審議会血液事業部会運営委員会(平成21年12月10日開催)での審議結果を踏まえ、平成22年1月27日より、当該措置を見直し、同期間に英国に通算1ヶ月以上滞在された方からの献血を御遠慮いただくこととなりましたので、お知らせいたします。

 今も、英国滞在が1ヶ月以上の場合は、献血制限が続いていることに、やや驚きもあるのだけど、平成22年だから、すでに、10年以上前のことになるのだけど、以前は、該当機関(1980年から、1996年)に、1日でも滞在していたら制限がかかっていたのだから、それは緩和されているといっていい。

 2010年に、すでに制限の見直しがされていたのに、恥ずかしながら、このことを最近まで知らなかった。そして、知らないうちに、自分も、機会があれば献血が可能な人間になっていた。

 それでも、血圧にも制限があって、時々、自分自身が、最高が90以下で、最低で50以下のこともあったから、今度は違う要素で、献血ができなくなるかもしれないと考えると、自分は、本当に弱い人間だとは思った。






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