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テレビについて⑱「サ道」から「小山田圭吾」が消されたこと。

 30分番組の間に、テレビ画面には、わりと普通の男性の裸が写り続ける、という意味で斬新な映像なのが、サウナ愛好をテーマにした「サ道」。テレビ東京の深夜で、7月から第2シリーズとして「サ道2021」が始まったのが、少し意外だったのは、それほどの人気があるのを知らなかったからだ。(ファンには失礼で、すみません)

 ただ、ゆるい画面進行とは裏腹に、「孤独のグルメ」と同様に、今のコロナ禍だからこそ、どうやってサウナを楽しむのか、という信念もあるのではないか。と思えたのは、マスクをしたり、ソーシャルディスタンスをとったり、アルコール除菌をしたり、といった場面をきちんと入れ込んだ上での番組構成だからだった。

 それで、第2話まで録画して、見た。見ている間、時間の流れがゆっくりに感じた。

コーネリアスのオープニング曲

 そのオープニングは、サウナの現場の、いろいろな場面のアップされた映像や、水や木々が、微妙なスローモーションとともに、その蒸発音や、泡立つ音や、水の流れの音響や、風の微妙なざわめきの上に、その自然音を生かすような音楽がかぶさっていた。

「コーネリアスっぽい」と思ったら、作曲が「小山田圭吾」だった。

 新しい音を作り続けてきた音楽家という印象と、つい最近は、自らの「いじめ」(と表現していいのかどうかも分からないけれど)についての様々なことによって、オリンピックの開会式の音楽担当を辞任し、これまでで一番の注目を浴びていた。それが、7月19日。開会式まで、4日前。「サ道2021」では第2回目と、第3回目の放送の間だった。

 2回目が終わってから、「あ、コーネリアスがオープニングで、どうするんだろう」などと、妻と話をしていた。それは、恥ずかしながら、とても下品な好奇心だと思う。

 ただ、それを話しているときは、それでも音楽は、そのまま続けるのではないかと思えたのは、オリンピックという公式な行事ではなく、民放のテレビ番組だったからだ。

消されたコーネリアス

 第3話も録画して、そして妻と一緒に見ていた。
 番組は始まり、登場人物の一人が、明らかに「アベノマスク」と思われるマスクをしていて、それについて、妻と笑ったりしていたら、オープニングに移った。

 やたらと静かだった。

 水が急激に蒸発する音や、泡立つような音、水が流れる音だけが聞こえ、そこで「あ、音楽がなくなっている」ことに気がつく。

 オープニングの制作に関するクレジットの中から、「小山田圭吾」の名前もなくなっていたし、オープニングの曲に関する情報も、丸ごとなくなっていた。そのまま、番組は何事もなく進んで、終わった。

 番組ホームページからも、コーネリアス・小山田圭吾は、消されていた。
 知らなければ、最初からいなかったのと同じだった。

「消される」理由

 オリンピックの開会式を辞退するのは仕方がないのだと思うし、どちらかといえば、妥当なことなのだと考えられる。それは、同時に、「課題」や「問題」というものは、解決しない限り、いつまでもその人が背負うものになっていることを、明らかにした出来事でもあったと思う。

 ただ、民放番組のオープニング曲の作曲まで、「消される」のは、どうなのだろうか。

 今回は、犯罪的とはいえ、逮捕されたわけでもない。イメージは相当に悪いものの、ここまでする必要はあるのだろうか、とも思う。

 私も、まだ小山田圭吾の「辞退」について、きちんと全部を分かっていないし、薄い情報のままだし、考えも足りないので、断言する力もないから、「サ道」の2回から3回の間に「テレビ東京」で、何があったのかを想像するしかない。

 昔と比べて、デジタルであれば、映像から特定の音だけをのぞくのは、それほど大変ではないのではないか、と思う。そして、映像から文字を削るのも、おそらくは、そんなに困難ではないかもしれない。

 だから、決断するとしても、小山田圭吾が「辞退」した19日でも、放送日の23日(オリンピック開会式の日でもある)の深夜までに、間に合いそうに思う。

 とすれば、どうして「サ道」から「小山田圭吾」が「消された」のかという理由を考えると、そんなに確たる理由はないのかもしれない。それよりも、とにかく「炎上」の可能性を減らしたかった、というような消極的な動機が強いようにしか思えない(変な表現だけど)。

 もしも、明確な理由があれば、番組から「いなくなる」時に、何かしらの説明をきちんとしているだろうし、ホームページにも掲載されるはずだけど、そんなこともなく、ただ「なかったこと」にされていた。

 それは、自分が担当者だったら、「炎上物件」は取り除きたくなるから、仕方がない部分もあるし、ちょうど「オリンピックの開会式」と同じ日での放送であれば、反射的に「消して」しまうかもしれない。

 ただ、それは、パニックに襲われて、感情の赴くままに行動してしまうことに近いのだとも思う。それを続けると、そのうちに何か決定的に崩壊していくような気がする。

 こういう時にどうすればいいのか。

 そんなに偉そうなことは言えないけれど、例えば、民放連という団体もあるのだし、こうした場合の「判断の基準」などを、冷静に検討する時期に来ているように思う。

 少なくとも、どうして「小山田圭吾」を、番組の音楽からはずすのか。その説明をしてくれれば、それだけで、これからの未来が、随分と変わるきっかけになるように感じた。

 何か(トラブルのようなことが)起こった時の対応に、少しでも筋を通すことができれば、すぐには変わらないけれど、確実に、マスメディアへの「信頼」にもつながるような気がするのだけど、どうだろうか。それは、やっぱり、とても難しいことなのだろうか。




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