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「選挙に行かない人たち」と、「学歴」と「階層」の関係を改めて考える。

 選挙の前になると、「選挙に行こう」というキャンペーンが、数多くおこなわれる。

 少し前の話になるが、2021年の10月の衆議院議員選挙では、若手の有名芸能人らも「投票」を呼びかける動画が公開されていて、もっと年配の人たちが、「選挙に行こう」と呼びかけるような、いつもと光景とは少し違って見えた。

 

 この2年ほどのコロナ対策への不満も溜まっているのは間違いないと思ったから、少なくとも、投票当日までは、投票率は少しは上がるのではないか、とも思えた。

 だが、実際には、投票率は、戦後でもワースト3位だった。


選挙に行かない人たち

 選挙があるたびに、同じようなことが繰り返され、そして、投票率が上がった記憶がほとんどない。

 それがどうしてなのか、という話は、私自身は、よく分かっていなくて、結局、選挙があっても、とにかく投票に行かない人がいるけれど、自分は、一応、妻と一緒に投票に行くし、投票所に出かけると、今回も、会場の入り口には、行列もできていた。投票に行かない人は見えにくい。

 だけど、投票権がある人の半分くらいは、投票をしていない。

「選挙に行かない人たち」が、どんな人なのかが、よくイメージできなくて、だけど、同時に、投票に行く動機を作るのも難しいとは思っていた。

 いつも、投票に行っても、何もならない。自分が一票を投じても、何も変わらない。
 私も、それをわかった上で、無力感と共に投票しているのだから、投票に行かなくても仕方がないのかしれない、と思っていた。

 だけど、「ポリタスTV」(2021年11月5日放送)で、「日本若者協議会代表理事」室橋祐貴氏が、統計をもとに指摘していた視点が新鮮だった。

 これまでの投票結果を見ても、年齢を重ねれば重ねるほど投票に参加する人は多くなるが、上記のグラフによると、大卒の若年層(30歳代以下)の方が、非大卒の壮年層よりも、積極的に政治に関心を持ち参加している。
 つまり、政治参加に消極的なのは、中高卒などの非大卒層である。

 そして、そこから、とても切実で、ここに焦点を当てないと投票率は上がらないけれど、では、どうすればいいのか、といった気持ちにもなる指摘が続く。

 一般的に、非大卒層の方が、雇用が不安定で、所得が低い傾向にある。つまり、政治的な関与を必要としていると言える。
 しかし実際は、政策的な支援のニーズが高い層ほど、政治に参加していない、十分に政治状況を理解できていない状況にある。

 この層ほど、そもそも選挙があることを知らず、労働環境など日々の生活に不満を抱えている。

 この記事でも、だから、こう結論づけている。

「投票に行こう!」と呼びかけているのも、その大半が大学生や大卒の高学歴層であり、ツールも同じ属性が繋がりやすいSNSを活用しているため、その対象も大半は同じような属性である。
 つまり、本来のターゲットが不在のまま、キャンペーンを行なっているのが結果が出ない理由である。

 呼びかける相手に届いていない。
 どうすれば届かせることができるのかを、かなり考え抜かないといけないことは、改めてわかった。

学歴による分断

 21世紀になれば、そんなに単純ではないかもしれないけれど、かつてはアメリカが先に進み、それを日本が追いかける。そんな時代の変化の仕方をしていた。

 日本の場合は、データで出ているのは、学歴が高いほど投票する、という事実なのだけど、アメリカの場合は、学歴によって、支持する政治家が違う、という傾向のようだ。

 そんな「学歴による分断」は、アメリカでは、すでに現実のものになっているようなのだけど、そのことについては、自分が無知なせいもあって、ここまで明確だとは思わなかった。

二〇一六年、大学の学位を持たない白人の三分の二がドナルド・トランプに投票した。ヒラリー・クリントンは、学士号より上の学位を持つ有権者の七〇%超から票を得た。

 そして、そうした傾向はイギリスでも同様だった。

大卒でない有権者の七〇%以上がブレグジットに賛成したのに対し、大学院の学位を持つ有権者の七〇%以上が残留に賛成したのである。 

 こうした流れが、どこから来たのか。それを、著者のマイケル・サンデルは、こう分析している。

現代の容赦ない学歴偏重主義は、労働者階級の有権者をポピュリストや国家主義者の政党へと走らせ、大学の学位を持つ者と持たない者の分断を深めた。

 それが、どうして「分断」までになってしまったのかといえば、「差別」という人間の深い憎しみを生じさせるものから来ていると指摘しているが、そうであれば、とても根深いもののはずだ。

 この数十年で能力主義的な想定が支配的になるにつれ、エリート層は出世していない人びとを見下す習慣を身につけていった。いかに善意からであろうと、労働者に大学の学位を得て暮らし向きをよくするよう絶えず求めることは、結果として学歴偏重主義の妥当性を高め、体制が付与する経歴を持たない人びとに対する社会的な評価や敬意を損ねてしまうのである。  

 人種差別や性差別が嫌われている(廃絶されないまでも不信を抱かれている)時代にあって、学歴偏重主義は容認されている最後の偏見なのだ。欧米では、学歴が低い人びとへの蔑視は、その他の恵まれない状況にある集団への偏見と比較して非常に目立つが、少なくとも容易に認められるのである。 

 この状況が続くのであれば、トランプは大統領でなくなったとしても、この先に、第二のトランプが出てきて、偏見にさらされた側の支持を得る可能性はあるのでは、と思うと、やはり怖さはある。

 そして、その傾向は、これから日本でも強まる可能性は、どのくらいあるのだろうか。

 投票率が上がることが、絶対的な「善」とされているとすれば、学歴によって投票率に差がある、ということが広く知られるようになれば、もしかすると、投票率の高い大卒層から、投票率が低い「非大卒層」への差別的な言動が、近い将来、生じないとも限らない。

社会階層と、投票行動

 私が無知なせいもあるのだけど、今回のように「学歴と投票率」の関係は、すでに2年前にデータとして出ていたようだ。2019年の記事で、すでに「投票率」と「社会階層」の関連性が指摘されている。


『社会階層で投票意識はここまで違う』(「ニューズウイークジャパン」2019年7月31日)

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/07/post-12652.php

 手元に、2010~14年に実施された『第6回・世界価値観調査』の個票データがある。日本の20~30代のサンプルを取り出し、義務教育卒、中等教育卒、高等教育卒の3つの学歴群に分け、「国政選挙でいつも投票する」の回答比率を出すと、順に21.6%、36.5%、51.1%となる。同じ若年層でも、投票率は学歴によって大きく異なる。政治への関心の差が表れている。

 さらには、社会階層による違いも指摘され、その傾向は、2021年の分析と、それほど変わりがない。

 富裕層の子どもほど、政治や選挙への関心が高い傾向が見られる。家庭で政治について話す頻度の差などによるものだろう。これは小学生のデータだが、中学生や高校生になるにつれて、この格差が拡大するとしたら問題は深刻だ。

 低所得層には、辛い思いをしている子どもが少なくないが、子どもたちはそれを政治や経済といった社会の問題と関連付けて考えることができない。「こういう家に生まれたのだから」と割り切ってしまう。

 このときにすでに、このようなデータが出ていたとすれば、しかも、このデータは、2010年からの統計をもとにした分析なので、この約10年間、状況があまり変わらないまま、さらには、そのことが広く知られないまま、年月が過ぎてしまった、ということかもしれない。

高卒と大卒の「別階層」

 とても、個人的な体験に過ぎないが、中学から高校へ進んだ時、微妙な違和感があった。

 それは、学生の両親、特に父親は、大卒が「当たり前」だったことと、今では個人情報の面から見ても、考えられないが、親(ほとんどは父親)の務める企業が生徒の名簿に記載されていて、それも大企業が多かったことだ。
 
 地元の公立中学に通っていた時には、こうした同質性は感じられなかったが、それから、大学へ進学しても、「親は大卒」の傾向は続いた。そうした環境にいて、薄く感じていたことは、今になってみると、社会階層的な違いのようなものだったと、分かる。

 私の両親は高卒だった。家にいると、そのことはただの事実だが、成長し、進学し、大卒の親のいる家庭、という存在を知ったりすると、文化的資本のかなりの差は、劣っている側だけが微妙に感じながらも口にできにくいことだったが、その違いが、やはり存在するのは感じていた。

 そして、基本的には、違う社会階層は、あまり一緒にはならないということが多いような気がした。それぞれの階層同士で固まっていて、それが自然だから、その偏り自体にも気がつきにくく、何の悪気もなく、人間全体が、似たようなものだと思いやすくなるような気がした。

転勤の期間の違い

 私自身が、同時代の人間より、学歴的なものや偏差値という基準への関心が今も薄いのは、小学校2年からの4年間、父親の転勤で、中部地方の、1学年1クラスの小学校に通い、学習塾という存在がないような環境で育ったせいもあると思う。その後、首都圏に戻ったが、そう考えると、小学校の環境の影響は、かなり大きいということかもしれない。

 今、振り返って、改めて気がついのだけど、その小学校には、親が同じ会社に務め、同じ社宅に住む同級生もいたが、その地域への滞在期間が微妙に違っていたように思う。大卒の親を持つ子供の、その地域にいる期間は、私より1年や2年くらい短かったと記憶している。

 彼ら彼女らのほとんどは、その後、学習塾の存在するような都市部に戻ったはずだ。小学校時代の1年や2年の違いは大きいから、学歴や偏差値へのこだわりは、今も私より強いのかもしれない。もし、高学歴を望むのであれば、そのこだわりが強い方が、有利に働くはずだ。

 そういう違いも含めて、もしかしたら、「社会階層」は固定されやすいのかもしれない。

民主主義の難しさ

 例えば、投票率を上げよう。と訴える人がいる場合、おそらくは、そのことによって、政治家だったら、自分の所属する政党。もし、ある政党を支持する市民の場合は、その人が支持する政党に有利に働く、と考えているから、そう訴えているように思う。

 だけど、本当にそうだろうか、という素朴な疑問はある。

 選挙制が「有能な統治者」を本当に選ぶことができれば、制度としてはまだマシかもしれない。しかし、近年の研究で判明しているのは、有能そうな顔の持ち主が選挙で当選しやすい、ということだ。

 昨今の選挙は投票率の低さが問題視され、選挙のたびに「投票へ行こう!」と呼びかけられる。しかし、政治的に無知な人びとが投票すれば、有能そうな顔の持ち主が当選するだけなのだ。有能そうな顔の持ち主が国会で討議をおこなっても、当然ながら「理性」に基づいた「スロー・ポリティクス」からはほど遠い、レベルが低いものとなる。

 この中で「政治的に無知な人びと」という表現があるから、もし、今、投票に行っていない人たちが、「政治的に無知ではない」のであれば、レベルが低いものにならないかもしれない。

二〇一六年、大学の学位を持たない白人の三分の二がドナルド・トランプに投票した。ヒラリー・クリントンは、学士号より上の学位を持つ有権者の七〇%超から票を得た。

 だが、再掲になってしまうが、この投票結果に関して、「トランプに投票する愚かな層」という言い方を、特定の誰が言ったというわけではなく、複数聞いたり、読んだり、見たりした記憶がある。

 そして、それは、言ってみれば、学歴による分断になっていたという視点も可能だから、もし、日本で投票率が上がり、その結果が、比喩的に言えば「トランプのような政治家への投票行動」につながったとすれば、それは、単に分断を生んでしまうだけなのかもしれない。

 なにしろ、民主主義とはすべての市民が賢くなければならないという無茶苦茶を要求する制度なのである。そして、対話のみが賢明な市民を育て、民主主義的な社会を作る。対話の回路が遮断されてしまえば、民主主義は緩慢な死を迎え、多くの市民が気づかないうちに、世襲的特権階級が支配する階級社会になってしまうだろう。

「民主主義とはすべての市民が賢くなければならないという無茶苦茶を要求する制度」という言葉が象徴するように、投票率を上げることと同時に、「政治的な無知」ではない人間にならなければいけない、という前提をまず認め、それを解消することから始めなければならないのだろう。

 とても実現できそうにない、遠く、困難な道が見えるような気がする。

「意識の低さ」を「演出」したトランプ・元大統領

 英語がきちんと分からないから、どこまで理解しているか個人的には自信がないが、映像で見るトランプ・元大統領の仕草や表情は、明らかに「下品」だった。それは、嫌悪感を催すものでもあったのだけど、それに「親しみ」を感じる人たちもいるのも事実のようだった。

 トランプを支持した人たちは、生まれながらの金持ちであるトランプに対して、その「下品」な言動で、自分達の仲間といった意識を持ったのではないか、という分析もあちこちで読んだ気がする。

 トランプの支持者は、「ダメな部分はとっくに知っている。でも、あえてやらせたい」という気分だったのだろう。普通はスキャンダルになる女性問題、金銭問題も、トランプは前から知られており、いわば「身体検査」済みなのだ。女性やお金に汚い、は意識の高さから見れば欠点だが、ある意味で人間らしさでもあり好感度につながることもある。さらに、不良が捨て猫を拾うと好感度が上がるように、ポジティブに働く。

 トランプは細かいところでも意識の低い演出をしている。例えば、ハンバーガーなどのジャンクフードが好物だと口にする。日本の政治家がやりがちな、見え透いた庶民派アピールではなく、高級なフランス料理よりも、ステーキ、ポテト、ビックマックやクォーターパウンダー、コカ・コーラを愛している。大多数のアメリカ人はジャンクフードが好きであり、親しみを感じる。

 しかし実のところ、トランプは健康には人一倍気をつかっており、酒やタバコ、コーヒーですら飲まないらしい。どちらが本当の姿なのだろうか。どちらも本当で、見せたいのはジャンクフード好きのほうなのだ。

 こうした「演出」も含めて、トランプは大統領になった。

 日本の場合も、投票率が上がる時は、トランプのような候補者が登場する時なのかもしれない、と思うと、ただ投票率を上げよう、という呼びかけは、やはり、危険なのではないだろうか。

金メダルかじり事件

 すでに、2021年の出来事とは思えないほど、それからもいろいろなことが起こりすぎているのかもしれないが、名古屋の河村市長が、表敬訪問に訪れたアスリートの金メダルをかじった「事件」は、2021年の夏のことだった。

 私自身も、昭和の生まれだから、特に若い頃は無意識の男尊女卑があったと思うし、今も、それが完全に更新されていないのかもしれない。それでも、この金メダルかじりは、嫌悪感を覚えた。男尊女卑もあり、その上で、アスリートを尊重していない感じもした。

日本のトランプは、名古屋・河村市長なのだろうか

 元々、2021年の河村市長には、逆風が吹いていた。

きっかけは、ことし2月、河村が支援した愛知県知事・大村秀章のリコール・解職請求に向けた署名活動で、署名の偽造が行われたという証言が明らかになったことだった。

 名古屋市長選挙は、2021年の4月におこわなれ、河村は、苦戦しつつも、また選挙に勝った。

「敵を作ってワンフレーズで攻撃してくる。いつものやり口だ」

 これは、トランプ元・大統領のやり方ととても似ているが、もしかすると、別の面でも似ているのかもしれない、と思わせるのは、この、プチ鹿島氏の指摘だった。

(金メダルかじりに対して)本人はあの行為が「当然」で「ウケる」と思っていたに違いないこと。あれこそが河村たかしだった。

 オフィシャルサイトを探したら「気さくな72歳」というキャッチコピーが出てきた。今回、河村本人はいつもの「気さく」を出しただけなのだろう。何で非難されているかわからないはずだ。今までこれで選挙を勝ってきた自負があるだろうから。
「気さく」は政策や主張にも反映してきた。こちらも重要なポイントです。

 この「気さく」は、トランプ元・大統領の「意識が低い演出」と、重なってくるような気がする。

 名古屋市長選は25日、投開票が行われ、投票率は42・12%で、前回2017年の36・90%を5・22ポイント上回った。

 もちろん、低い投票率とは言えるのだけど、このコロナ禍でも投票率が、前回より上がっている。それ以前に、「署名の偽造」という「意識の低い(というより犯罪といってもいいが)」事件があったにもかかわらず、それでも、河村たかしが市長に選ばれたというのは、かなりこじつけだけど、トランプ現象と質は似ているのかもしれない。

 名古屋市長選時に、河村たかしを支持した人たちは、その何ヶ月か後にあった「金メダルかじり事件」のあとも、その行為を「気さく」や「親しみ」ととって、支持し続けた可能性はあるように思う。

 それは、プチ鹿島氏の記事に出てくる森喜朗のように、あれだけの「女性蔑視」で「とにかく従え」といった論理で固められた発言の後も、森喜朗を、かばうような発言を、インターネット上でも、リアルな場所でも、特に男性から見たり、聞いたりしたことがあった。それと、同様に、あの「金メダルかじり事件」でも、河村たかしらしい、と「気さく」で「親しみ」があると思っている支持層は少なくないかもしれない。

余裕のある人の趣味

 私はジェンダー平等や気候変動も出し続けていいと思います。但し出す順番としては、①経済②福祉③ジェンダー・気候変動だと思います。③を1番に打ち出すと、「余裕のある人の趣味」に見られてしまうので。又①②についても「人に優しい経済、人に優しい福祉に改革する」という打ち出しだと思います。

 衆院選挙後に、「衆議院議員」に当選したばかりで元・新潟県知事の米山隆一の、このツイートが「炎上」したのが、11月に入ったばかりのことだった。

 ジェンダーも気候変動も、切実で緊急な課題として取り組んでいる人から見たら、これは怒りを呼ぶ発言、特に「余裕のある人の趣味」という表現は、許容し難い言葉になるのだろうと思う。しかも、新潟県知事を辞めた理由なども重ねれば、批判が集まっても仕方がないように感じた。

 私自身も、どこまで理解しているか分からないものの、ジェンダーも気候変動も、生活にも経済にも福祉にも直結している課題というのは、少しは分かってきたと思う。

 ただ、そのことを考え始めたのは、恥ずかしい話でもあるのだけど、中年になってから、幸運にも大学院に通うことができ、そこで初めて学ぶ姿勢のようなものが少し身についてからだった。

 その機会がなかったら、ジェンダーも気候変動も、自分の生活とは遠い(それは、男性だから、知らずに済むという批判は当然あると思うけれど)ことのままだったと思う。個人的には、自分の能力の低さはあるにしても、目の前の生活に、ただ追われているような状況が続いているのだから。

投票に行っていない層

 例えば、投票率を上げる、という課題があり、それを達成するのであれば、今、投票に行っていない層に訴える必要があるのは間違いない。

 前出のデータによれば、大卒以上よりも、非大卒の層の方が、投票に行っていないことになる。

 一般的に、非大卒層の方が、雇用が不安定で、所得が低い傾向にある。つまり、政治的な関与を必要としていると言える。
しかし実際は、政策的な支援のニーズが高い層ほど、政治に参加していない、十分に政治状況を理解できていない状況にある。

 この層ほど、そもそも選挙があることを知らず、労働環境など日々の生活に不満を抱えている。

 これも、再掲になるが、この環境にいる人たちに向かって、ジェンダーや気候変動の課題を、まず先に打ち出したとして、それを、自分のこととして、「親しみ」を持って、考えられるだろうか。

「余裕がある人の趣味」という表現は適切でないとしても、「大卒の人間が話す難しそうなこと」とは、言われそうな気がする。

 そうであれば、米山隆一の炎上ツイートは、ジェンダーの課題も気候変動の問題も生きていく上で必要不可欠のことなのだけど、その上で、それは目の前の生活にも関係してくるし、少しでも生きやすくなることに必要、といったことに結び付いているのを、分かってもらわないと、たとえば、今、投票に行っていない人たちへ伝えるのは難しい。そういう実践的な発言のようにも思えてくる。

 では、どうすればいいのだろうか。

義務教育と市民講座

 一つは、最近、よく耳にする「主権者教育」の充実だろう。

若者の投票率に関しては、OECD主要国平均で18~24歳の投票率が6割を超えているのに対して、日本の18~24歳の投票率は2014年の調査時点で3割程度とかなり低い割合であることが分かります。

 主要国のうち、特にヨーロッパ各国の若者の投票率が高い国々では、政治教育や主権者教育が積極的に行われています。低下し続ける日本の若者の投票率を上げるためには、学校・自治体レベルでの主権者教育のさらなる推進と定着が欠かせません。

 若者の投票率が高いドイツでは、教師が一方的に指導するという授業ではなく、生徒同士が1つのテーマについて話し合う訓練を小学校・中学校段階から行っています。さらに、連邦政治教育センターが学校で使用する教材開発を行うなど、政府機関が政治教育を支援しているのも特徴です。

 小中学校という義務教育の段階から「主権者教育」が充実していれば、大卒と非大卒の「投票行動」による「分断」は起きにくくなるはずだ。

 さらには、学校を卒業しても、必要と要望があれば、誰でも学べる「市民講座」の充実は必要だろう。

 今は、こうした取り組み↓も始まっている。リアルな「講座」だけでなく、今後は、オンラインでの講座も充実すれば、時間や場所を問わなくなるから、よりよい「主権者教育」は可能だと思う。

 

 だから、現在「投票に行こう」と呼びかける運動や活動をしている人や、団体は、学校現場での「主権者教育」を待っていても、いつになるか分からないだろうから、小学生や中学生に届きやすいYouTubeのような媒体を使って、魅力的な「主権者教育」を行った方が、短期的には効果が出ないものの、「政治的に無知でない人たち」が増え、数年後には投票率が手堅く少しずつ上がってくるのではないだろうか。

政治家の学歴

 この書籍↑の中で、イギリスでも、政治家が高学歴に偏っていることが問題を生みやすくなっているのではないか。今後は議員の出自なども、多様性を重視していくべきではないか、ということが指摘されている。

 まず東大出身の議員ですが、衆議院100人、参議院38人あわせて138人と断トツで多くなっています。衆議院議員の定員が475人で、参議院議員の定員が242人ですから、衆議院では20%、参議院では16%を東大出身者が占めていることになります。日本の人口に占める東大生の割合はどんなに大きく見積もっても1%を超えることはありません。こう考えるといかに東大出身の議員が多いのかわかりますね。

 日本でもイギリスと同様に、2016年のデータであるが、基本的には大卒が圧倒的に多い。

 その一方で高校が出身の議員も25人います。高校どころか「日本を元気にする会」に所属する元プロレスラーアントニオ猪木氏は、中学を卒業した後、ブラジルに渡り仕事をしていますので、最終学歴は中卒。

 この時の国会議員は、衆参合わせて、717名なので、25人というのは、約3パーセントに過ぎない。

令和元年に行われたこの調査によると、大学等への進学率は58.1%にも及びます。
大学「等」とされるのは、大学以外に短期大学や高等学校の専攻科を含んでいるためです。

 この統計によれば、非大卒者は、41.9%だから、国会議員に占める3%は、あまりにも少ない。

「高校から慶應」という環境で育った世襲議員ばかりが一国を動かす現状を憂えている。 「恵まれた環境で小中学校からずっと東京にいれば、地方が疲弊していく現状や格差社会の現実などが見えなくなってしまうのではないでしょうか」。

 こうした政治家ばかりが、選挙を戦うのであれば、現在、投票行動を起こしていない非大卒の層にとって、自分たちとは関係ない階層が選挙を戦っているように見え、興味を持つのが、より難しくなるのではないだろうか。

これからの政党

 とすれば、今後の政党のあり方も、見えてくる。

 女性の議員を増やすのは、当然として、2016年のデータとはいえ、非大卒の国会議員が3%という数字を見ても、さまざまな階層の議員が増えれば、今、投票行動を起こしていない非大卒の人にとっても、自分たちの代表と思える候補者も増え、投票行動につながる可能性は高まらないだろうか。

 たとえば、元派遣労働者・シングルマザーという「立場」で、国会議員に立候補している渡辺てる子。れいわ新撰組は、代表の山本太郎が、高校中退なので、中卒であるし、多様な候補者で選挙を戦ってきたとも言える。

 重度身体障害者、性的少数者(トランスジェンダー)、派遣労働者、コンビニ加盟店ユニオンの労働運動家、公明党の方針に異を唱える創価学会員など、社会的弱者を中心に第25回参議院議員通常選挙候補者を公示日前日までに9人擁立した。


 今後、投票率や支持をあげていくためには、このように多様な階層や学歴の候補者を擁する政党というのも、一つの方向性のように思える。

 それだけ、自分と関係があると思える候補者の存在は、投票行動に結びつきやすいと考えられるからだ。

 例えば、個人的には、元・家族介護者。それも、介護離職を経験した方であれば、自分と同じ(決して同一になることはないとしても)経験をしていると思える、その候補者には、一票を投じてしまうかもしれない、と思う。

 選挙の際にも、多様性は、より重要になってくるかもしれない。



(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。




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