読書感想 『世界は経営でできている』 「本来の意味に戻る重要性」
経済、という言葉に微妙な嫌悪感を抱いてしまうのは、自分が経済的には、敗者だからだと思う。
経済の語源
そして、経済を語る人たちの一群の人たちの不思議な高揚感と、今は経済に詳しい人が、社会のあらゆることを語る資格を持っているかのような自信満々すぎる振る舞いを、つい思い出してしまうからだと思う。
ただ、経済の元々の意味を知ると、その思いが少し変わる。
この英語と、日本語の起源を知ると、すでに微妙なズレがあるが、この「経世済民」の略が経済だとすると、社会を良くして、「民をすくう」ことを目標とするのが経済のはずだ。
そうなると、今、社会の中で目立っている経済の語られ方は「お金儲け」、もう少し表現を変えれば「利益増大」でしかないのだけど、それ自体が、実は本来の意味では「経済」とはいえない、ということになる。
もし、元々の意味を目指そうとするならば、かなり単純な見方だと分かりながらも、経済へのイメージ自体が少し変わる。さらには、本来の意味で考えるならば、自分自身も決して経済的な敗者ではないのでは、と思えたりもする。
『世界は経営でできている』 岩尾俊兵
どこかでこの書籍のタイトルを知って、「経営」というものに対して、あまりいいイメージを持てなくなっていたので、微妙な嫌悪感を勝手に持ってしまった。
特に21世紀に入ってからは、「経営」がまるでコストカットとイコールのように語られ、やたらと人件費を目の敵にするようになったり、何がこれからにとって重要なのか。を考える前に、とにかく経費を削ることだけが「経営」になっているようで、その思考だけが正しい事のようになり、行政にまで、その「経営」が侵食するようになっているから、「世界」すべてが「経営」に乗っ取られたら嫌だと思ってしまった。
だけど、自分が無知なことはわかっていたのだけど、経済と同様に、経営の本来の意味も自分の勝手な印象とは違っていた。
この「本来の経営」が本当に実現したらいいのだけど、そこまでいかないとしても、「他者から何かを奪って自分だけが幸せになる」ことが経営のように見られていること自体が、本来は間違いであると、当たり前のように語られれば、少しは「世界」は違ってくるかもしれないと思った。
かなり冒頭の部分に、この主張が書かれていて、自分が単純すぎるとは思うのだけど、「経営」への見方に対して、すでに少し目からウロコが取れかかっているように感じた。
貧乏は経営でできている
これが第1章のタイトルだが、一般的なイメージでいっても、「貧乏」(自分もそうだけど)と経営は、結びつけやすいので、比較的スムーズに読み進めることができる。
それは、消費カロリーと摂取カロリーのバランスを説きづつける、正しいダイエットの話のようだ。収入と支出のバランスが崩れ、支出の方が大きくなれば、貧乏になっていく。となれば、収入の低さで、自分自身は貧乏と思い込んでいるのだけれど、かなりの節約をすることによって支出を抑えているから、現時点では、貧乏ギリギリで踏みとどまっているのかもしれないとも思った。
これは正確な情報を知らない、ということでもあるが、それを告知しない側も含めて、アンバランスが発生しているのだが、その原因は「自分の行動の目的が明確化されていないこと」だという。
そうした「自分の行動の目的が明確化されていないこと」という意味では、働いていて稼いではいて、しかも収入が低くなかったとしても、毎日働くことが辛いと、給料日に「自分へのごほうび」と称して、多くのお金を使ってしまうことは少なくない。
それは、支出が増えたとしても、自分が生き延びるためには必要だとも思えるけれど、ただそれが結果として貧乏になってしまうこともある。
こんなことは理想論だ。できれば苦労しない。といった反論は予想されるし、読者としても反射的にそうした気持ちになった。ただ、それは知恵と工夫でなんとかするという、コストや能力を必要とすることは間違いないのだろうけれど、でも、ここで示されているのは「行動の目的の明確化」でもあるはずだ。
これがぶれてしまえば、自分の苦痛を減らすことよりも、とにかく収入を増やすことを目標にしてしまい、慣れない資産運用などに手を出してしまい、そこでさらに損害を被って、より貧乏になるという負のスパイラルに陥ってしまう可能性もあるから、今以上に貧乏にならないために、こうした振り返りは必要なのかもしれない。
これも考える時間と、知恵や工夫は必要だけど、ただ慣れた気晴らしだけを続けるよりは、これまでとは違ったことに気がつける可能性はあると思う。
「価値創造」へ踏み込むこと
この書籍は、すべては「〇〇は経営でできている」という項目で並んでいる。
例えば、2章は、「家庭は経営でできている」であり、親子関係にも、こうした視点を提案している。
こうした話し合いや考えをするためには、親子以外の誰かが立ち会う必要もありそうだけど、大事なことは「究極の目的」を見失わないことのはずだ。
それ以降も「経営でできている」ことが、項目別に並んでいる。だから、自分が興味があることから読めるという意味では、読みやすい本なのかもしれない。
恋愛・勉強・そして虚栄では、価値の創造への議論に、本格的に足を踏み入れているように思える。
まずマウンティングは、必ず敗北する理由を、考えたら当然と思える理由を説得力を持って展開し、そのあとに、虚勢を張る理由を「尊敬を得たいから」と指摘し、だからこそ、そこに価値創造ができると断言する。
確かに、これができれば、おそらく「虚勢を張る」こととは無縁になっているはずだ。
本当に「世界は経営でできている」のかもしれない
その後も「〇〇は経営でできている」という項目が並ぶ。
歴史は、国家という言葉と結びつきやすい。
確かにそうだった。古代から徳を失った権力者は倒していい、という常識もあったことも思い出す。
最後の章は、人生について、だった。
つまり、私のような社会の隅で生きている人間まで、「俗悪な何か」を経営だと思い込まされてきたことになるのだろうか。
だから、この書籍は、さまざまな分野において、「本来の経営」を取り戻すための方法と、何よりその思考について書かれた本だと分かる。
その具体例については、実際に本書の全体を読んでもらえたら、人によって、切実だったり、身に染みるような点も違うとも思われるが、どちらにしても、現時点では、本来の意味での「経営」は主流にはなっていないようだ。
だから、本当の意味で「経営で世界ができている」と言えるようになったら、もしかしたら、世界はもっと生きやすくなっている可能性がある。
現代を生きる人であれば、そして、私のように「経営」という言葉にいいイメージを持っていない人ほど、必読の作品だと思いました。
(こちらは↓、電子書籍版です)。
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