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壊れたティーポットで、思い出すカフェのこと。

 食事が終わって、片付けをしようとしていた。
 お盆に食器を乗せて、台所へ持って行こうとした。


壊れたティーポット

 手に持った小皿をつい落として、置いてあるティーポットに当たった。

 大きめの音がする。ちょっと高めの響き。

 小皿が割れたと思った。

 粉々になったイメージが浮かんだけど、壊れていたのはティーポットだった。

 それも、取っ手の部分だけがきれいに根本から、割れているのだろうけど、取れてしまったようだった。

 本当は紅茶などを使うためだったのだろうけれど、でも、普段は麦茶のパックを入れて、それで麦茶を飲んでいた。

 取っ手が取れても、使えるかもしれない。でも、熱いお湯を入れて、手で持つのは、やっぱり危ない。だったら、瞬間接着剤などでつければ、使えるかもしれない。だけど、もしもついたとしても、お湯を入れて、麦茶を注いでいるときに、その取っ手がとれるかもしれない。そうしたら、危ない。自分ならまだしも、妻が使っているときなら、やけどをしてしまうかもしれない。やっぱり、捨てよう。

 そんなことを考えたのだけど、妻に壊したことを謝って、相談したら、すぐに捨てることになった。そして、「悪いから、今度、新しいのを買ってくるよ」と言ったら、妻は「大丈夫、もう一つあるから」と食器棚から新しいポットを出してくれた。

 それは以前、見た記憶があったけれど、本当に新しくて、使えるものだった。

 よかった。

息を抜ける場所

 近所に商店街があり、昔からの喫茶店はあっても、そこは常連の場所で、なんとなく入りにくい感じもしていた。だから、あまり気軽に寄れる場所もなかった。

 仕事もやめて、妻と2人で介護に専念していた頃は、義母をデイサービスに預けたときだけが、外出できる時だった。午後5時に戻ってくるから、時間は限られていて、でも時々は、美術館などにも出かけていたけれど、収入がなかったから、あまり頻繁には行けない。

 だから、駅前にマクドナルドができたとき、うれしかったのは、その頃は100円くらいでコーヒーが飲めて、おかわりもできたからで、そうすれば安いお金で気分転換ができたからだ。妻と2人で行って、コーヒーを飲んで、時々、スイーツも食べて、客層も若いから、普段の生活とは違う活気のようなものがあるから、それも含めて楽しい時間だった。

 歩いていける場所で、もう少しそんな場所があったら、介護の合間にちょっとでも息を抜ける時間が作れるのに、と思っていたが、店の面積が狭いせいか、マックシェイクをつくる機械が置けないようで、そのマクドナルドでは飲めなかった。だから、妻と一緒に「せまっく」などと呼んでいたせいなのか、そのマクドナルドも何年か経ってから閉店してしまった。

 行くところが減った。

 その時期と同じ頃なのか、すでに記憶がはっきりしないが、歩いて10分ほどの隣町に行ったときに、それまで知らなかったカフェがあった。小ぶりだけど、個性的で、かわいいつくりだった。そういう気配に敏感な妻が、大きな通りから入った路地で見つけてくれたはずだった。

小さなカフェ

 そこは、若い女性が1人で開いたカフェのようだった。

 コーヒーを飲んで、甘いものなどを食べて、その店主と話をする。

 明るい雰囲気を持つ人で、話もしやすかったから、楽しい時間を過ごせた。

 少し遠い場所だから、デイサービスのたびに行けるわけではなかったけれど、いつもとは違う場所ができたのはうれしかった。

 他にはないようなカフェなのは、しばらく通うようになって、なんとなく気がついた。だけど、それは、その店主がつくりあげていたものだったようだ。

 だから、何が違っているのか、を言葉で何かを説明できにくかったけれど、明らかに独特だった。

 こんな場所が、歩いていけるようなところにできたのは、ありがたかった。同時に、その街の感じからは、ちょっと違っていたから、その浮いている気配が、お客が少ないこともあって、ちょっと不安だったのだけど、でも、できたら、ずっとこの街にこのカフェがあってくれたら、うれしいのだけど、などと思っていた。

 急に、そのカフェが移転する話を聞いた。

 楽しい場所は、去っていってしまうのだと思うと、ちょっと悲しかった。

 だけど、これから移転する予定の場所は、この街よりも、もっと都会で、おしゃれで、それだけに、勝手に心配にもなったけれど、その未来への希望のようなものは、ちょっとうらやましかった。

 その移転のとき、そのカフェでは、小さなバザーのようなものを開いていた。

 そこで、いろいろなものを安く売ってくれていたのだけど、そのときは、妻がいなくて私だけで出かけたので、それほどたくさん買う気持ちになれず、ティーポットを一つだけ購入した。ただ、もしかしたら、そのポットはいただいたのかもしれないが、失礼なことに、その記憶があいまいになっている。

 それでも、それが、今回、取っ手が壊れてしまったポットだったのは、はっきりしている。

 壊れてしまったのは、やっぱり残念だった。

新しい店

 よかったら、新しくお店を開いたら、連絡をください、と伝えていたのだけど、それからしばらくして手紙が来たのか、メールをくれたのか、それもあまり覚えていないのだけど、新しくお店を開いたのを知った。

 場所は代官山。

 駅からは少し歩いて、どちらかといえば、渋谷寄りだった。線路の近くで、その新しい店内には、ブランコがあった。

 焼き菓子や、ケーキも売っていたと思う。

 店主の女性は、変わらず、こちらのことを覚えていてくれて、歓迎してくれた。

 そのお店は、近くの街にあったときよりも、さらに独特さが増していて、他にはない場所だったけれど、それは自然につくりあげているようだった。

 コーヒーを飲んで、お菓子を食べて、ブランコにも乗った。

 楽しい時間だった。

 何の話からそうなったのかわからないけれど、その女性店主が、尊敬するお店があることを知った。

 それは、週に1日だけ開いているお店だった。

 焼き菓子をつくって、日曜日だけ開店する。

 おいしくて、人気があって、大勢のお客さんが来る。

 そんなちょっとした夢のような店があることも初めて知ったし、東京の初台にあると聞いたので、一度だけ行ったこともある。今は、日曜日だけの営業ではなくなったようだけど、ずっと人気のお店のままのようだ。

 
 代官山の新しいお店には、それでも、ちょっと遠いことや、あまり、その近くに寄る用事がないこともあって、失礼ながら、何度かしか行かなかった。何かの折に寄ったときは、まだ午後の早い時間のはずだったのだけど、すでに売り切れていた。

 おしゃれな街の、だけど、やや隅っこで、それほどおしゃれさはないような地域に思えたのだけど、その場所で、確実にお客さんを増やしているようだった。

 すごいことだと思った。

チリムーロ

 お店の名前は、近くの街にいるときと同じだった。店主の名前と関係あると聞いたかもしれない。

 やはりなかなか足が遠のいてしまって、行く機会がなくなってしまって、ただ、時々、どうしているのだろうか、と思って、お店の名前で検索すると、年を追うごとに、評判が高くなっていくようだった。

 システムはよくわからないけれど「百名店」に何度も選ばれているらしいから、もうお店の営業的にも安定していそうだし、その特徴が「スパイシーで、お酒が効いている」というコメントが多く、それは、昔もそうだったのだけど、自分がつくりたいものをつくって、それが評価を得ている、ということのようだった。

 自分が住んでいる近くの街から去ってしまったときは、寂しい気持ちもあったし、代官山で店を開く、と聞いた時は、勝手ながらカフェの激戦地みたいなところで大丈夫なのだろうか、みたいな心配をしていたのが、本当に愚かだったのだとわかる。

 新しいお店に行った頃は、まだそんなにお客さんはいなかったけれど、その時も、普通に機嫌がよく、楽しそうにしていて、こうしたいと未来を話していて、不安のようなものを(もしかしたらあったのかもしれないけれど)感じさせなかった。

 自分がやりたいことを続けて、それが他にはない特徴を持っていて、だから、必要とされている。

 そんなある種の理想を実現しているようにも思えていた。

 今は、ほとんど足を運ばなくなってしまったから、何かを思えるような資格もないのだと思うけれど、今回、ティーポットが壊れて、思い出した。

 そして、ドラマなどでよくあるように、関連するものが壊れたりすると、その元の持ち主によくないことが起きるのでは、とちょっとひやっとして、そんなことは一種の迷信だと思いながらも、検索をした。

 「チリムーロ 2024年 最新」

 今は、検索をしても「AIによる概要」が出てくるが、こんな文章が出てきた。

2024年9月2日時点で、チリムーロは丸2ヶ月の夏休みを終え、9月12日から営業を再開しています。

 どうやら、何事もないようだった。それに丸2ヶ月の休みをとっているのも、なんとなく変わらない感じが伝わってくるようだ。

 よかった。




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おちまこと
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