牛丼屋で聞いた噂話を、今も覚えているけれど、それは事実とは違うかもしれない。
記憶についてはまだわからないことも多いようだけど、それだけに最新の研究などの成果を知り、そのイメージが変わったりもする。
例えば、こうした書籍には、記憶は思い出すたびに加工されてしまい、何度も思い出すと、最初の「事実」とは違ってくるようだ、といった指摘がされていて、だから、大事なことはあまり思い出さない方がいいかもしれない、といった話までされている。
だから、よく覚えていて、思い出すことも多く、人にも時々話しているようなことは、もしかしたら最初の出来事とは、随分と違ってしまっているかもしれないとも思うが、それでも、またこうして誰かに伝えたくなる。
牛丼屋
ハンバーガーのチェーン店などが、自分にとっては割高な感じになってからも、それなりに時間が経ってしまったので、一人で外食するときには、牛丼屋のチェーン店に寄って、食事をすることが多くなった。
長いカウンターで、他のお客さんとは、なるべく距離をとれるような場所の丸いイスに座る。他の人たちも、同じようなことを考えているから、誰が指示するわけでもないのに、適度な距離をあけて、人が並ぶことになる。
そして、私もそうだけど、一人で来る客が多く、これも自分がそうだった頃の記憶があるからかもしれないので、それと重ねすぎる偏見かもしれないけれど、1日誰とも話していないのではないか、といったように見える人が何人かいるような気もする。
何しろ、一人で来て、これほど「黙々と」という表現が似合う場所はないとは思うが、黙々と一人で食事をし、今はスマホを見ている人も少なくないのだけど、食べ終わったら、そのまま席を立つ。その背中には、スタッフの「ありがとうございましたー」の声が投げかけられる。
そうした場面以外では、かなり静かで、スタッフの事務的な声や、作業音などが響き、客がとても少ないときに、厨房の方から、スタッフ同士の雑談の声が聞こえてくるが、それ以外は、人の会話があまり聞こえてきた印象がないのは、あまり客が多い時間帯を避けてばかりいる自分の偏った見方かもしれない。
それでも、牛丼屋は一人客が多いから、会話を聞く機会が少ないのと、何人かで来たとしても、食べることに集中し、長居する場所ではない、という暗黙の了解があるせいだと思う。
ただ、夜になって、アルコールも飲むようなお客が近年増えているという話も聞いたことがあるので、そうなると、またこれまでにはないような光景が見られる可能性もある。
牛丼屋での3人組
もう10年くらい前のことになる。
午後遅く、カフェなどではランチタイムが終わってしまう頃に、牛丼屋に入った。お腹が空いて、食事をする、というシンプルな目的で、そういう時に牛丼屋のチェーン店は安くて、それなのにおいしくて、さらにはその時の状況でご飯の量も調節できるから、やっぱりありがたい。
一人で座っていると、それから二つほど席を空けた場所に、3人くらいの若い男性がカウンターに横並びになって座る。
一人客が多いといっても、よくあることだし、ちらっと見た3人の風貌は学生らしい感じもするが、都心部だったこともあり、カジュアルな服装でも許されるような会社勤めな気配もあった。
だけど、それも、特に目を引くことでもないし、席が近い人間が、やたらと見るのも失礼だから、関心も向けずに、自分の手元に来た牛丼を食べ始める。
それに少し遅れて、その近くの3人組にも注文したメニューが届いたようで、そのあたりから、その3人の中で会話が始まった。
それほど聞く気がなくても、ちょうど聞こえてきてしまうし、会話といっても、その中の一人が主導権を持って話を進めているようだった。
そういう場合は、その一人の自慢話だったり、いつもの定番話だったりすることも多いので、失礼ながら、それほど面白くないこともあるので、ちょっと興味が遠ざかりそうだった。
こういう意識の持ち方や変化は、とても勝手なものだけど、人が話をしていると、やっぱり注意が向いてしまうのだった。
噂話
内容は、牛丼屋で食事をしながらも、食べるものに関しての話題から始まった。
あのさ。
何?
マッサマンカレー、って知ってる?
え、何?
そのマッサマンカレーって、世界で一番おいしい料理、って言われているんだって。
そうなの。
うん。
そこで3人の会話が一段落した。
今では、マッサマンカレーは、スーパーでレトルトカレーとして普通に販売しているけれど、10年前は、まだそれほど一般的ではなかったし、情報に強いわけでもなかったから、当時の自分にとっては初めて聞く単語だった。
マッサマンカレーか、機会があったら食べてみたい。
まったく関係ない私も、そんなふうにやや前のめりに思ってしまった。それは、その彼の話し方やテンポが聞きやすかったせいだと思う。
琵琶湖の水
そんなふうに思っていると、その3人組の会話の内容は、スッと変わった。
よくさ、京都の人がさ、
うん。
琵琶湖の水を飲んでる、っていう話があるでしょ。
うん。
それで、滋賀としてはさ。
ああ。
ずっと話の中心だった男性は、どうやら滋賀県の出身のようだった。
そして、話は続く。
京都の人は、琵琶湖の水を飲んでて、そのことに感謝がないというか、なんとなく滋賀の人を見下しているというか、そんなふうに言われているよね。
あ、そうなの。
そうなんだよね。だから、滋賀の人間にとっては、頭に来ている、といった見られ方をされてるじゃん。
あ、そうかも。
それがさ、滋賀の人間から見るとさ、ちょっと違うんだよね。
何が?
琵琶湖の水を、京都が使っているけれど、あれは、琵琶湖の下の方なんだよね。
あ、そうなの。
そばで聞いているだけの私は「南ではなく、下って言ったけど、その方がわかりやすい」などと思っていた。
さらに、彼らの話は続く。
琵琶湖はさ、上の方は水がきれいだけど、下の方は、そうでもないわけ。だから、京都の人が使っている部分は下の方だから、なんていうか、滋賀からしたら、その部分をわざわざ使ってもらっている、みたいな感じもあるんだよね。
そうなんだ。
と、そばで聞いている私も思ってしまったし、二つの話題は、自分が無知なせいもあるかもしれないが、どちらも全く知らなかった。
事実の加工
専門家によると、記憶は、加工されるらしい。
だから、大事な思い出はあまり思い出さない方がいい。
そんなことを本で読んだのは、最近だけど、この牛丼屋での噂話は、そもそも、どちらも事実かどうかもわからない。琵琶湖の水を語った若い男性が、滋賀の出身かどうかも確かめようがない。
ただ、この牛丼屋で聞いた、二つの話題に関しては、どちらも根拠がありそうだった。
ただ、牛丼屋で聞いた噂話なのに、どうして自分が思ったよりも印象に残ったのか。さらには、何度か思い出すことで、自分の脳が加工していて、最初の事実とはかなり変わっている可能性もあるけれど、そうした印象の残り方については、その理由は自分でもわからない。
ただ、これもすでに事実と変わっているのかもしれないけれど、その時の話の中心になっていた男性の声質や話し方のテンポなどが、人に届きやすかった記憶はある。
記憶に残る、というのは、改めて不思議なことだと思った。
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