読書感想 『立体交差/ジャンクション』 大山顕 『「見続けること」の困難と幸福』
東京都大田区主催の建築関係の表彰式みたいなものがあり、そこで講演会があり、大山の話を初めて聞いたのは2018年だった。その前に著書も読み、ある程度の予想があり、だから、聞きに行ったのだけど、事前の想像をはるかに超えて、面白かった。そんな粗い言い方しか出来ないくらいに、やや「硬め」の行政主催の講演会とは思えないくらいに、時間も過ぎるのが早く、あまりにも気持ちが高揚してしまい、質問までしてしまった。
「第2回大田区景観まちづくり賞表彰式等の実施 」
「興味」の持続の成果
大山は、「工場萌え」で知られているが、他にも「団地」「高架下住宅」そして「ジャンクション」の写真集なども出版している。大山が、講演会の中で、強調していたのは、工場にしても、奇をてらって、撮影を始めたわけではなく、単純に「かっこいい」と思っていたことだった。
ゴルフ打ちっぱなし。変電所。立体駐車場。高架下建造物、と次々と映像が変わり、どれも、とても面白く、その共通したものとして、「ままならなさ」というキーワードを提示してくれた。それは、土地にしても、どうしようもない前提条件があって、そこにどう折り合いをつけるか、といったこと。工場であれば、どうしても、機能優先になっていて、見た目、があとになっている感じや、建設するには無理目な土地に立てた団地とか、そういったことがグッと来るのだ、という話。
興味にまっすぐ向かい続けた膨大な蓄積。
そんなことが伝わってきて、とても面白く感じたのだと、話を聞いていると、少し分かってきた気がしてきた。
さらに、具体的なことについての話も続いていった。
田園調布でさえも、放射状は地形を生かしている、という事。練馬区・光が丘の広い駅前からの道は、昔は飛行場だった、という事実。ある団地の丸い微妙な窪地は、その昔、野球場だったことを示す画像。大森のテニスクラブは、細長い窪地で、昔、射撃場で、その碑まであるという、まったく知らなかったこと。
興味を持って、見続けることで、こんなことまで見えてきて、分かるのだという事実を知らされた驚きと、冷静に考えると、こんなに見続けることの困難さを改めて分からされたのと同時に、大山の話には、ずっと幸福感があることも分かった。だから、聞いていてすごく楽しかったことにも気づいた。
『立体交差/ジャンクション』
著者は、ジャンクションの写真は、一般的には上空からの撮影が多いのだけど、自分は違い、何しろ、「下から」だと、講演会の時にも強調していたが、それが具現化された一冊である。しかも、土木学会出版文化賞を受賞しているから、その道の「プロ」にまで届いた作品だったりもする。
この本の大部分は、ジャンクションの写真が並んでいる。
ページ表記が抜けているところもあり、どの場所であるかは最後の方に書かれているので、写真を見ながら、特定の土地、という具体性を分かるのは、やや困難になってしまうのだけど、ひいき目に語れば、そのジャンクションの存在そのものを見ることができる。
それは、この本の文章の部分にも載っているのだけど、改めてみると、異質感があることに気がつく。というより、本当は誰でもジャンクションのような場所を一度は見ているはずだし、人によっては日常的に見ているはずだけど、そこは機能優先の場所であり、高速道路という、それ自体が「非日常的な存在」でもある。だから、「空」に設置されて、日常的な視界からは遠ざけられているのに、その高速道路同士を交差させるのだから、どうやっても過剰な場所になってしまう、といったことを思う。
上空からの写真は、その機能を美しく見ることができるのだけど、「下から」は、その機能を達成するための無理とか、過剰さが、ある意味でむきだしになっている部分でもあるはずで、それを大山はとらえている。ただ、それは、その隠そうとしたものを見せる、といった意図ではなく、おそらくは、講演の時に聞いたように、「かっこいい」と思って撮影しているはずだ。
その、「下から」のジャンクションの姿は、上空のものよりは、肉眼では、より多く見ているはずなのに、自分が目に入っているのに、見ていなかったことにも気づかされる。だから、この本に接してしまったら、次に「ジャンクション」に出会った時には、おそらくは違う見方をする自分が予想できる。
さらに文章では、これまで疑問だった川崎大師のことが、交通の歴史の流れの中で、くっきりと見えてきたように思えたし、日本橋の、これからの道路計画に関しては、著者の意見に全面的に賛同してしまうような気持ちになれた。
ぼくはずっと「そんなに『空』が欲しければ、これまでインフラを重ねてきたこの地点の歴史を踏まえて、首都高の上にさらに橋を架ければいい」と半ば本気で主張してきた。
日本橋の上に走っている首都高速道路を地下に通して、空を取り戻す、といった言葉が、政治的な意図と共に語られて始めてから、かなり時間がたつような気がするが、大山の主張を聞くと、まず前提として、「日本橋」は、各時代のインフラが積み重ねられた「特異点」のように思えてくる。
橋の下を流れる川が、江戸時代から人の手が加えられているものであり、その上の日本橋自体も、何度もかけかえられている。さらに、首都高もすでに50年以上の歴史を重ねている。もっといえば、川の下には、地下鉄も通っている。これだけの歴史が積み重なっている場所なのだから、その歴史を尊重し、そんなに空が欲しければ、首都高の上に太鼓橋をかけるべき、といった話を大山の講演会で聞いて以来、それがベストと思うようになったし、すでにそれは、絵画として実現しているのも、大山の話で改めて知った。
この山口晃の作品は、どこかで見ているはずだったのだけど、日本橋の首都高の上に太鼓橋がかけられていたことは、見逃していた。
「新写真論 スマホと顔」
2020年になって、大山が新著を出した。
まだ読んでいない作品を紹介するのは反則だと分かっているのですが、その題名から見ても、間違いなく面白いと思いますので、この「立体交差/ジャンクション」がフィットする方でしたら、オススメできると思います。私も、読んだら、また「読書感想」を書きますので、読まないで紹介する無礼をご容赦ください。すみません。
(2020.8.8付記 「新写真論」の読書感想を書きました↓。もし、よろしかったら、クリックして読んでいただければ幸いです)。
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(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、クリックして読んでもらえたら、うれしく思います)。
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