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チョウの飛び方は、やっぱりすごい。

 21世紀の今でも、親子と思われる二人組が、虫かごと、虫捕りあみを持って河川敷を歩いている姿を見ると、なつかしさと共に、そういう行為の変わらなさに、どこか感心する思いもある。

 殺虫剤の殺傷力は年々強くなっていくようだし、確実に処理するという能力がどんどん高くなっているように思うから、虫を捕る、という行為も、もっと確実性が高い道具が出てきてもいいような気がするが、それは教育上良くないのかもしれない。

 ただ、ああいうふうに、虫かご虫捕りあみを持っていた、小さいときは、確かに自分もチョウをよく見ていた。その飛び方を見つめて、次にどこに飛んでいくかを予測し、それがわからなかったけれど、それでも虫捕りあみを振り回していた。

 だから、じっくりチョウが飛ぶのを見たのは、すでに何十年も前のことになる。


モハメド・アリ

 チョウという言葉は、比喩としては、よく聞いてきた。

 今では、あまり言わなくなったと思うけれど、一部の大人たちが「夜のチョウ」という言葉をちょっとうれしそうに発していた。それは、本当に昭和のことだと思うけれど、今でいえば、夜の街で働く女性のことを表していて、しかも、その言葉が多用されるようになったのは、映画がきっかけだったらしい。

 そのあと、やたらと印象が強かったのはボクシングの歴史的なチャンピオン、モハメド・アリの言葉だった。

「チョウのように舞い、ハチのように刺す」

さて、1964年にアリは22歳で、19戦無敗の成績で初の世界タイトルマッチに挑戦します。「チョウのように舞い、蜂のように刺す」は、この試合前の会見で発言したものですが、実はこの名言に続きがありました。

「奴には私の姿は見えない。見えない相手を打てるわけがないだろう」

アリはディフェンスとフットワークに絶対的な自信を持っていた

(『マガジンサミット』より)

 だから、この言葉のチョウの部分は、アリのディフェンスとフットワークの凄さを表しているのだと思う。それだけ、チョウの動きはとらえどころがない、ということが、多くの人に共有されていた感覚でもあるのだろう。

チョウの飛び方

 わりと最近、外出して、公園のベンチに座っているとき、チョウが飛んできた。

 その中でもアゲハチョウは、羽も大きく、だから、飛び方も他の小さめのチョウよりも目で追いやすい。

 なんだか、久しぶりに、その飛び方を見た気がする。

 遠かったり、近づいたり、上にのぼったり、急に下がったり、本当にあちこちに飛んで、それも不規則な曲線を描く。モハメド・アリが言っていたように「舞う」という言葉の方がふさわしいほど、その動きは美しさを感じさせる。

 それに、目で追っていると、改めて、そのスピードが、ひらひら、というような表現にはおさまらないほど、かなり速く、だからこそ、その飛び方によって、天敵から身を守る、というような話をどこかで聞いた気もするのだけど、それを確認できるような不規則さとスピードだった。

 そのチョウの飛び方を見ていると、他のことを考えられない。
 それほど複雑さとスピードがあるから、もしかしたら、チョウを飛ぶのを目で追うのは、気持ちがちょっと無になることができる時間なのかもしれない。

 そのとき座っていた公園のベンチのそばには、私にとっては名前を知らない花が小さく咲いていて、その花のところに止まっては、すぐに飛び立つの繰り返しをしている。

 それを見ていると、次はどの花に行くのだろう、とつい予測もしてしまうのだけど、飛んでいるチョウは、そんな外側の視線を知っているわけではないはずなのに、その予測も当たらない。

 そんなことを繰り返して、いつの間にか、チョウは遠くへ去っていって、視界から消えていった。

飛び方の分析

 あの不規則さは、スーパーコンピュータによって解析されているようだ。

 ドローンのような超小型飛翔体を開発するために、ハエやカの飛翔を解明する研究は、世界中で数多くなされています。「飛ぶために胴体を動かさないこれらの昆虫に対して、チョウは腹部や胸部も動かしています(図1)。つまり、チョウの飛翔をモデル化するには羽だけでなく、腹部や胸部の動きも計算に入れなければなりません。とても複雑でチャレンジングな研究です」と鈴木さんは説明します。

 チョウは羽を打ち下ろして揚力を、後ろ方向に打ち上げて推力を得ます。そのとき、胴体の動きは羽の動きと連動しており、胸部の角度で羽を動かす方向をコントロールするといわれていますが、詳細はまだ分かっていません。

(『広報サイト「富岳百景」より)

 チョウの飛ぶ姿を目で追っているだけでは、胴体を動かさないハエやカと違って、チョウが腹部や胸部も動いていることは、全くわからなかった。

 そのことによって、あの飛び方の複雑さを生んでいると考えると、時として優雅さの象徴のように言われるチョウも、体全体を使って、あの動きになっていて、しかも、その飛び方の詳細はわからないらしいので、それは独特の動きをする、アスリートに近いのだと思った。

チョウのかたち

 チョウに限らず、昆虫が苦手という人は少なくない。

 確かによく見ると、ネコやイヌといったほ乳類が、人間と近くて気持ちも通じそうに思えるのと比べれば、昆虫は、違う種類の生き物なのは間違いない。

 だから、苦手と思う人がいてもおかしくないし、チョウもよく見ると不思議な形をしている。体は、とても細く、小さい。それに比べると、羽はとても大きいから、チョウの印象は、その羽の模様になってくる。

 それに、チョウの幼虫時代は、種類によって違ってくるけれど、いわゆるイモムシと言われるような形だから、その存在に対して苦手どころか嫌いだという人も少なくないし、それは無理もないと思う。

 ただ、やはり庭でイモムシを見つけ、これがあのチョウになるかと思うと、その姿の変化の大きさと、意外さに改めて不思議な気持ちにはなる。

庭のチョウ

 洗濯をしようとして、庭に面した、ほぼ外に置いてある洗濯機にたまった洗濯物を入れて、スイッチを押そうとしているとき、チョウが飛んでくることがある。

 どこからか、突然現れ、庭に咲いている花のあちこちに止まって、すぐ飛んで、そして、曲線を描いて、次の動きがわからないまま、しばらく庭の中を飛び回って、それも、やっぱり思ったより早いスピードで移動をし、どこかへ行った、と思ったら、また戻ってきて、しばらく飛んでいることもある。

 その姿は、限られた庭の空間に自由な線を描いているようにも見える。

 もしも、チョウの飛行したあとが全部、線として残るようなことがあれば、それはドローイングとして作品化できそうなほどの不規則さと、時々、美しさを感じさせる。

 さらに、洗濯機が止まって、洗濯物を干そうとする時も、チョウが飛んでいる印象があるけれど、つまりは、昼間の間は、小さな庭でも、かなりの頻度でチョウが来ている、ということになるのだろう。

 セミの抜けガラが夏の間は、庭にたくさん出現するけれど、そのセミの出身地は、この庭になるから、例えば庭の柿の木の幹に止まって体に比べたらとんでもなく大きな声で鳴いているセミは、もしかしたら、この庭から生まれたのかも、などと思うけれど、同じように、庭に出現するチョウは、もしかしたら、幼虫としてこの庭の植物の葉っぱを食べて成長し、羽化してチョウになって戻ってきたのかもしれない、などと根拠のないことも思う。

 さらには、この庭で見られるチョウとしては、アゲハチョウが最大に近いはずだけど、もう少し小さく名前がわからないチョウが飛んできて、庭の中でしばらくあちこちの花に止まって、飛んでを繰り返すのを見ていると、少し飛び方が違うように思えてくる。

 当たり前かもしれないけれど、羽が大きいチョウの曲線の描き方の方が、大きいように見える。ひとはばたきでの移動距離が、羽の大きさに比例するように見えて、だから、鳥などに狙われているとしたら、羽が大きい方が目立つから、その襲撃をかわすとしたら、サッカーで切り返しの大きいドリブルの方が、ディフェンスに取られにくいように、大きく一回の飛行で、不規則なだけなく、より大きい動きをしなくてはいけないのかもしれない。などと勝手に推測すると、羽の大きさで、移動距離が変わるのは、理にかなった気もする。

 だけど、もっと単純なことを想像すれば、大きいチョウが、小さいチョウより大きい曲線を描いて飛んでいるとすれば、やっぱり、より負担がかかっているから、当然ながら、大きいチョウの筋力も大きいのでは、と思ったりするのは、1日に何回もチョウを見かけることができて、それも、何種類かを見ることができたせいだと思う。

 そんな時間が少しでも蓄積すると、街中であっても、少し注意深くあれば、チョウだけではなく、さまざまな生き物がいるのでは、という想像までたどり着いた。

 もしかしたら、街の見え方が少し変わるかもしれない。



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