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転校初日をループする病(高次脳機能障害と発達障害)

若年性認知症

自分が出会った若年性認知症の患者さんは元々大手の商社で働いていたそうだ。
一見すると優しいお父さんのような風貌ではあったが、この時すでに彼の記憶は少しずつ抜け落ち、ほとんどの生活行為が自立できていない状態だった。
一緒に活動すると不安が高く、こちらが言う全てのことに、小さい男の子のような口調で何度も確認をしていた。

料理をすると、手の使い方などは覚えており、何も言わなくても利き手で包丁を持ち、押さえる手は猫の手になり、魚の鱗を削ったり、捌いたりする手つきは、ベテランの板前のようだった。でも肝心の包丁がどの引き出しに入っているかは全く思い出せなかった。

そんな彼と僕は小学生がするような小銭の計算ドリルを一緒にした。
その姿は普段僕が接する知的障害を持った子どもたちによく似ていた。

僕は最後まで、彼が何を考えているかわからなかったが、セッションを終わった後、彼はいつも僕たちを扉の外まで見送りに来てくれた。
彼の記憶には働いていた頃の記憶はない。
自分自身の娘の記憶もない。
普段から一緒にいる奥さんに対しても、どこか気を許していないような姿が見られる。
エピソード記憶が仮に定着しないなら、それも頷ける。
彼は常に初日の転校生で、右も左も分からない初めての経験に常に不安を感じているからだ。
その不安が解消するまもなく、転校初日がループする。
次の週、もう一度彼に会っても、彼は転校初日のように不安そうな表情をしていることだろう。

高次脳機能障害と発達障害

大人が脳血管障害になった時、周囲はその患者の性格変容を疾患のせいだと思うだろう。
今までできていたことが急にできなくなったり、覚えていたことを忘れてしまったりすることに対して、脳血管障害における脳画像との関連性を見出し、この部分の障害がこの機能に関与していたと結論づけることができると思う。

しかし、発達傷害を持った子どもの場合、元々何もできない状態で生まれてきて、練習不足や経験不足、さまざまな環境要因も加わり、使える部分で代償しながら出来るようになってゆく中で、一体何が原因で出来ないのかはっきりとはわからない場合が多い。

だから、あからさまに存在する彼らの脳の基質的な障害に気づくことができない。
これは軽度の障害であればあるほど、代償ができていればいるほど、見分けることが難しい。

視力の悪い人からメガネを取り上げて、全員が全く同じコンディションで試験を受けさすことが平等ではないように、発達障害を持った子どもを健常児とを同じ物差しで測ることはナンセンスだ。

彼らの行動は彼らの障害特性に起因するもので、どんな問題行動であっても、その行動が好ましいものか、好ましく無いものかを教えることは可能だが、彼らの責任を問うことはできない。

発達障害の2次障害

高次脳機能障害と発達障害の症状は部分的にとてもよく似ている。
原因の違いはあれ、それは双方、脳の基質的な障害に起因している事を示している様に見える。
しかし、発達期の発達障害を持った子どもにあって、認知症の高齢者や高次脳機能障害の大人にないものが存在し、それが彼らの苦悩の源になる。

それは、親の期待である。
子に期待しない親はいないし、発達障害の子も成長する。
親が彼らの生きづらさを一番理解し、一番考えているにも関わらず、その愛情と期待がゆえに彼らを追い詰め、うつや愛着障害などの2次障害を引き起こす。

この問題の根底には、本人の意欲が強く関係している。
事故や脳血管疾患等による高次脳機能障害の患者さんやその家族は、元の生活に戻りたいと強く願うのに対して、発達障害を持った子たちには自分にできた経験がない為、できるようになりたいと思えない。
日常生活のあらゆることで劣等感を感じ、諦めることが常態化している為、治療的介入や訓練に意欲的に取り組むことができなかったりする。

もちろん、やりたくない事はやらなくていいと諦めることもできるが、それが子たちの将来を狭める行為になりかねないと、手術を受けさしたり、健常の子らと同じ量のテストや宿題をさせた結果、神経症的症状を呈する発達障害児をよく目にする。

健常な我々でも、一つの課題に対して、人それぞれ、さまざまなアプローチが存在し、使いやすいモダリティが存在する。何が普通かどんどんあやふやになり、AIやChat GPTを使いこなせない人は今後どんどん職を失い、その状態を納得するための新たな診断名が開発される。

現在は不器用やせっかちに診断名がつく。
度を越えると性格や人格にも診断名がつく。

だから、自分ができないことを嘆く必要はないのかもしれない。
自分以外の人生を体験した人はいないので、何が正常かわからない。
基本的に自分はまともと思いたいし、そうかも知れないなんて考え方はできないが、そういう病気だと誰かに言われた時に、我々も気持ちが楽になるのかもしれない。

少なくとも見守る立場としては、意欲を引き出し、マイノリティとしての彼らの想いに共感し、声を代弁する事が重要となる。


(お話のモデルになっている人の年齢や性別や設定は個人情報に配慮してあえて創作を加え、実際の情報とは変えてあります。)


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