たまに自分が恐ろしくなる。【エッセイ】
たまに私はどこか異次元に翔ぶ。
皆さん、蝉の抜け殻は何を考えているか考えたことはありますか?
いったい何を考えていると思いますか?
中身はもうありません。なんせ、抜け殻ですから。
そんな蝉の抜け殻は何を考えているのでしょう。
必死にしがみついている姿。意思があるように思えて、実は存在しておりません。
つまり、空なのです。
言ってること、分かりますか?
しかし、あの必死にしがみついているようにも思える蝉の抜け殻に意識があったとして、抜け殻はしがみつきながら何を考えているのでしょうか。
きっと何も考えてはいません。
なんせ、空なのですから。
私は時々、蝉の抜け殻になる時があります。
気がついたら蝉の抜け殻の如く、空になっているのです。
そして、そんな自分が恐ろしくなります。
あれはよく晴れた夏の日でした。
私は仕事で現場に立って作業を見ていました。
私は作業を見ていたはずでした。
作業が無事に終わり、作業をしていた相手から使用した物品の数がジェスチャーで私に向けて伝えられました。
相手曰く『しっかりと目は合っている』はずなのに数を伝えても私は微動だにしません。
仕方なく、もう一人の職員に伝えたそうです。
もう一人の職員が笑いながら私に言いました。
「あの人がずっとジェスチャーで伝えてるのに無視したやろ」
私は呆気に取られました。
「なんのはなしですか」
これが記憶がないタイプの『なんのはなしですか』なのかと味わいつつ、無視したわけではないことを伝えました。
そして、ジェスチャーした相手にも謝罪しました。
相手はこう言いました。
「なんでずっと目が合ってるのに気づかないの」
それは…私にも分かりません。
その真相は私が知りたいくらいです。
#どうかしているとしか
まさにこれです。まさか、ガチの『なんのはなしですか』と『どうかしているとしか』を体感するとは、私自身驚きです。
私は思い返しました。
なぜ見えているのに見えていないのか。
そうです。
私は『見えているけど認識できていない』世界にいるのです。これはこれまで生きてきた中で何度も経験しています。ADHDという特性が関係しているのだろうと思います。
あの時、私は何か考え事をしていたのだろうか。いや、考えていたとしても何を考えていたのかすら覚えていない。もしかすると何も考えていなかったのかもしれない。
つまり、私は『無の境地』にいたとさえ思えました。
本当に自分でも恐ろしいです。
あの時、自分の中身はそこにはありませんでした。
きっと蝉の抜け殻と同じです。私は蝉の抜け殻と化したのです。
抜け殻になろうと思ってなるのとは、また違います。
なりたくなくても、いつの間にかなっている。
これが真の抜け殻です。
しかし、真の抜け殻とは危険です。
仕事に支障をきたすからです。
無意識に抜け殻と化した私は人間世界で言う『使えない者』です。
正直言って、抜け殻に人間世界は厳しいです。
厳しくも優しく抜け殻を拾って受け止めてくれている職場の人達には感謝しています。
さて、この抜け殻体験をしている人はいったい同じ世界に何人くらいいるのでしょうか。
きっとどこかに仲間はいると信じています。
まぁ、こんな抜け殻が沢山いても困ると思いますが…
だって私もきっと、抜け殻が相手だったら困ると思うので(;'ω'∩)
なので、私はこんな自分が嫌です。
嫌で変わりたくても、なかなか思うようには行きません。
だけど、抜け殻になっちゃう自分が嫌いではないです。
抜け殻になること自体は悪いことではありません。
ただ、仕事の時は集中できるように頑張りたいと思います(-人-)
職場の人達の反応を見ても分かる通り、この体験は、ほとんどの人に理解されません。
そんな理解の範疇を超えた、人知を超えた経験・体験をできるなんて最高だと思いませんか。
全く自分でも理解できない自分が意味不明で、おかしすぎて、もっと知りたくなります。
つまり、そんな自分が好きです。
#なんのはなしですか
#どうでもいいか
#どうかしているとしか
#どんとこい2024秋