見出し画像

一杯の珈琲にある物語

妻が毎晩珈琲を一杯分だけ作ってくれている。

このところ仕事から帰るのが最終電車になることが多くお互い顔を合わせる機会が減ってきた。それでも毎晩ご飯を用意してくれている妻には感謝しかない。そんな日々の中にあって、この一杯の珈琲の存在が嬉しい。私は毎晩お酒を飲まないかわりに珈琲を飲むようになっている。その日一日を振り返りつつリセットしてから布団に入る。妻もそんな私の行動をよく理解してくれているからこそ食後の珈琲をちゃんと用意してくれる。妻も珈琲好きなので自分の分のついでに淹れてくれてることもあれば、私だけに淹れたんじゃないかなと思う時もある。ようは嬉しいのです(惚気か?!)

一杯の珈琲の背景にお互いの信頼度が関係している思うようになった。先日参加したファシリテーションブートキャンプの際に学んだ「相手に寄り添う」というあり方。そんな関係を作ることが本当の意味で相手に対して感動やインパクトを与えるアクションに繋がっていくんだなと実感した。

飲食店におけるお客さんとお店の関係に置き換えてみると、なるほどと思える部分がある。単純に「要望に応える」だけではなく「お客さんの本音に寄り添う」ことで深い信頼関係が出来る、いわゆる「常連さん」や「ファン」になるんだね。料理だけじゃない人と人の関係がとても大切なんだろうね。

先日Facebookのタイムラインにある主婦の記事が流れてきた。「してほしいことはちゃんと伝えるべきよ」という話に対しての違和感を感じたことが綴られていました。

要望を言葉で伝えることは大切です。しかし、自分が何をしてほしいのか考えて、小言をいうことに疲れてしまいました。
それに、もしも私が何も伝えなかったとしたら?また、何もしなくなるんですよ。何をすべきか尋ねることがあなたの仕事ではないし、何をしてほしいかを伝えることも私の役目ではありません。
思いやりを持っていれば、自ずとすべきことが分かるはずです。小言をやめて、何をすべきか聞くのもやめて、要求するのもやめて…その時、残っているのは静かな『怒り』です。
その怒りは、お互いの関係にとっての『ガン』になります。自分が何をすべきかなんて、本当は誰かに聞くものではありません。あなた自身ですべきことなんです。

日本語だと「思いやり」とか「察する」と言われていることなんだけど、相手の事を「他人事」にせず「自分事として受け止める」ことが出来たら「手伝う」みたいな他人事の意識がなくなり、当事者意識で行動に現れる。

「そんな関係になっていけると幸せだよね」

自分は出来ていると「決めつけ」が見えて妻からバッキバキにされた夜、そんなことを思いながら寝れない夜をすごしました...

いいなと思ったら応援しよう!

杉野重人(シゲさん)
食の課題を解決するソーシャルデザインをもっと考えていきたい。サポートよろしくお願いします!