感じる心を。
南伊豆に来てから3週間。
何キロも続く遊歩道や、車の多いメイン通り。
来た当初は、どの景色を切り取っても新鮮で、
新しい街並みを味わっていた。
しかし、20日ほど経過した最近のこと。
南伊豆が、見慣れた景色に変わりつつある。
***
いつもの道を歩くとき。
素通りしてしまう情報が、多くある。見慣れた看板や、気づかなかった脇道。
素通りする背景には、脳内で、過去のことや、未来のことを考えているからかもしれない。
たとえば、昨日の失敗を悔やんだり、来週の予定を待ちわびたり。
そんなとき、“今その瞬間”に目を向けてみることで、いつもの景色が変わることがある。
発見が生まれるときがある。
そんなふうに感じたのは、今日の昼、
久しぶりにカメラを持って散歩したときのこと。
カメラを持つと、目の前の風景から、何かを見つけようと、目を凝らす。
そうして何かを見つけ出す。
たとえば、今日の最高気温は9度。
肌感覚としては、冬と認識してしまう自分がいた。
しかし、カメラを持って、散歩道を歩いてみる。
すると、小さな春を見つけることができたのだ。
終わりかけの水仙だったり。
住宅街を彩る菜の花だったり。
春のはじまりを連想させる、桜だったり。
普段春を感じることなどなかった道も、
目を凝らすことによって、一気に春が訪れる。
そうして1つ、自分も得した気分になって、さらに今このときに、目を向けようとする。
日常は、発見の宝庫。
私たちは、慣れが生じると、つい目新しいものに目を向けてしまう傾向にある。日常を、ありきたりに過ごしてしまうことがある。
でも、季節だって、人間だってうつりゆく日々の中。
そう考えると、どんな風景にも、同じ瞬間なんて一度もない。
日常は、発見の宝庫だと、気づける自分でいたい。
いつもの景色から、発見ができる自分でありたいのだと思う。
今後もカメラを持って、散歩に出かけよう。
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