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「伝える」言葉から「伝わる」言葉へ

分からないことがあれば、検索ボタンで情報に触れられる今の時代。

スマートフォンでの流し読みから、
どれだけの情報を理解することができるのだろう。
どれだけの分からない言葉を素通りしているのだろう。

書き写すことで、見えてくる。

「言葉に対して意識的に目を向けたい」
そんな思いから、「エッセイ」および「コラム」の書き写しを始めたのが、3週間前のこと。
毎日「エッセイ」や「コラム」を音読し、ノートにペンで書き続けた。

今回は、そんなルーティンを通してどのような変化が起こったのか、綴っていこうと思う。

読み手を想像する

現時点での感触。
それは、いざ自分が文章を書くときに
「書きたい」文章から「伝わる」文章を意識して書くようになったこと。

物書きの人たちの文章を音読して読んでいると、なめらかに文章が読めることが多くある。
それはときに、言葉のリズム感だったり、構成だったり。

相手に伝わるために、文章を組み替えている。

たとえば、先日書き写した「今日のダーリン」。
ほぼ日刊イトイ手帳で書かれる糸井重里さんのエッセイだが、構成がすごくわかりやすい。

「書き出し」で誰にでも共感しやすい導入からはじまり。
次に「具体例」が説明され、「自分が感じたこと」が続いてくる。
最後に、「多くの一般論」で占められているエッセイ。

普段文章を流し読みするとき、リズムや構成について、無意識に読んでいることが多い。
だけど、自分で音読すること。そして、ペンで書いてみること。
そんなふうに文章に触れてみることで、読み手に伝わるための仕掛けがたくさん込められていることに気付いたりする。

そしてその仕掛けを、自分が文章を書くときに当てはめてみる。
うまくいかないときは、構成まるごと真似をしてみる。

贈り物であるように。

自分で読み物をするとき、理解度が低いだけなら自己責任だ。
ただし、いざ対人に言葉を伝えるとき、誤った伝え方をする可能性を想像してみる。
そう考えると、普段から意識して、言葉と向き合うということは、大切な行為なのかもしれない。

私は、相手に贈り物をするように、文章に向き合っていきたいのだと思う。

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