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保護猫を迎え、猫に学ぶ(ジョン・グレイ)を読んだ

パートナーが猫を飼いたいと言い出してから約3年、不動産探し、時間及び金銭的余裕の確保を経て、保護猫を2匹迎えました。

ちなパートナーINTP、人間はそんなに好きじゃないけど猫は好きらしい。ぽい。
私はたまに猫動画を見るくらいには好きですが、実物と触れ合ったことはほとんどなく、動物を飼うのは大変な覚悟がいるものと思っていたので、一人暮らしだったら絶対飼っていなかったです。猫と暮らすってどんな感じだろう?という知的好奇心が勝って実際飼う運びになりましたが、これは完全にパートナーと暮らしたことでできたご縁ですね。セレンディピティを感じる。

2匹が我が家に来て1か月ほどですが、うんちは臭いし、もうゲロってるし、すごい勢いで走り回るし、甘噛みだけど痛いし、ひっかき傷はできるし、色んなところに侵入して悪戯するし、と、人間二人暮らしから打って変わって毎日ドタバタになりましたが、とにかくかわいいんだなこれが。

躍動感がありすぎて寝てる時しか静止画が撮れない件

かわいいは正義。

さて、図書館で飼い方のハウツー本を見ていたら、同じ並びに猫の哲学書があったので読んでみました。ジョン・グレイ猫に学ぶという本です(訳者が私の愛読書=愛するということ(エーリッヒ・フロム)と同じ鈴木晶さんだったので運命を感じる)

猫は哲学を必要としない。本性(自然)に従い、その本性が自分たちに与えてくれた生活に満足している。一方、人間のほうは、自分の本性に満足しないことが当たり前になっているようだ。人間という動物は、自分ではない何かになろうとすることをやめようとせず、そのせいで、当然ながら悲劇的な結末を招く。

パスカルが指摘したように、生まれつきもっている本性と並んで、慣習によって形作られた第二の本性を持っているという点で、人間は特異だ。第二の本性を第一の本性と取り違えたとしても不思議ではない。社会の慣習に従って生きた人の多くはひどい人生を送ったということだ。自分自身の本性を間違えるというのは、猫にはありえない。

猫に学ぶ(ジョン・グレイ)

猫は本性(コナトゥス)に従って生きているので、自分のしたいことしかしない。犬と違って人間に好かれようともしないし、遊ぶために生きてるを地で行ってる。人間はそんな自由に生きる猫が羨ましいから、歴史上、魔女の手先として迫害されたこともある…等々、猫×哲学、勉強になりました。

人間は何者かになりたくて苦悩するし、他者からどう見られているのかを気にして動けなくなるし、最悪他人の人生を生きることもある。

猫のように生きるということは、自分が生きている人生以上に何も求めないということだ。

猫に学ぶ(ジョン・グレイ)

さて、私は今日も猫を吸って、自分の人生をただ楽しもうと思います。


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