ギリシャの修行僧
岡山の臨済宗で6年間修行をしたというギリシャ人の男性に、ギリシャのカリムノス島にある小さな港で出会ったことがあります。
エーゲ海に浮かぶこの島は近年の異常気象で猛烈な暑さに見舞われていました。そんな中、レストランでしっかり冷えたビールを喉に流し込んでいる瞬間はまるで天国に登るような気分。
午後のレストランのデッキにはエーゲ海から吹く風が抜けていきます。ビールを飲みながら海を眺めると、エメラルドグリーンとコバルトブルーのグラデーションが余計に美しい。
そうしてしばらくビールを愉しんでからトイレに席を立ち、そこから戻るところで男に声をかけられました。
不思議な雰囲気の男で、なんともいえない落ち着きがある。男は日本語で「ワタシはリンザイシュウでシュギョウをしました」と私に言います。臨済宗といえば禅宗の一つ。私も趣味で座禅をするので、どんな修行をするのか興味が湧き、もう少し話をしようとしたところで、旅の仲間からの連絡が入り、男とは軽い挨拶を交わして別れました。
その後、私は滞在している別荘の裏山に張り付くように聳える無人の修道院を訪ねました。
修道院は洞窟をくり抜いて作られているため、中は岩肌が直に露出しています。そして、外気に比べて気温は随分と低い。おそらく地下から噴き上げてくる冷気が修道院内の空気を冷やしているのでしょう。
イエスキリストの肖像画や、聖水を入れる聖杯などがひっそりと修道院の中に鎮座し、その存在感を際立たせています。
私は、祭壇の前で座禅を組みました。目を閉じると海や空や岩山の風景が浮かんでは消えていきます。やがてそれらも静まり、情景の消えた静寂がやってきます。呼吸は限りなくゆっくりと規則的で、周辺の気配が私を包んでいきます。
30分ほど座禅を組んで修道院を出ると、感覚が冴え渡り、景色はもっと美しく、感動すら覚えるほどです。きっと臨済宗で修行を積んだ彼も、修行を終えて祖国であるギリシャに戻った時、このエーゲ海の風景に感動し、感謝したのだと思います。そうでなければ、あれほどに落ち着いた雰囲気は出ない。
禅の言葉にこんなのがあります。
「桃花のさかりなるを見て、忽然として悟道す」
美しさに気付くことは、誰かに教えてもらうのではない。自分の中にある尊さを自分で見つけるのです。
国境や人種を超えて私たちは繋がっている。そういう感覚を覚える人に出会えるのは幸せなことです。