【短編】クズの猟犬⑧
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⑧
脳からの命令を左肩、左腕、左手に伝わるようにするために、俺は一度、麻酔で眠らされて、8時間に及ぶメンテナンスを受けた。
目が覚めたのは実験室で、大学の学食で吹っ飛んでから初めて目が覚めた日と同じ部屋だった。
「気分はどう?」
あの時もこんな声がした。視界がはっきりしてきて澤田の顔が見えた。
「キミちゃーん。聞こえる?」
「…ん?」
「ちょっと、まだぼーっとするね?」
「……終わったの?」
「うん。」
左を見ると新しい腕がついている。ゆっくり動かしてみる、手を握ると五本の指が綺麗に折りたたまる。
「動く…。ありがとう、澤田。」
起き上がって手を広げたり握ったりを繰り返す。
「見た目は右腕との差がないようにしたけど、前と一緒で攻撃性は左の方が高いから。右腕はまだまだ鍛えないと。前と同じに…」
「うん。たぶん、末永くんに聞けばなんとかなる。」
左腕が完成するまでに、末永くんにトレーニングを教わっていた。末永くんと話してみたら、体がほとんど人間だからこそトレーニングが欠かせないらしく、毎日、暇をみては筋トレをしているそうだ。
だから、時間がある俺はずっとしつこく末永くんに腕の鍛え方と、犯人との闘い方を教わっていた。
「良かったね。友だちができて。」
友だちじゃなくて、…トレーナーだけど。澤田がそう思うんならそれでいいかって思う。
「ありがとう、澤田。」
俺は、右腕のリハビリを必死こいてやりながら、筋トレの仕方も知って、体の使い方も知って、それしかやることがないから打ち込んだ。
「今日もいたんだ。」
末永くんは、隣のマシーンに来て胸筋を鍛え始めた。
「見て。」
「ん?」
わざわざ手を止めて俺の方を見てくれた。
「おお。両腕ある。」
「教えて、あれ。」
俺が“あれ”と言ったのはベンチプレス。
「はは。のり君はいつも…。」
末永くんは俺を“のり君”て呼ぶ。
「ん?」
「楽しそうだから、教えてあげるよ。」
末永くんは25歳で機動隊に入ってすぐ、足を切断するような怪我を負った。脚は義足で、俺みたいな機械というほどの体ではなかった。だから、食事も普通に取れるし、プロテインもガンガン飲んでる。
性格は優しくて、俺みたいに敬語も使わず馴れ馴れしい無礼なヤツでも嫌な顔せずになんでも教えてくれる。バーベルの上げ方も懇切丁寧に。腕立ての効果的なやり方も。
「のり君、俺以外の犬に会ったことある?」
末永くんは、疲れて顔にタオルを乗せてベンチに寝転がってる俺に言ってきた。
「え?なーい。」
俺はちょっと眠くなってきてるから、返事も適当だ。
「そう。」
「ん?」
タオルを外して起き上がって末永くんを見た。
「大体は、1回で逃げちゃうからね。」
「…え?」
「キツいじゃん?犬。」
末永くんから聞くような言葉じゃないと思った。
「人格を勝手に反映されて、凶悪犯のいる現場に連れて行かれて捕まえろって背中蹴られて。俺は、機動隊にいたから蹴られなくても、現場には突っ込んでいけるけど。他の犬は、元々は民間人だし。適正見て、現場に出る前に多少訓練するとはいえ、初めて現場に行って動けって言われたって無理でしょ。怖いよ。トラウマだ。」
「え。末永くんは、望んで犬になったんだよね。」
末永くんが俺の横に座る。
「足が潰れた時にクビって言われたから。じゃあ、犬にしてくれって。そう言った。」
色々、複雑な気分になった。
「…のり君は、逃げないんだね。」
いや、仕事は無理だと思ってたし。痛いの嫌だし、川嶋怖いし。だけど、まあ…
「気がついたら、こうだったから。あ、そう。って感じだった。」
「あ、単純なんだね。」
「うん。まあ。」
末永くんができの悪い後輩を持った先輩みたいな表情を見せてきた。
「出動して怪我しても、必ず帰ってくること。飯は必ず食べること。」
「ん?」
「川嶋さんと俺の約束。のり君は何か約束してる?」
「なんもしてない。」
所々で、誰かが川嶋と深い関係になっていることが少し羨ましい。
「じゃ、俺と約束しようか。」
「え、めんどくさ。」
「そう言うなよ。」
末永くんがちょっと笑って、真顔になった。
「危険だと思ったら逃げること。」
「…え」
「逃げるが勝ちって言う言葉がある。だから、ドラクエのコマンドに逃げるがあるんだ。」
「うん。」
「約束だ。」
左手の小指を出された。俺も左手の小指を出した。けど、なんなのかわかんない。小指と小指を絡まされた。
「え?」
「指切りげんまん。嘘ついたら針千本のーます!指切った!」
上下に振られて小指が離される。
「何?知らないんだけど。何?」
全く意味不明だった。
「約束守れよってこと。またね。風呂入れよ。おやすみ。」
頭を手でポンポンされた。これ、嫌いじゃないんだよな。俺、男なのに。
「おやすみ。」
末永くんは、俺より先にトレーニングルームを出て行った。
目覚まし時計は一応、6時にしている。朝は、一応、走っているから。体は疲れはしないけど、脳はしんどいって思って心理的に疲れに変換される。だから、気持ち的な持久力アップを目指そうと思った。
腕に埋め込まれたICチップは、GPSがついていて、俺の居場所を川嶋は、大体わかっている。本署の敷地の中を1周してから、少しだけ外を走る。街のほとんどが崩れている。自然災害ではない。人が作った街を人が破壊している。
俺は、たぶん普通に生きていたらこんな風景の中でも俺には関係ないって思うんだろう。美味いもん食べて女とセックスして、あとは適当に就活して、内定なくてニートになって女の部屋転がり込んでヒモで生きて…それでも、生きていけるってきっと思う。マジで世の中なめてた。本気のクズだな。
そんな俺が、こんな真面目にトレーニングしてるなんて信じられない。
ただ、トレーニングとはいえ、少しは楽しみが欲しいからコンビニに寄って水を買って帰ることにしている。本署の自販機と違っていろんな水があるし。朝は店員が1人。お客もあまりいなくて買い物もしやすい。けど。
自動ドアを開けて入ると空気が違った。
黒いカサカサの服を着た男と、レジに立つ店員の様子がおかしいのは一瞬で分かったこと。朝のレジスターには釣り銭が少なく、万券はすでに銀行に預けてあるにもかかわらず。
「金、よこせ。」
コンビニ強盗だ。ナイフが店員さんの顎の下まで接近してる。川嶋の指示ないけど、現行犯で捕まえていいのかな。ちょっとだけ様子を見る。
「レジの中身全部だ!」
そこには、3万ちょっとしかお金ないよ。馬鹿らしい。今なら未遂で捕まえられるから、罪は軽くなるだろうか。だけど、こんなことで前科者になって人生棒に振るのも…いや、それがこいつの人生だ。
左手で、ナイフを持つ男の手を掴んだ。
「おっさん、このレジの中の金なんか、全然少ないんだけど、それで豚箱に入ってもいいの?」
ポケットの中のスマホを右手で取り出して、川嶋に電話する。スピーカーフォンになってるから、出た瞬間に状況はわかってくれるだろう。
「なんだお前?」
「俺?水買いに来たら、強盗に遭遇した。それだけ」
左手は力を入れると、簡単に腕を折ってしまうから加減が難しい。
「はあ?」
「いや、お会計しようと思ったらレジでナイフ出してるから、俺の方が“はあ?”なんだけど」
交番勤務の警官が入ってきたのが見えた。
「通報ありがとうございます。」
川嶋が交番に通報してくれたんだろう。
「お疲れ様です。未遂です。連れて行ってください。」
犯人の腕を掴んだまま、警官に言った。俺が少しだけ左手に力を入れると、犯人の手からナイフがカウンターに滑り落ちる。
店員さんは、怯えていたけど犯人の手から凶器が無くなってホッとしたように見えた。
「キミノリ、お疲れ。」
川嶋もコンビニに入ってきて、警官が手錠をかけるのを確認した。
「おはよう。」
川嶋に呑気に言うと、おはようと返された。
コンビニで水を買って帰り道は川嶋と並んで歩いた。
「俺はお前を放し飼いにしたつもりはないんだがな。」
「体力つけるのに走ってただけだよ。2、3キロくらいだけど。」
川嶋は俺の首輪をじっと見た。
「ま、犯罪を未然に防ぐのも重要な任務だ。」
「あ。」
首輪が“待機”のままだったのを思い出した。
「任務の申請しといてやる。」
「やった。」
川嶋が俺の横でふっと笑うのが見えた。少しでも稼げた方が俺も嬉しいっていうのは単純な俺らしいって思ったんだろうか。
「左腕、調子どうだ?」
「え?いい感じだと思う。」
「右腕は?」
「鍛えてる。バッキバキになる予定。」
「そうか。治ったんだな。」
「ん?うん。」
宿舎に着いた。
「今日から復帰しろ。嗅覚、鋭くしておけ。とりあえず、9時には迎えにくる。ロビーで待ってろ。」
川嶋は、俺の顔をまっすぐ見て行った。
「わかった。」
行き先はわからないけど、いつもと同じ。
やっぱり俺は川嶋の仲間ではないような気がする。犬は犬以外のなんでもない。
って、この時までは思っていた。
クズの猟犬⑧
⑨に続く