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【短編】独立靴下よ永遠に【前編】約4000字

誰でもない誰かの話

また無くした。
かと言って誰に責められることもないので、ふっと笑って然るべき場所に投げ入れた。

相方を無くした。
そんな気分だろうか。多分10足くらい。片方になってしまった靴下の群れは行き場がなくそこにいる。

その群れの中、どれひとつとしてペアを成立させることはできない。だが、偶然にも偶数である。

他の洗濯物は律儀に角を揃えて形を整えてたたむのに対しそれだけは無造作に投げ込んでいる。

紺と黒、時々、茶色。
色と形と、糸の配列、丈の微妙な違い。

それらの原因でペアになれない。

染色体の型の違いとかミトコンドリアとかそんな遺伝子の話でもないのに。ペアとしてこの世に生まれたのに、シングルとして行き場を失っている。

独立したそれらは群れをなしても役割を果たさない。

「まったく、しょうがないね。靴下ってやつは。」

一枚で成立するスウェットジャージのズボンをたたみながら独り言を呟いた。

一人しかいないこの部屋でコインランドリーの乾燥機で乾かした服をたたむ僕は、一人には良い加減慣れてきている。

好んで一人でいるのか。

そう問われればそうではないとも、そうであるとも言い切れない。



「撮ってくれない?」
そう言って一眼レフのカメラを渡してくる妻はいつも猫と一緒だった。
妻が死んで、猫も死んだ。
同時に二つ。大事な存在を失くした。
当たり前にあったのに失って初めてこの世で最も大事だったと知ったのだ。

僕たち夫婦には子供がいなかった。

妻は猫に豆谷豆蔵と名前をつけていた。僕たちの苗字は藤谷で、豆谷ではない。
だから、動物病院では、”藤谷 豆谷豆蔵さん”と呼ばれていた。ちなみに、猫の性別はメスだった。

豆谷豆蔵は、僕や妻の靴下を自分の寝床に運びボロボロに穴が空くまで遊ぶという悪戯を繰り返していた。
遊ばれても構わないように3足千円の安い靴下も置いておくけど、いつも決まって1足千円の靴下がおもちゃになっていた。

猫に小言を言っても仕方がない。

片方になってしまった靴下を切って縫い合わせて豆谷豆蔵用におもちゃを作ってみたら相当なお気に入りになったようでずっとそれを咥えたり放り投げたりつついたりしながら遊んでいた。

それを見て妻が笑い。その妻を見て僕も笑う。僕と妻と豆谷豆蔵。それは絵に描いたように幸せな家族だった。


片方だけが集まった靴下の群れ。捨てても構わないのに傷みが少ないから捨てるのが惜しい気もする。

物が溜まる一方で、永遠に捨てられない。

いや、他のものなら、壊れてしまったら捨ててしまう。
例えば先日、マグカップの一部が欠けた。それはスローライフを好みものを大事にと考える人なら金継ぎをするだろう。
僕の場合は、欠けたそれはすぐに捨ててホームセンターでとりあえずの品を見つけて家に迎え入れてしまう。

妻が僕の執着の無さに少々呆れ顔だったことを思い出す。

まだ妻が生きていた頃、フライパンのフッ素が剥がれて僕が途端に料理下手になった気分になり、フライパンを買い替えた。日用品なんてキッチン用品であれ消耗品だから。
フッ素の剥がれたフライパンを不燃ゴミの袋に入れた僕に対し妻は口を尖らせた。
「なんですぐに捨てるの?」
「そんなに思い入れのあるフライパンだったの?」
「だって、油をちゃんと温めれば良いだけなのに。」
「どういうこと?」
「金物屋さんがフライパンを永遠に作れるかどうか分からないじゃない?」
「ん?」
「この地球にある鉄をあなただけが使うわけじゃないのよ?」
「規模が大きいね。」
「新しいフライパンを買ったからって今まで使っていたものを簡単に捨てるなんて。」
「…うーん。」
「何?」
「…いや、うん、…。」

僕はあの時なんて言ったんだっけ。結局、捨てたフライパンは二度とゴミ袋から出されることはなかった。

洗濯物をたたみ終えて収納ケースにしまう。

妻も猫もいなくなった家は広すぎて僕の居場所としては寂しかったから、ちょうどいい狭さのアパートに引っ越した。

妻の趣味で買った家具にキャットタワーに…次々にオークションサイトに出品するとそれらは次の持ち主の元へ僕へ温かなお別れの言葉もなく行ってしまった。

残った思い出の品は、妻の指輪と猫の首輪。

ため息をつく。


2年前、猛暑の月曜日。

駅から歩いて帰宅した。
仕事用のカジュアルなポロシャツと黒いストレートのパンツに、肩掛けのポーター。片手にはほうじ茶のペットボトル。
玄関を開ければ豆谷豆蔵が僕を迎えにくる。それが僕の日常だった。

だけどこの日は、玄関を開けると靴の底をご丁寧に赤い朱肉でハンコを押しているように表す図形が床に広がり、室外機の音がやたら聞こえて、横たわる豆谷豆蔵が血を流しているのが目に入った。
「まめ!」
僕は豆谷豆蔵を抱きあげる。微かな呼吸音には生きる意思がない。首の後ろを何かで刺されたそんな傷。まさか妻が何かの加減でこんなことを…そんなわけがないし、そうではないことは足跡が語る。
「凪!まめが……」
リビングまで続く足跡は、だんだん色が濃くなっていく。乱れていく僕の呼吸は、心臓の音も大きくしていく。
リビングの入り口、僕は膝から崩れ落ちた。
何が起きたんだろう。
床には黒にも赤にも見える液体。固まり。粘りつく。これが血液だと理解するにはさほど時間はかからなかった。横たわる妻は、硬直し目をむき出しにしていた。

事件の真相は未だ分かっていない。
つまり、犯人は捕まっていない。足跡から特定できないものなんだろうか。

溜まった片方だけの靴下。
引っ張り出した黒と紺のそれらは長さと糸の折り方が同じ。くるぶしの位置にハサミをいれる。
裁縫道具はコンビニで買った簡単なもの。組み合わせをあべこべにして縫い付けてみる。
「僕がもし家にいて、凪が出かけていたら、凪は今でも生きていたのかな。まめももう少し長生きだったかな。」
誰に言うともなく、針が布を通るごとに話してみる。
コインランドリーで相方を失った靴下。せめてペアにしてみようと苦肉の策だ。あと数回履いて捨てようかと思う。
紺と黒、黒と紺。几帳面に編まれた糸の位置を合わせて縫い合わせた。下手くそな縫い目の糸は白。裏返して縫うことを忘れていたからとても目立つ。一体いつ履くのだろう。
他の靴下とは絶対に同じ場所に置かないようにしなくては。
「ふっ。なにこれ。」
妻が見たら笑うだろうか。
履いてみると、なんだかバカらしくて声を出して笑ってしまう。誰もいないのに。

夕方の空がカーテンの隙間に顔を出す。
「やっぱり、まだ寂しいよ。相当怖かったんだろうね。僕がいなくて本当にごめんね。」
見上げた夕焼けに言ってみる。妻と豆谷豆蔵に届く気がしているのに。なんの返事もないからただ悲しいだけ。流す涙は枯れてしまって心がゆらゆらするだけだ。

テレビもつけないしネットニュースも見ない。

妻が死んでから家で会社で知らない人に囲まれ写真を撮られ、犯人に対してどう思っているかとか、本当は第一発見者ではなく犯人ではないかとか、有る事無い事を言われネットニュースになり、会社に迷惑にならないように仕事を辞めた。

テーブルの上、スマホが震え出す。
手に取ってみるが知らない番号だ。規則正しいバイブレーション。切れるまで待つ。やっと切れたと思ったらまた鳴り出す。面倒だから電源を切った。

足元を見れば滑稽な靴下。僕に似合うのは、こんなものだ。着なれたスウェットは、グレー。裾が絞られていて靴下が目立つ。
「さすがにこのままじゃダメか。」
夕飯の買い物に行くために服を着替える。

スマホの電源を入れて浮かび上がるリンゴマーク。待機画面は妻と豆谷豆蔵。
妻の目を隠すように着信の通知が5件。

一体誰なんだろう。

程なくバイブレーションが鳴り出す。
観念して電話に出ることにした。

「…はい。」
電話の相手は僕の期待がもうどこかに行ってしまっていることをお構いなしに話し続ける。多分、その時ならばとてつもなく揺さぶられることを告げてきた。

2年ぶりにテレビをつけてみる。
”速報です。2年前に郡山市で起きた殺人事件について福島県警は、今日、小田原子華音容疑者を殺人の容疑で逮捕しました。小田原容疑者は…”
…全く知らない人だ。


立ち尽くす僕は、あの日の血の匂いを思い出す。

もう無理だってわかりながら救急車を呼んだし、もう無理だってわかりながら動物病院にも行った。

もう無理だって結論は本当に早くて、こんなに簡単に大事なものを失ってしまった現実は、僕の中に大きな絶望をもたらした。

僕は罪を問われるようなことをした覚えはない。けれど世間は僕も容疑者の一人に入れた。

ネットの誹謗中傷から僕のTwitterは大荒れに荒れた。豆谷豆蔵が楽しそうに遊ぶ動画のコメント欄には、偽善者、サイコ…そんな言葉が並んだ。反対に、妻と豆谷豆蔵の死を悔やむ声、犯人を恨む声、妻と犯人の関係を探る声なども上がっていった。

妻と豆谷豆蔵を失った悲しみは僕だけのもの。

そんな願いも虚しく世間の正義感は、顔もよく見たこともない僕を取り囲んでいった。


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2022.02.14
【短編】独立靴下よ永遠に 【前編】

後編へつづく。

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