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【短編】共通世界 〜マシュマロとピーナッツにアルコール〜⑩最終回

誰でもない誰かの話

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全てが終われば夢のようだと、この先の未来に無責任な気分でいたい午後6時。

気づけば、緑が眩しい夏になっていた。
太陽は沈むことを忘れたように西の空に居座っている。

料理屋のテーブルに美恵子さんと向かい合って座る。
「あなたを返してって川内さんから言われたの」
封筒にはアルバイト代が入っていて、テーブルの上を滑らせるように僕の元に差し出された。
「お世話になりました。」お礼を言って受け取ると
「私と川内さんはね…」美恵子さんが話し始める。

他愛もない身の上話は2人の小さな過去の物語だった。それを聞いたからと言って僕は2人を見る目が変わるわけではない。
川内さんの元を離れた理由も僕からすればありふれた別れ話でタイミングさえ良ければきっと2人は結婚していたのだろうと思わされた。

お店の裏口、出ようとする僕に
「じゃあな、落ちこぼれ。」
料理人の真咲さんが手を振る。
「お世話になりました。」
僕はお辞儀をして料理屋のアルバイトを辞めた。


受け取ったお金をミックスナッツに換えて川内さんの家に向かう。

玄関を開けて部屋に上がり込んだ。
「お帰り、越智くん。」
僕は少し恨めしい顔で川内さんを睨め上げた。
「怖いね。どうしたの?」
ミックスナッツを押しつけて、洗面所で手を洗ってうがいをした。
「越智くん?」
ティッシュで口を拭いていると後ろから抱き抱えられて、リビングに連れて来られた。
「怒ってるね?ん?」
「…クビになりました。僕は、びっくりしています。」
「ははは。そう。」
「笑い事じゃありません。」
「悔しいの?」
「川内さんが、僕を返してと言ったそうですね?どういう意味ですか?」
「んー?そのままだよ。」
「わかりませんよ!」
感情をあらわにする僕に対して、川内さんは、はははって笑った。
「明るくなったね、越智くん。」
「何を言ってるんですか!僕は大真面目にやってきたのに。いつだってちゃんとやっているのに。」
「落ち着いてよ。ね。」
耳をつねられて力が抜ける。川内さんの行為にはいつまで経っても慣れない。

「やっぱり、耳が苦手だね。」
僕は川内さんに以前より心を許していて、力が抜けると、もたれかかってしまう。

椅子に優しく座らせられる。
「急に大人しくなったね。」
僕は思わず赤面してつねられた耳を触った。
「良い子。」
頭をわしゃわしゃと撫でられた。

テーブルには夕食が並ぶ。
「食べるよ。いただきます。」
「…いただきます。」
川内さんの作ったご飯。今日は、肉じゃが。じゃが芋はそんなに好きじゃないし、にんじんは大嫌い。玉ねぎとお肉だけが好きなもの。でも、作ってくれたんだからちゃんと食べる。目をつぶってにんじんを口に入れる。噛んでみる。
「…甘い。」
「ん?」
「おいしい。」
「人参?」
「はい。」
もうひとつ食べて、確認する。
「すごい。なぜ、こんなに美味しいんですか。信じられません。」
「そんなに喜んでくれるなんて思わなかったなあ」
川内さんは笑いながら僕が食べるのを見ている。
「今日は越智くんに提案があるんだ。」
「え?」
川内さんは少し真剣な顔で
「うちの会社においで。」
と言って、にっこり笑う。僕は急な話でよくわからない。
「コンサート楽しかったでしょ。」
「はい。」
僕は返事をしながらも次々に食べ物を口に運んでいる。

コンサートの日ステージに立つ弓美を舞台袖から見ていた。
弾むようなリズムに優雅さも備え響き渡るヴァイオリンの音色。

僕と目が合うと、口角を上げる。
雨の日に出会ったあの日と変わらない力強さも、儚げな感情も空間に広がる奇跡。

ずっと今なら良い。
ずっとこの音の中にいられたら良い。
鼓膜が揺れるたびに時間が過ぎていく。
始まれば終わってしまう一瞬の中で生まれては消えていく大切なものたちを掬い上げたい。

好きだった
好きなんだ
大切だった
大切なんだ
ずっと
ずっと
忘れられない
今手が届くのに
取り戻すのを
拒んだのは僕だ

夕方の空は優しい赤で、車に荷物をしまう僕の時間を止めようとしてくれる。

今、向き合わなければ一生後悔する。

胸に生まれ頭に浮かんだ言葉は、僕を彼女に向かわせた。

「弓美。」
彼女の背中に声をかけた。振り向いてなどくれないかもしれない。終わった僕たちは、それぞれに道を作らなければ歩いていけないから。
「ごめん。僕は嘘つきなんだ。」
何も言ってくれなくても良い。声を聞いて。僕の言葉を文字にして記憶に残してほしい。
「今でも、好きだよ。」

振り返る弓美が僕を抱きしめた。
「越智くん、幸せを見つけよう。
この世界は優しくないけれど。
私と越智くんが一緒に過ごした世界はいつも優しいから。
ヴァイオリンの音は、私と越智くんの共通の世界だよ。」

僕も弓美を抱きしめた。
「きっと、越智くんのそばに帰ってくる。元気でいてね。私のかわいいわんちゃん。」

夕日の沈む小学校の校庭は2人の影を伸ばしていた。


川内さんの会社で働き始めると、僕は薬を飲まなくなって病院にも行かなくなった。
毎日頭を使って疲れるし、実家の自室に帰れば、ベッドに転がってすぐに睡眠導入剤がなくても眠れてしまう。

パニック発作は、どこに行ったのか心の浮き沈みを気にすることもなくなっていった。

川内さんも手荒れが治っているのを見るところ、きっと良くなっているのだろう。

「越智くん、会場の下見に行くよ。」
川内さんと向かうのは公会堂。
僕が小学四年生の頃、出るのを辞退させられたコンクールを思い出す。
舞台装置の確認にステージを見せてもらう。ステージからの景色は素晴らしかった。もしここで演奏していたら、ライトを浴びながら拍手をもらったのだろうか。
きっと、木村さんも舞台袖で僕を見て微笑んだのだろうし、父も母も僕を緊張しながら見守ってくれただろう。

「僕、このステージに立つはずでした。」
ステージから、客席にいる川内さんに声をかけた。

「ん?」
「ヴァイオリンのコンクールに出るはずでした。」
「いつ?」
「四年生のころです。」
「何を弾く予定だったの?」
「チャルダッシュです。」
「あー、チャールダーシュね。」
「ふふっ。」
「何?笑っちゃって。」
「良い景色だなあ。」
ピンスポットのついたステージの真ん中、立ってみると眩しくて客席はほとんど見えない。
「僕ちっちゃいですか?」
「何、当たり前のこと言ってるの?ちっちゃいよ。」
「ふふふ。」
「楽しいの?」
「はい。」
「だいたいわかったから、帰るよ。」
「えー。」
ステージの真ん中にしゃがみこむと、川内さんもステージに上がってきて、僕の襟首を掴んで持ち上げた。
「だめ、帰るからね。」
まるで子犬を扱うようだ。
「なんか、越智くん、だんだんわがままになってきてるよね。」
「僕は元来わがままな駄々っ子で人を困らせる悪い子なんです。」
「やめなさい、そんな冗談。」
「ふふふ。」
川内さんに冗談を言いながら、ステージを降りる。

”ねえ、ヴァイオリンやろうよ。”
声をかけられた気がして振り返る。
ステージには四年生の僕がいる。
”せっかく直したんだから”
四年生の僕が見ることができなかった世界を今の僕に見せてあげることはきっとできない。
「だけど、弾いてみるよ。」
声をかけると微笑んで消えた。

「越智くん、何か言った?」
「いえ。」
川内さんの後ろについて歩く。ステージをもう一度見ても四年生の僕は二度と現れなかった。

外は夏の日差し。汗が滲み出てくるのがわかる。傷跡を隠すため夏でも首の隠れる服を着ている。
「首、暑そうだね?」
「大丈夫です。慣れました。」
「そう?」
「はい。」
車に乗ろうとすると暑過ぎて乗れない。思わず2人で笑った。
「まいったなあ。」
川内さんがそう言いながらエアコンをつける。
外にある自販機で冷たいコーヒーとお茶を買った。
川内さんにコーヒーを渡すとサンキューって言われて、少し照れた。

缶コーヒーはプルタブ式だときっと飲めないから蓋のついたものを買ったから、
「さすが気がきく。」と言われ、余計に照れ臭い。

僕が黙っていると、川内さんは、僕の頭をくしゃくしゃ撫でる。汗をかいた頭を触られるのはあまり好きじゃない。
「久しぶりに一緒に飲もう。」
同じ職場で働くようになってから、僕は川内さんの家にあまり行っていない。
「川内さんの家行く前にピーナッツ買ってきます。」
「そしたらさ、ヴァイオリン持ってきなよ。」
「え」
「聞いてみたいな。」
「良いですよ。」
車内の温度が下がって中に入る。
「川内さん…」
「ん?」
僕は声をかけたわりになかなか言い出せない。川内さんはじっと待ってくれて何も言わずに車を走らせ始める。

「あの…マシュマロ食べたいです。」
最近もらえていなかった、川内さんが買ってくるマシュマロが欲しかった。
「かわいいね、越智くんは。」
僕が生きていると実感できたマシュマロの味。
「チョコレートマシュマロだよね?」
「…はい。」
「お酒とオレンジジュースどっちが良い?」
「…オレンジジュースです。」
「うん。」


夏の夕方は嫌いじゃない。午後6時。

落ち着かない空模様は天気予報の通りに雨粒が落ちてきてパラパラとビニール傘を打つ。片手にヴァイオリンケース。ビニール袋にはミックスナッツ。

鍵の開いている部屋に入り込む。
「お帰り、越智くん。」
キッチンから川内さんの声がして
「はい。」
川内さんにミックスナッツを押し付けるのは僕のこの家に来た時のお決まりの行動。
「手を洗ってうがいをしてね。」
「はい。」
大人になりきれない僕だからせめて素直に言う事を聞こうと思う時もある。
「ヴァイオリン、リビングに置いとくね。」
「はい。ありがとうございます。」
手を拭いて、リビングに行く。
テーブルには、パスタにサラダに生ハム…いつもよりも他所行きのお料理が並んでいる。
僕は少し、後退りした。
「越智くん、今いくつ?」
「にじゅう…あ。」
「24歳の誕生日おめでとう。」
「…わ…。」
思わず涙が滲む。
「全部作ったんですか?」
「ふふ、まあね。」
「…すごい。」
「座って。」
インターフォンが鳴る。川内さんが出て、エントランスのセキュリティを解除する。
「もう1人、お客さんが来るからね。」
「え」
グラスは3つ。
川内さんがワインを注ぐ。
「飲みやすいから飲んでごらん。」
僕に差し出すタイミングで玄関が開いた。

「こんばんはー。」
聞き覚えのある声。
川内さんが玄関に迎えに行く。洗面所で手を洗う音。スリッパをうまく履けない足音。

僕は思わず息を飲む。

「ハッピーバースデー、越智くん。」
片手にヴァイオリンケースを持って現れた弓美。
僕は何も言えずただ、じっと彼女を見ている。その姿にクスクス笑い出す二人に僕も同じように笑い始める。
「なんでいるの?」
初めに出た質問がこの言葉で
「越智くんの誕生日だからだよ」
答えをもらっても納得できなかった。
「また、スイスに行くの?」
「こっちに戻ってきたよ。もうどこにも行かない。……あ、仕事で行くか…。でも、海外にはもう住まない。」
「じゃあ、ずっといるの?」
「嫌?」
「嫌じゃない。」
僕たち二人を見ながら川内さんが取り皿を並べる。
「二人のために作ったから冷めないうちにどうぞ」
川内さんだけ、ソファーの近くのテーブルへ料理を運び僕たち二人をリビングのテーブルに座らせた。
「いただきます。」

3人の空間は気は使わない。
弓美の仕事の話も僕の病気の話も3人で話している。
「川内さんと越智くんはどこで知り合ったの?」
「入院した病院のルームメイトだよ。」
僕が言うと二人が笑う。ルームメイトじゃ学生寮だよって。
「弓美は、こっちでどんな仕事をするの?」
「演奏の仕事だよ。オーケストラとか…来月、公会堂でコンサートもするよ。」
「川内さん、さっきの下見は…。」
「うん、弓美ちゃんのコンサート。」
僕が川内さんと仕事の話をすると弓美も楽しそうに聞いている。川内さんの作った料理を食べながら時間は過ぎていった。

ヴァイオリンをケースから出して弓を張った。
約束通り僕は川内さんに自分の演奏を聞かせる。お酒を飲み交わす僕たちは少し酔い始めているけど、僕はヴァイオリンを手にすると少し神経を尖らせることができた。
「少しだけ弾きます。」
僕はそう言ってドヴォルザークの家路を弾いた。ヴァイオリンを直して最初に弾いた音色を思い出す。ほろ酔いの二人を前に。

弓美が目を閉じて音を聞いている。
川内さんはゆっくりウイスキーを飲んでいる。
僕は自分の懐かしい音が心地よかった。

「越智くん、一緒に弾くよ。」
弓美が、そう言って自分のヴァイオリンを弾き始める。

弓美と毎日いた頃は空想でしかなかったこと。

僕の音と彼女の音が重なって輪郭がはっきりする。言いようのない高揚が僕に湧き起こる。

「すごいね、どっちも上手じゃん。」
川内さんは笑ってピーナッツを食べ始める。

「越智くんチャルダッシュ弾けるよね」
「うん」

二人共通の音は、昔の思い出を引き連れて、今を現実に感じさせてくれる。

彼女がいなくなってから同じ気持ちでずっといた。

会いたいとずっと思っていた。

川内さんが会わせてくれた。
僕たちを偶然にも再会させてくれた。

生きていれば生きてさえいれば叶わない夢も叶う。会えなくなった人にも再び会えると諦めかけた人生を諦めなくて良かったと思う。

「はい、俺から二人にご褒美。」
個包装のチョコレートマシュマロ。
「なんのご褒美ですか?」
弓美はケラケラ笑う。
「今日も生きていたから。」
川内さんもふっと笑う。
「川内さんも生きましたね。」
僕からはミックスナッツをあげた。

チョコレートマシュマロを口に入れる。唾液が出てきて体に取り込もうとする。

生きている。
人生は止まらないから。
今日も、きっと明日も生きていく。

好きな人と同じ空間の小さな世界を持ちながら。

共通世界 〜マシュマロにピーナッツとアルコール〜
⑩最終回

〜おわり〜

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全10話 完結です。

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