the whale(感想)
!ネタバレあり(FilmarksとTwitterに投稿したもののまとめ)
"The Whale"よかった
2回目でやっと泣いた
さいごのエッセイ、読み上げるエリーの聲がよかった
光の演出も
The Whaleは愚直なまでの、愛の物語だった
ただ信じることから成る愛だった
(ネタバレ含む感想)
エリーの行動に愛の光をあてて、そこに救いというかたちを見出して、
それは、あるいはきっと、エリーに自分を、青年にアランを重ねて、エリーを通して見るアランのifでもあって
リズに"People. Are. Amazing"と、それでも、「人間は素晴らしい」と言うチャーリーのセリフから、完全に光がさした世界に変わる、その最後まで、ほんとうによかった
ホエール(鯨)はチャーリーで、エイハブはもしかするとエリーかもしれない
あるいは、「鯨を殺すことで人生が良くなる」と想っているエイハブもまた、チャーリー自身かもしれないとも思っていた
チャーリーの恋人であるアランは、おそらく拒食症になっている
チャーリーはアランに対するように、過食症で、まるで安心を、あるいは愛を貪るように、映画のなかでも食べる
その結果、272kgの巨体…ホエールになった
その姿は、わたしたち自身にも重なり得る
ホエールもエイハブも、決して作中だけの、まったくの他者のストーリーではない
彼らの…食うホエール、殺すことで人生が変わると想っているエイハブ、そして、チャーリーやエリーの想い、葛藤や虚さ、怒りやかなしみ、「愛されたい」、「愛したい」、「信じたい」…「信じてる」、その想いは、わたしたちだって経験したことが、あるいは経験している最中かもしれない
8歳のエリーが書いた、この箇所は的を得ている。
鯨には感情がないこと、殺したとしても、エイハブの期待することは叶わないこと
それを、8歳のエリーは「かなしい」と言う
(『白鯨』の鯨は、いわずもがな、ある種のメタファー…人間の、"ある体験"から得た感情、およびその象徴にもとれる)
エリーの書いたエッセイは、チャーリーの人生をあたためる光となり、またいまのエリーに対するメッセージにそのままなっている
醜く、哀れな、動物
あの時は立つことができなかったチャーリーが、その瞬間立ち上がった
ここも素晴らしかった
そして、映画冒頭で、チャーリー自身はその先を決して読み上げることはなかった、エッセイの締めくくり
「よかったと想う」
その一言と、エリーの笑顔をみて、チャーリーは深海から顔を出すように、この世界を飛び立つ
ちょうど鯨が海面へと浮上したように、息をする
エリーの最後の一言は、チャーリー自身のすべてを肯定する餞のようにもうつる
すくなくとも、"I need to know I did one thing right in my life."の答えになっていると想う
"信じる"、見返りも、何も期待せず、"ただ信じて見守る"行為は、そのまま愛といえるはず
愛の映画だった
エリーのエッセイは本当にいいエッセイ
+αのこと
チャーリーにとって、アランが死んだ時から、罪悪感と贖罪の日々だったのだと想う
青年が語った、アランの「死の動機」は、とっくの昔にチャーリーの頭によぎったことだったろう
(青年の登場は、チャーリーの、アランへの想いから引き寄せられた出会いだったと想う)
エリーに対しては、もはやお金でしか、自分がもう「できること」、「してあげられること」は無い、それが自分がエリーに渡せる愛だとして、
また、アランの自死からの罪悪感と、アランやエリーに対する贖罪の想い
自傷行為と、「食べる」ことが一瞬だけ満たしてくれる安心感、自暴自棄、これらが相まって、
横で支えてくれるリズのことすら、この想いの前では目に入ることなく、
ただ、ただ、エリーの
素晴らしい人生、そのいのち、未来のために、ただ彼女を信じ、そのしあわせだけを願って、お金を貯め続けた
チャーリーの最期に見た景色が、エリーの笑顔と、海辺の三人であったこと
エンドロールに流れる曲、聞こえてくる波の音と鯨の聲が、またよかった
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エッセイについて
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