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お爺さん(74歳)の思い出(野球・遊び)その5 「巨人、大鵬、卵焼き」

稲尾投手が活躍したその時期から、高度成長期にかけて、プロ野球の巨人、相撲取りの大鵬、食べ物の卵焼きと当時の子供に人気があるものを挙げた言葉が、流行語の「巨人、大鵬、卵焼き」です。
 当時のそれぞれを見ていきたいと思います。

巨人は、日本のプロ野球球団に所属大日本東京野球倶楽部として生まれ、現在は読売ジャイアンツ(2002年)が正式名称です。
 一般には巨人または巨人軍とよばれています。

 1934年(昭和9)に最初のプロ野球チームとして発足し、数々の歴史を刻んでまさに、日本のプロ野球の礎を築き、発展させてきました。中でも私の子供の頃の思い出は、先に書いた西鉄ライオンズとの、日本シリーズでの3連勝4連敗(1958年)にはじまり、1961年に川上哲治が監督に就任して、同年と1963年に日本一、1965年からは大リーグにも例をみない9年連続日本一(V9)を達成しました。第三期黄金時代の到来であります。「ミスター・プロ野球」こと長嶋茂雄と、後に通算本塁打868の最多記録を打ち立てる王貞治の「ON砲(オーエヌほう)」が打線の中心に座り、城之内邦雄、高橋一三らが投手陣を支えました。

大鵬は大相撲の力士で、本名は納谷幸喜、旧樺太出身ウクライナ人の父を持ち、56年に二所ノ関部屋に入門し、21歳3カ月の最年少記録(当時)で第48代横綱に昇進。ライバルの柏戸と「伯鵬時代」と相撲の黄金時代を築く、当時の子どもたちの好きなものを挙げた「巨人、大鵬、卵焼き」という流行語が生まれるほどの国民的人気を博した。幕内通算746勝144敗136休、生涯戦績872勝182敗136休。幕内優勝は歴代最多の32回。現役時代の身長は1メートル87センチ、体重は153キロ。04年に黄綬褒章、09年に文化功労賞を受賞。

 卵焼きは、そうです普通の食品の「卵焼き」です。子供が好きだった理由は、色々ありましょうが、一つ言えることは、戦後の貧乏生活から抜け出そうとしている時期ですから、まだまだ、食卓に豊富に卵焼きがあったわけではありません。貴重なお菜の卵焼きは憧れであり、子供達は大好きで、こぞって欲しがっていたと思います。

ここで、高度成長期について少し書いてみます。
 高度成長とは、国民総生産 GDPの成長速度がきわめて速い状態をいう。第2次世界大戦後の日本経済の急成長はその典型的な例である。 1952~72年度にわたる 20年間の日本の実質 GNP年平均成長率は 9.4%で,世界経済あるいは先進工業国の平均成長率の5%程度に比べても,さらには戦前の日本経済の約4%と対比しても,きわだった高度成長であった。この原因としては国内市場の拡大,財政支出に占める軍事費の低下,先進工業国水準の達成を目指した技術革新と消費様式の変化,戦前の遺産としての低廉で豊富な労働力,高い教育水準,高い貯蓄率など,さまざまな事情をあげることができる。しかしこうした日本の高度成長も 73年末の石油危機を境にして終ったといわれています。

そんな時期に、育った私達は幸せだったと思います。勿論猛烈社員と言う言葉がありましたが、がむしゃらに一生懸命働いたことも、思い出されます。

今回も、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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