
ノーマインド
苦しい、辛い、嫌だと感じるのは心です。
この心の動きを完全にコントロール出来れば一切の心の問題は解決するはずだ、との思いで私は心に関する本を読み漁った時期がありました。
ですが心はコントロール出来ない、との結論に至ったため失望し、無気力になったのを覚えています。
師匠から学んでしばらくして、私がこのようになってしまったのは心は自分だ、という前提でいたことが原因だとわかりました。
思いや考え、感情を自分のものとして同化しているのが人間だと言われます。
自分、己とするものは主体です。
主体は認識できないものです。
認識できるものは全て客体です。
思いや考え、感情は認識できるから客体です。
故に心は客体です。
それを主体としていたため認識できない、つまり気づけなかったわけです。
気づいている状態でいることが大事なんです。
心は自分でない、ならば心について何か解決しなければならないものなどあるでしょうか?
そう、最初から問題などなかったなかったんです。
ですがこれは心に気づいている状態でいることが前提です。
先ほども言いましたが、心と同化しているのが人間です。
これは長年、染み付いた習慣のためすぐに解決する問題ではないんです。
問題はないのに問題があるとするから問題が生まれるんです。
『問題はないが、問題がある』と言われるのはこのためです。
グル(導師)は『何もする必要はない』『そのままでいいんだ』と説きます。
と同時に『努力できないところまで努力しなさい』『怠ることなく精進しなさい』と説きます。
これは『問題はないが、問題がある』を別々に説いているだけで、一方的に説いているのは方便ゆえです。
皆さんもよく知っていることですが普段、人間の心は勝手きままに思ったり、考えたりしているものです。
ですが、そういった些細な心の動きにも気づいていくことが大事なんです。
それをひたすら続けることで心は勝手に動くことが少なくなっていきます。
心が完全に停止すればノーマインドです。
この状態のことを私の師匠は『深い眠りの中で目覚めていなさい』と表現しています。
ここが絶対安心の領域です。
以下は日月神示の一文です。
日月神示
【春の巻32帖】
信仰の始めは感情に支配されがちぢゃ。
理智を強く働かせねばならんぞ。
人間は絶えず穢れてくる。
穢れは清めることによって、あらたまる。
厄祓いせよ。
想念は永遠にはたらくから、悪想念は早く清算しなければならんぞ。
中の霊の天国へ行っても、外の霊はこの世に残るぞ。
残ることあるぞ。
残ってこの世の事物にうつって同じこと、所業を繰り返すことあるぞ。
早く洗濯せよと申してあろうがな。
梅の実から梅が生えるのぢゃ。
その梅に実出来てまた梅が生えるのぢゃ。
人間も生まれかわっても死にかわっても、中々に悪いクセは直らんもんぢゃぞ。
それを少しずつ直してかからねばならん。
努力次第で暫次直るのぢゃぞ。
宗教は霊、芸術は体ぞ。
【青葉の巻 20帖】
己の心見よ、戦まだまだであろうが、違う心があるから違うものが生まれて違うことになる道理わからんのかなあ。
世界のいよいよのメグリが出て来るのはこれからであるぞ、九月八日の九の仕組近づいたぞ。
人民は早合点、我れ善しで神示読むから、皆心が出てしもうて、マコト知らしたこと毒とならんよう気つけおくぞ。
薬飲んで毒死せんように気つけよ。
今は世間では何事もわからんから、疑うのも無理ないなれど、⦿(かみ)の仕組みは何事もキチリキチリと間違いないのざぞ。
【夏の巻 10帖】
過去も未来も中今。
神も人間と同じで、弥栄して行くぞ。
悪いクセ直さねばいつまでたっても自分に迫ってくるもの変わらんぞ。
おかげないと不足申しているが、悪いクセ、悪い内分を変えねば百年祈り続けてもおかげないぞよ。
理窟なしに子は親を信ずるそ。
その心で神に対せよ。
神が親となるのぢゃ。
目と口から出るもの。
目の光と声とは、実在界にも実力持っているのであるぞ。
力は体験通して出るのであるぞ。