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覚悟とはただ見ること

人は心が乱れてしまうことを恐れ、嫌がります。
故に心は出来事に左右されてしまいます。

大乗の菩薩は心が乱れることを恐れず、嫌がりません。
故に心は常に静かなままです。

無知であるから心が乱れると言われますが、心に対する理解が簡単ではないことも事実です。

理解するには体験し、納得することです。
だから理解には時間がかかって当然なんです。

納得すれば心は静まっていき、行動に変化が現れます。
故に生き方が変わってきます。

生き方に現れてこそ理解したと言えます。
以下は師匠に心が乱れてしまうことについてどうすれば良いか質問した時のお話です。

【師匠のお話】
心が乱れて何が悪いんだ。
まだ人であれば当然で乱れてしまうことも許してあげるんです。

乱れている時は乱れたままに、もがかずに静かにそれを感じていなさい。
覚悟と言うのはそういう事なんです。

不安に振り回されず、不安から逃れず、不安に立ち向かうことを覚悟と言うんです。

『不安に振り回されず、不安から逃れず、不安に立ち向かう』
これは心のあらゆる問題を解決する基本です。

恐怖を感じてもがくことがパニックなんです。
乱れることを恐れること、それがパニックなんです。
極端な恐れからくる極端なもがき、それがパニックなんです。

乱れたら乱れたままで良いんだ。
乱れている心も許して、乱れている心を静かに見ていなさい。

許して見ている事が『不安に振り回されず、不安から逃れず、不安に立ち向かう』で、それが出来ることを覚悟と言うんです。
そしてそれを知ることを学びと言います。

心が乱れている時は乱れたままの心を観察していなさい。
もうどうにでもなれと言うのが覚悟で、これが迷いを振り払ったと言うのです。

迷ったら迷ったままで良いんです。
これを迷いを振り払うと言うのです。

見ていられればパニックはその内に消え去ります。
ただ見ていることが出来るために学ぶんです。