[都塚古墳 + 菖蒲池古墳 + 渭伊神社] 次元上昇で出くわす過去世のカルマたち
輪廻転生を繰り返す中で、様々な過去世が出来上がり、そしてその過去世の中でも不完全燃焼となった出来事を、現世で昇天させることが私たちの使命です。
不本意な形で終わらせた過去世や、未練や執着をもったまま終わらせた過去世をそのままひきづっていると、いつまで経っても輪廻転生から解脱することはありません。
未練や執着を手放すことは想像以上の努力が必要となり、それ故に私たち人間は神仏に助けを求めるのかもしれません。そして神様は私たち一人ひとりが解脱できるようにサポートやアドバイスをくださいます。
神様からのサポートやアドバイスを受け取るためには、目の前に起こってくる出来事をそのまま受け止めて、素直な心で受け入れることです。そして神様を信じて、未練や執着しているモノゴトを手放すことです。
残念ながら日々の穢れ=気枯れが心にこびりついている間は、こういった神様からのメッセージをストレートに受け取る心の準備や、心に余裕がないことはお分かりだと思います。
身心の穢れを祓い除けるためにも一柱でも多くの神様とつながり、高次元にいらっしゃる神々や精霊さんからのメッセージを受け取っていただければ幸いです。
現世に輪廻転生しているということは、過去世からのカルマを落とす試練だけではなく、落とした後に得る生きている実感です。日々の生活を通して、一柱でも多くの神様や精霊さんとつながっていくためにも日々、切磋琢磨、生きていきたいと思います。
都塚古墳(みやこづかこふん) ー 奈良県高市郡明日香村阪田
別称を金鳥塚と呼ばれており、元旦の朝に金鶏が鳴く金鶏伝説がある。方形古墳で墳丘表面は階段状に石が積み重なり、4段以上の階段があったとされる。このような階段型はピラミッド構造として、5世紀頃に高句麗や百済で作られた階段状積石塚と類似する。
築造時期は古墳時代後期から飛鳥時代と推定されており、飛鳥時代においては蘇我氏が勢力を持った地域でもあることより、蘇我馬子の父 蘇我稲目(そがのいなめ)の墳墓とする説が有力である。
2017年に国の史跡に指定されており、都塚古墳の後には石舞台古墳や山田高塚古墳(推古天皇磯長山田陵)といった大型方墳が登場する。
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蘇我入鹿の首塚では「お父さん、ただいま」というメッセージが到着しましたが、都塚古墳ではとても懐かしい気持ちと、離れ離れになっていた悲しい気持ちと、そして離れ離れになっていた魂がようやく戻ってこれたという悲願が叶った嬉しさの気持ちが全て合さって、涙で嗚咽が止まりませんでした。
風の時代となり、今まで離れ離れに分離されていた過去世の魂が今の私に戻ってきていることを実感する体験でした。
上記にある古墳入口の写真を見る度、胸がいっぱいになります。写真を通して、いつでも、いつまでも、過去世の私の魂と私の祖先の魂が永遠に繋がり続けられることに、感謝がやみません。
菖蒲池古墳(しょうぶいけこふん) ー 奈良県橿原市菖蒲町
甘樫丘から西に延びる明日香村との境界線付近に位置する方墳は7世紀代の横穴式石室として、石室部分が国の史跡に指定されている。
玄室内には2基の家形石棺が安置されており、石室主軸にあわせて縦一列に並び、石棺の屋根部分が棟飾り風に仕上げられ、石棺の内側には漆が塗られており、この時代の石棺としては他に類を見ない造りである。
蘇我氏の邸宅が存在していた甘樫丘の目と鼻の先の位置に所在することより、被葬者は蘇我蝦夷と入鹿親子という意見がある一方、日本書紀の条には「(蘇我蝦夷が)生前に双墓(ならびのはか)を造る。一つを大陵(おおみささぎ)で蝦夷の墓、一つを小陵(こみささぎ)で入鹿の墓とした」と記されていることより、小山田古墳を蝦夷の大陵として、菖蒲池古墳を入鹿の小陵という意見もある。
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古墳から見える景色を眺めながら、ふと空を見上げると、すっぽりと、まるで方墳が入るぐらいの大きさの穴が開いていることに気が付きました。
「ポータル?」
菖蒲には独特の強い香りがあることより、この香りが病気や災いといった邪気を払うと共に、端午の節句には「尚武」や「勝負」といった言葉に掛け合わされて菖蒲湯や菖蒲をお酒に浸して飲む風習が今なお続いています。
菖蒲池古墳が蘇我蝦夷と入鹿の墳墓という確証は取れていないということですが、その墳名が示す通り、この墳丘は常に邪気から守られ続けており、とても大切に保管され続けており、そして今もなお、過去は隠されたままです。それが被葬者が意図したことです。
そして、この地を訪れた同志たちの魂が過去生の魂と呼応した瞬間、天にポータルが開き、魂と宇宙が融合しはじめます。
日本の歴史は記紀神話の中で書き換わった出来事も多くあり、その代表格が蘇我一族です。真実は一つと言いますが、常に真実へつながるためには、私たち各々の過去世とのつながりを持ち、そして過去に起きたことを再度学ぶことで、何が真実かを見極めていくことが大切です。そしてこの真実を見つけることが、私たちが現世に輪廻転生している所以と言えます。
渭伊神社(いいじんじゃ) ー 静岡県浜松市浜名区引佐町
社殿裏にある薬師山 山頂には天白磐座遺跡(てんぱくいわくらいせき)があり、祭祀の遺物が多く検出されていることより磐座信仰がおこなわれていたとされ、その磐座祭祀がやがて拝殿をもつようになり、また八幡神が合祀されたことより御祭神に、品陀和気命(ほんだわけのみこと)、息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)、そして玉依比売命(たまよりひめのみこと)を祀る。
藤原北家の後裔 井伊氏の氏神として井戸や井水を祀った水の神様を祀っている。
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天津神から国津神まで様々な神々が合祀されており、そのエネルギーは全て山の上にある磐座へとつながっています。
八幡神である品陀和気命(別称 第15代 応神天皇)と息長足比売命(別称 応神天皇母 神功皇后)が祀られている中に、玉依比売命が主祭神として一緒に祀られていることが、これらの神々の御霊と精霊たちがこの地で融合できている所以のようです。
更に、モロード様という客人神も祀られており、客人神と言えばアラハバキ神という縄文の頃より崇拝されている、この土地を守る地主神であり、日本の古代信仰における神です。その正体や起源については諸説あり、古代の風習や土着信仰とも言われています。
アラハバキ神と言えば、埼玉県さいたま市の氷川神社の門客人神社(もんきゃくじんじんじゃ)を思い出しました。耳慣れない神様の名前を初めて覚えたため、氷川神社自体の心象が強烈な記憶として残りました。
アラハバキ神がいらっしゃるところは今も昔も同じような強いエネルギーが宿っており、そしてこの縄文の神様がエネルギーが消えないように、結界を張っておられるようです。渭伊神社ないし天白磐座遺跡を訪れる際には是非、モロード神も参拝していただけると嬉しいです。
私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。
今を大切にお過ごしください。
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