ブス認定 vol.01

 中学一年生の時に、私は突如ブスになった。
それまでは、特に自分の容姿のことを「かわいい」とも「ブス」だとも思ってなかったけれど、ある日突然私は「ブス」になってしまい、人生が大きく方向転換してしまった。

数十年経ってはいるが、その時のことは鮮明に覚えている。
感情が色褪せない出来事は本当につい昨日のように思い出せてしまうのはなぜだろう。
楽しいことも悲しいことも、感情には記憶と人とをまるでボンドのようにペッタリをくっつける役割でもあるのだろうか。不本意ではあるけれど、ブスになった時のことはよおく覚えている。

 私が学生の頃、イケてるグループに所属している人たちは、もれなく運動部に入っていて、その中でも野球部やサッカー部の子たちはスクールカーストの頂点に君臨していた。その部活のエースはいわずもがな学年の権力者だったし、当の本人が実際にそう思っていたかどうかは不明だけれど、取り巻く環境は間違いなくそれだった。

 私はいけてるグループにも、いけてないグループにも所属しておらず、ただただ地味に毎日を過ごす生徒だったけれど、好きな本を読み、空想にふけて自分なりの過ごし方を楽しんでいたし、時折家が近所とか、小学校の時に同じクラスだったという他愛無い理由で、いけてるグループの子と話せる自分の立場も他の生徒とはちょっと違う気がして気に入っていた。

 学校での過ごし方の大半は、いわずもがな授業である。授業、合間の休み時間、昼休みといったルーティンがあり、過ごし方に多様性は見出せない。そして中学生の休み時間の過ごし方なんて、数パターンしかないのだし。外に出て皆で体を動かす者、教室内でおしゃべりをする者、一人自分の世界に没頭する者など、限られた時間の中で各々が好きなように過ごしていた。

 私は先述の通り目立つ生徒ではなかったので、派手な動きをすることもなく、時折席の近いクラスメイトと会話をしたり、家で読みかけていた本の続きを読んだりして過ごしたし、空想に耽っては時間が流れるのを感じたりしていた。そんな風に誰の迷惑にもならないようにひっそりと過ごしてきたのに、ある日突然私はブスになって人生の底辺に瞬間移動してしまった。

 その日は予兆もなく訪れた。いつものように授業が終わり、私がトイレに行って戻ってくると廊下に人だかりができていて、教室に入れなくなっていた。どうしたものかと様子を伺っていたのだけど、察するに、その日は生憎の雨だったため、体力の有り余った男子たちは外に出ることもできず、教室の前の廊下でいつもの遊びを繰り広げていたようだ。バットやボールを持つ代わりにほうきや雑巾といった掃除道具で野球に興じ、それを見るギャラリーも多くいたために廊下は人で溢れかえっていたのだった。

 教室へ入るためには、バッテリーを横切らなければならない。ゲームの最中に横切るほど流石に私も空気は読めなくは無い。最善策を取るべく、投げて打って誰かがキャッチして、の1サイクルが終わった時に教室に入ろう!そうやって、大縄跳びのタイミングを図るかごとく私はギャラリーとバッテリーを横切って教室へ入ろうとした。

その時だった。

「どけ!ブス!!」と誰かが私に放った。

 全く邪魔をしたつもりもなく、なんなら配慮したつもりだったし、一瞬何が起きたかわからなくて振り返ると、そこにはスクールカーストの頂点でもある野球部のエースくんがいた。エースくんは部活でも廊下でもやっぱりピッチャーで、ピッチャーのポジションで私にブスだといった。

 その直後、どっとその場が湧いて私はそこにいた人たちに達に笑われた。笑われたということは的を得たということだ。ピッチャーの言うことは絶対だ。私は公的にブスだと認定された。

 起こった出来事を咀嚼できないまま、私は味わったことのない感情に襲われて、混乱しながら席に戻った。心臓がバクバクした。体が熱いのか寒いのかもわからなかった。笑かせてないのに笑われたことも、ブスに認定されたことも全てが恥ずかしかった。

 切れ味の良いナイフがサクッと何かに食い込むように、カラカラのスポンジが水をぐんぐん吸い込むように、わたしのブスは私の中にどんどん浸透していった。

 悲しかったというより、悔しかったというより、顔にご飯粒ついてるよ!と言われた時に、あ~はいはい、わかりました~。くらいに「自分がブスだ」と言うことをいとも簡単に受け入れてしまった。そうして私は正式にブスになった。


つづき


https://note.com/33suke/n/na4f4419f629e

https://note.com/33suke/n/n5a68faee3398




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