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モブたちの生き様が輝くとき 『フィフティ・ピープル』 #445

「モブキャラ」ってかわいい言い方だなーと思っていたら、実体はぜんぜん違うものでした。これは個々の名前を持たない「群衆」や「通行人」を指す言葉で、もともとは漫画やアニメ業界で使われていた言葉だそう。「エキストラ」の方が聞き慣れているという人も多いのではないかと思います。

たぶん開始3分くらいでゴジラに踏み潰されたり、ゾンビ化しちゃったりしてしまう「モブキャラ」。最近の映画ではほとんどが群集シミュレーションソフトで作られていて、もう「人間」扱いもされていない。

でも、そんな人々にも、きっと名前はあって、人生はあるよなーと感じさせてくれる小説がありました。チョン・セランさんの『フィフティ・ピープル』です。文字通り「50人」の人物が登場するのかと思いきや、なんと「51人」でした。笑

とある地方都市にある、とある病院を舞台に、行き違う50人の人々の物語です。それぞれに独立したお話ですが、複数回登場する人もいて、読み終えてからもう一度、最初に戻って探したくなってしまいます。

ソウルで行われたトークイベントで、アガサ・クリスティーをよく読んでいると語っている作者のチョン・セランさん。クリスティーのように、チョンさんも「編集の人」なのだなと感じるエピソードがありました。

「特に、アガサ・クリスティーは人間の描写が細かくて気に入っています。自叙伝もおもしろく、自分の人生を編集して小説を書いていることがよくわかります」
(中略)
(チョン・セランさんは)結婚式や同窓会、合コン、還暦のお祝いなどにも積極的に参加して作品の登場人物の描写に活用しているとのこと。そこには必ずおもしろい人がいて、大体5、6人分の情報を集めて1人のキャラクターを描くそうです。

記事はこちら。

『フィフティ・ピープル』に登場する50人もの人物(ホントは51人)に加えて、その人の周辺にいる人物にもちゃんと名前と個性があるんです。それが人生絵巻のように広がっていき、最後の章「そして、みんなが」へと続いていきます。

この「そして、みんなが」には、これまでに登場した人物たちが大集合して、ある事件が起こるのですが。読んでいてどうしても「セウォル号沈没事件」を思い出してしまいました。

死亡者304人というあり得ないような事故。社会を揺るがし、政権を交代させるきっかけにもなりました。その前と後では、表現も文化も倫理も変わってしまったのかもしれない。

ナゾの化学物質から逃げ惑う人々を描いたパニックムービー「EXIT」は、「ダイ・ハード」のような爽快感のある映画なのですが、ここにもやはり事件の影響を感じたんですよね。

また、チョン・イヒョンさんの『優しい暴力の時代』に収められている「三豊百貨店」にも、影響がみてとれます。

共通するのは「連帯」です。特に「連帯」は、チョン・セランさんの『保健室のアン・ウニョン先生』にも通じています。

名前も知らない、どんな人なのかも分からない、すれ違うだけの人々による「連帯」。50人(ホントは51人)の生き様とともに、深く味わえる小説です。

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