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きっと死ぬまで思い出す言葉

生活しているとふとした時に昔誰かに言われた言葉を思い出すことがある。
自分の中でそれはなんとなくランキングになっていて、
「この言葉は死ぬまでにあと何回出てくるのかなあ」とその度にぼうっとする。
きっとこれからも忘れないし、色んな状況で冷静になる時に意識せねばならない、耳が痛い言葉である。


「人のせいにして生きるようになってしまうよ」
母から言われた言葉。たしか社会人3,4年目とかだったように思う。その時私は家を出ていて、実家に帰った時に言われたような…なにがきっかけだったか話の流れは忘れてしまった。でも何か人生相談みたいなことをしていてズルい発言をしたのかなと思う。
周辺の記憶はまるでないのに、この言葉だけずーっと頭に残っている。
何か卑怯な方法を思いついた時、自分のことだけ考えてしまう時、悪い気持ちが出た時に、これが出てくる。
そうだよな、すみません、私が悪かったし、私のせい。自分のことは自分で考えて決めて自分で責任をとるんだよな。すみません。と誰かに謝って考え直したりする。
ただ、私は自他ともに認める「自己肯定感バチクソ低人間」なので、この言葉が出てきて「すみませんでした」と思うのは結構きついなあと思うし、なんならこれで毎回肯定感が下がっているのではとすら思う。
でも母だからこそ分かる私のズルい部分を心配して言ってくれたのだろう。私はズルいからなあ。人のせいにして生きたくはないなあ。


「逃げぐせがついてしまうわよ」
大学の先生から言われた言葉。この言葉は今となってはフラットに捉えている。逃げは別に悪いことではないと思うからだ。
これは先生に相談していた助教授枠の試験を受ける準備をしている時、なんだかどうしても違和感が取れずに辞退を伝えに行った日に言われた。今となっては辞めて良かったと思うし、それからの自分の動きを何も後悔はしていないのだけれど、その時は「逃げ」が悪いことのように思えた。
もちろん先生の考えも分かるし、本当にありがたいし、実際「癖になる」は良くない、のかもしれない多分。でもそれが、しっかり考えた上での決断の変更であれば、特に「逃げ」ではないのだ。私はあの違和感を信じて良かったと思う。
しかしこの言葉は私の中に残った。「方向を変えたい」と思った時に「それは逃げか?それとも変更か?」と自問自答する。変更なら良い。ということにしている。


「中途半端最強説」
これは長く勤めたデザイン事務所の社長に言われた言葉。私はこの言葉を胸に生きている。色んなタイミングで自分を救ってくれている。
私は、大学・大学院でテキスタイルを専攻し、デザイン事務所ではグラフィックデザインを担当し、学芸員の資格を取って博物館に勤め、今は紙関係の会社でデザインをしている。そして今はアニメーションの勉強をしてみたりしている。
周囲に技術者・クリエイターが多いので、自分の分野を貫き通す人を見ると眩しくて眩しくて焦げて死にそうになる。自分は何も突き詰めていないのではないか、結局何もできないのではないかといつも思うし、本当にそうなのかもしれない。
でもその時に「中途半端最強説」を思い出し、気持ちを落ち着かせる。色んなことをかじって色んな要素を体に取り込んでいる人間が一番強いのだと、おそらく彼はそういう意味でこれを言った。とりあえず私のことは置いておくと、実際そういう人に会うと強いなと思う。自分にとっては本当に名言で、救いだ。
自分には何も価値がないと思った時、自分は本当にだめだと思った時、いや私は中途半端だけど最強だ。中途半端だからこそ最強なんだと、言い聞かせてどうにか生きている。ありがたい。


これからあと何個こういう言葉に出会うのだろうなあ。
何かを決める時、感情が爆発する時、人に上手に伝える時、
貯めている「死ぬまで思い出す言葉集」を一つ一つチェックしながら、生きていくんだろうなあと思う。

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