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必死で説明しようとするのをあきらめた

ちょっと抽象的な話になります(すみません)。

「1があって2が発生するから3にたどり着き、その結果として4か5をやらねばならないが、4をすると迷惑がかかるから、5をやろうと思う」

という事例。

これを聞いた相手から質問したいポイントが発生する。
「なんで1をやるのか」
さらには、

「3にたどり着くのかなぁ」
「4か5をやらなければならないの? なんで?」
「5だって誰かに迷惑はかかるでしょ?」
「こっちには迷惑はかからないの?」
「どっちもやらない、という訳にはいかないの?」
「そもそもなんであなたがそれをやるの?」
「あなたがやらなくてもいいのではないの?」
「他の人に頼むわけにはいかないの?」
「それ、今じゃなければダメなの?」
「そんなに急ぐことではないのではないの?」
「もっとギリギリまで待っていたっていいのではないの?」

最後のほうになると同じ意味合いの質問の文言を変えただけ。
いちいち丁寧に答えていたら精神的にしんどくなってくる。
しかもこれに時間を費やした後で、
「なんで1をやるの?」
という質問が来る事もある。で、その答えがしょうもない時も多々ある(天気が原因であったり)。

そしてこれ、会話をすれば毎回こんな展開になる。

「普通そうでしょ?」とか「常識的に考えればそうなるでしょ?」

という事もたくさんあるのだが、それが通じず、説明を強いられる。

私にも学習能力がない。いつも懇切丁寧に説明しようとして、それに疲れ、しまいには辟易としてしまう。
何年もそれを繰り返して、「もういいや」と投げ出した。
そうしたら最近思う事がある。



ほとんどは、答えなくてもいいのかも。





#やってみた

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東の京の田舎市民
至ってごく普通のサラリーマンのつもりですが少し変わった体験もしています。

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