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たった一人の熱狂(見城徹)を読んで
(今回はいつもより長文です)
幻冬舎さんから発行された本はよく読みます。
わざわざ幻冬舎を選んでいるわけではなく、おもしろそうだなと手にとるとそれが幻冬舎さんの本である、というケースがほとんどです。
でも今まで創業者の本を読んだことがなく、今回ようやく手にとりました。
斜陽産業
この本(文庫)が発刊されたのは2015年ですが、この時点で出版界は「斜陽産業である」と著者は述べており、将来の見通しも厳しいと述べています。
あのヒット作を連発している幻冬舎の創業者が述べているのです。
となれば、小さい市場のなかで私がもがいているのは当たり前といえます。
著者も今や紙媒体では利益は期待できないので他の業種と合わせて会社を運営していると述べています。
たしかに「その他」を考える必要性を私も感じ、取り組んでいます。結果、本業への労働時間は全体の3割ほどになっていますが、費用対効果を考えればやむを得ないと思っています。「3割」の中で全力を尽くしています。
No pain,No gain.
「痛みのないところに前進はない」と言う意味です。
これは仕事以外にも当てはまると思います。
学校の部活動でも言えるでしょう。
でも上からそれを押しつければパワハラですのでダメです。
「ある会社の創業者はこう言っているよ」と伝えるにとどめます。
つながりの強さ
著者は(人脈ではなく)「癒着せよ」と表現しています。
交流会で名刺を交換して終わり、ではなく、徹底的に夜を明かして思いをぶつけ合う関係から絆が生まれ、それを仕事にもつないでいったいきさつも書かれています。
これも部活動等にいえます。
同じ釜のご飯を3年間、4年間、6年間食べて辛苦をともにすれば、絆は生まれます。
その経験を知っている人は、後輩のその姿を見て声をかけ、手を差しのべます。
思いもよらぬ援護を受けた選手たちは、「強くなっているのは自分の力だけではない」と感じ、それを競技力に反映させます。
そこの指導に悪戦苦闘している指導者にも、
「大変そうだな。ならばウチにいる有望な選手をそっちに送ろうか」
と声をかけます。
どれもこれも身体を張った経緯から人とのつながりを獲得している。
「名刺交換で終わり」ではありません。
強豪校と呼ばれるところは長く強豪校で居続けます。
それはなぜなのか。
答えが、著者の本にも出ているように感じました。
二つの言葉
著者は、覚悟と圧倒的努力が必要だと言っています。
失敗したら路頭に迷うか、億単位の負債を抱えるような事業を幾度も切り抜けてきたことが書かれています。そこには間違いなく尋常ではない覚悟があります。
私には、それはありません。
前の会社が突如消滅したとき、
↓消滅に至った経緯はこちら↓
「では次はどうしようか」と考え、いったん「教員」という考えも出ました。
しかしその資格がないため通信制で取得するにも多大な費用がかかり、「そんなお金等ない」と家族から断言され、前の会社が終了した段階で多大なる給与の未払いもあったので、断念しました。
そして結局は自分で何かを起こす事はせず、ツテをたどってもう一度会社員として採用していただいています。
それで自分は良かったと思います。
現職になって「費用対効果」を考えながら仕事をすることで、利益をあげることの厳しさと前職での「甘さ」を痛感したからです。
「甘さ」を持ったまま教職へついてしまったら、教わる側は迷惑です。
著者は創業以来、編集以外の事にもいろいろ携わり、社会人になってからは常に「正面突破」を身上にしてきたと書かれています。
自分自身も、必死になって仕事をすることを心がけていました。
地味で面倒な仕事も引き受けてきました、それについて「なぜ」とはあまり感じてきませんでした。地味な仕事でもそれに携わる人の声を聞けるからです。
でもそれが出来る条件もあると今は強く思います。
家庭環境です。
「条件」(言い訳)
もともと「土日なんか、ない」と思って働いてきました。
「すごい商品をつくる。それが会社の利益になるから」と強く思って働いてきました。
呼ばれれば、売り上げにつながるのであれば土日でも構わず家を留守にしました。
その強い思いに、家族も共感してくれるかどうかは、とても大切です。
最初にその意思確認をはっきりとすべきだったかもしれませんが私はそのあたりをウヤムヤにしました。そこまでの将来展望ももともと持っていませんでした。
子どもが誕生して家庭での負荷が増大すると、仕事で週末をつぶす事に対して、「なんでそこまでやる必要があるのか」と詰問される事が増えました。平日に代休を取ってフォローしようとするも、「もっと休みを取れるはずだ」と詰問が続きます。
休みはリクエストに応じてひたすら買い物へ出向き、自分自身の休みはなし。
仕事を進められないストレスが重なり、デッドラインを前にするとイライラが溜まり、自分にも周囲にも良いことはありませんでした。
著者は「圧倒的努力」をするために自分を追い込む生活を送り、早朝から活動し、夜も仕事の事を考えるとうなされている、という事が多いそうです。仕事に憂鬱は付きもの、努力は苦しくてあたりまえと考えています。
今の私は、仕事だけで生きる事は不可能です。
家で夜と朝に何を食べる(食べさせる)か、洗濯は何をどのタイミングでするか、家の片付けとゴミ処理やレイアウトデザインをどうすべきか、実家の事は、親戚の世話は、等、仕事以外でのミッションがあります。介護もあります。
私の場合、「圧倒的努力」は仕事じゃないところでも発揮しなければ生きていけない現状です。
経営者やトップと呼ばれる方々は、従業員等を路頭に迷わせないために尋常ではない思考が必要だと思います。つきなみな言葉ですが「大変だ」と思います。それでいてもし家庭を持つなら、その志をみんなで共有できる事が最低条件である気がします。
職場結婚であれば、ある程度その思いを理解してもらえるのかもしれません。知らない人に細々と説明をしても、私の場合は、言い訳としかとらえてもらえないので。言えば言うほど、「家庭から逃げているだけだ」と言われます。
最後に
強い思いでおもしろい本を多々刊行している同社。その裏づけを知ることができ、感謝の思いしかありません。
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