【障害のこと】知らない人から不穏な声かけられがち
障害者あるあるなのかもしれないが、道で声をかけられやすい。
客引きとか詐欺とか、アンケート調査とか、そんなんではない。
よく道を尋ねられるわけでもない。
おそらく私の歩き様をみて「こいつには響くな!」と思って声をかけられるのだろう。
代表的なのは、
宗教の勧誘と、「わたし、気功であなたの脚を治せるんで、試してみてもいいですか?」
というもの。
宗教は、例えば不治の病気になった人などが、そこに救いを求めたりする場合もあるので「見た目に弱そうな人=勝率が高い」と踏んでいるのだろう。
ただ、最初気功について声掛けされたときはさすがに驚いた。
「わたし、気功であなたみたいな足の人を何人も治してきたんですよ。もしよければここでもいいので試してみませんか?」
「気功を習っているので、試させてもらってもいいですか?」
親がいる時、わたし一人の時、シチュエーションは全くの日常の中にある。「靴紐ほどけてますよ」くらいの親切さでふいに言われるのだ。
人のよさそうなおじさんとか、小柄なおばあちゃんとかに。ショッピングセンターやコンベンションホールなど、健康面には関係なさそうな場所ばかりだった。
相手は全くの善意かもしれないし、そこから怪しげな方の新興宗教に引き込むつもりかもしれない。
もしくは私たちがそこに救いを見ると踏んで、大金を巻き上げるつもりなのかも。
もちろん、気功で脳の麻痺が治るのなら、幼いころからのリハビリも手術も選択肢に入っていない。
「大丈夫なんで」とすべて断ってきた。
大人になるにつれ自衛の術は分かってきたけれども、身体的な弱さは隠しようもない。
圧倒的に何かしらの「ターゲットになりやすい」見た目をしている。俗にいう赤リップでハイヒール、というような「強い女」のイメージで武装もしていない。(イメージがありきたりすぎるが)
街中では、昼夜関係なく男性が近くにくるだけで、「何かあるのではないか」と怖い。ヘアカットの帰りに歩いて帰っていると、「酔っていませんか?大丈夫ですか?」とホスト風の男性に声をかけられて体を触られたからだ。
駅の階段で、「支えますよ」と言ってお尻を触ってきた男性もいる。拒否したけれども、「心配なので」とその手は少し離れただけだった。
もちろん心からの善意でサポートしてくれる人には感謝するばかりだ。
けれども、以前の記事でも書いたように、
①これはその人自身に向けた優しさアピール」なのか
②「純粋な配慮」なのか
③気功やセクハラのような「善意に見せかけた悪意なのか」
を判断する癖がついている。
加えて、道や街中で声をかけられ、それが善意だとしてもセクハラだとしても何だとしても、「弱い存在」とみられていることがあからさまに伝わってきて心に地味なダメージを食らう。
障害者として行政などから色んな面で支援されているのは事実だ。それなら、有名税みたいなものとして、諦めなければならないのか。
それとも、自分の神経が過敏なだけなのだろうか。
「私の場合は」声をかけてほしくはない。
本当に必要な時には自分から言う。そのトレーニングをこれまでの人生で試行錯誤しながら積んできたのだから。
注意を払わなければいけない対象や声が多すぎる。
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