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「関心領域」を見てきた話。

タイトルの「The Zone of Interest(関心領域)」は、第2次世界大戦中、ナチス親衛隊がポーランド・オシフィエンチム郊外にあるアウシュビッツ強制収容所群を取り囲む40平方キロメートルの地域を表現するために実際に使ってた言葉らしいです。

この映画ではその言葉とは裏腹に収容所にまるで関心を示していない平和な家族の生活を描いている。

実際にアウシュビッツ強制収容所の所長が収容所のすぐ隣で家族と順風満帆に暮らしていた話で、その家族が収容所に対してしてあまりに無関心すぎる。
というより自分たちの豊かな暮らしにしか興味がない様子。
まさしく関心は家の中(家族との暮らし)にしかなく収容所は”領域外”と言った感じ。
映画のキービジュアルでも家の庭以外を全て黒塗りしていてそれを表しているように見える。

冒頭からしばらく真っ暗な画面に単調で無機質な音が不気味に響き渡った後、家族が河原でのどかにピクニックをしているところから始まる。
退屈なくらいなんでもない日常が流れていく。

その後家に帰ってもその様子に特に変わりはないが、一つだけ変化があって、それがです。

この映画では露骨なシーンこそないけれど、家の周辺から叫び声や怒号、銃声などの不穏な音が終始流れている。
けれど、それに全くと言っていいほど反応を示さない家族。

当たり前になりすぎて感覚が麻痺しているんでしょう。
子供達も生まれた時からあの環境だと倫理観バグりそう。
てかバグってるんでしょうけど。

唯一そこに違和感を示す人間として所長の妻の母が出てくる。
遠方から泊まりに来ていた母も、初めは収容所から聞こえてくる音に対してそれほど関心を示していない様子でしたが、
(むしろめっちゃユダヤ人差別主義だと窺える言動がある。)
夜になって収容所内でユダヤ人たちの遺体の焼却が始まり、その炎で赤く染まった空と煙を部屋の窓から目撃し、
それまで娘や孫たちは平和で豊かな生活を送っているように思えていた母もその光景を目の当たりにしたことで、娘たちの異常な生活を知ることに。

母はその環境に耐えかねて置き手紙を残し、娘に黙って故郷へ帰ってしまう。
手紙の内容は不明ですが、おそらくそんなような内容かと。

つまり、当時の同じドイツ人からみてもこの家族の生活の異常さは際立っていたと言えるでしょう。

それでもやはり当時のドイツでは国民に対し、ユダヤ人を殲滅の対象として刷り込んでいたのは間違いないことで。
その例として、ヘンゼルとグレーテルを子供達に読み聞かせるシーンがあるのですが、あれはユダヤ人差別の教育なんでしょう。
「ユダヤ人はこの魔女と同じなんだよ。」
「あの壁の向こうに捉えられているのはこの魔女と同じ悪いことをした人たちなんだよ」とか言って。
想像しただけで気持ち悪い。
こう考えると童話って結構オチがグロいの多い気が。
勧善懲悪なら何をしても良いみたいな。

で、結局最後までこれといって何かが起きることもないまま終わっていく。
家族内で大きな揉め事もなく、ただただ所長とその家族の本当にリアルな家族の生活を描くことに終始している印象。

物語としては単調すぎるが、そういう狙いなんでしょう。
カメラのショット的にもわざとロングショットが多めに入っていて感情移入しずらくなっている。
感情を表すシーンではたまに寄りのショットが使われているくらい。
カメラ自体の動きはほとんどなくて、ほぼ定点の望遠カメラで撮られているんじゃないかな。
それによってずっと隠し撮りを見ているような。 
今まさにこういう人たちがいて、こういう生活を送っているんだな、という感じに見えてくる。

BGMが少なめなのは収容所の様子を伝える演出なんでしょう。
あの平和な生活のすぐ隣では凄惨なことが行われていたことを強調するために。

ときどき流れる曲もシーンに合わせたものではなかったり。
収容所での凄惨なことを示唆するようなただただ不穏な音楽。
それでも流れる映像は綺麗で楽園のような情景ばかりなのが余計に不気味でした。

最後の最後にヘス所長がえずいている場面から現代に飛び、アウシュビッツ平和記念館の映像が流れ、また所長の場面に戻る。
この時所長がこちら(カメラ)を見ているようにもとれる描写になっている。
ここのメタ的な演出は印象的でしたが、はっきりとした意図は分かりません。
これはただの映画内のフィクションではなく、忘れてはいけない事実であったことを伝えているのかなと解釈しました。

追記(2024/7/4)
最後のシーンについて色々な人の感想を見た結果、どうやらもっと意味深なメッセージが込められていそうだとわかってきました。
所長がこちらを見つめているのは、「お前らも同じだぞ。」と映画を観ている我々に対しての監督のメッセージも含まれているのではないかと。
つまり、我々が映画を通して所長を見ているのと同様に所長もこちらを観ていたのです。
深淵を覗くとき深淵もまたこちらを覗いている。的な。
所長のように上に命令されてただ実行し単に仕事としてそれを真っ当しただけ、(それでも人を殺すことに躊躇はなさそうな発言がありましたが。)善悪の観念なんてそもそもそこにははじめからなく、たくさんの無関心が集まり肥大化したときにそういった不幸は起こってしまうのだと。
当時、ユダヤ人たちを迫害、差別し虐殺した加害者たち一人一人に大きな悪意の意識なんてなく「周りが言っていたから。」「上からの命令で仕事としてやっただけ」等がおそらく大多数じゃないでしょうか。
そこに現在の私たちとの大きな違いなんて存在するでしょうか。
あの時あの場所で同じ環境に自分たちも身をおいていたら同じことはしなかったと本当に言えるでしょうか。
そこに初めて自覚を持って過去にあった出来事を他人事で終わらせずに戒めることでようやくこの映画を消化できるような気がします。


以上、触れられていない部分もありますが、すごく不気味で嫌な気持ちになるところもたくさんあったけど、すごく考えられた演出の多い面白い映画でした。
個人的にはあの嫁がすごい自己中で嫌な奴ですごく嫌いでしたね。


今回も長くなってしまいましたが、こんな文字ばっかりの記事に最後までお付き合いいただきありがとうございました。

もっと簡潔にまとめれるようになりたいものです。



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